第3話 禁じられた聖典【ザ・ホリィ・リブロ】
焔山は、セイラを監禁している独房を訪れていた。
りんごの皮をナイフで剥きながら、セイラの話に付き合ってやる
「不純異性交遊を初めて見ました」
「そうか」
「メフィスト教団の方は、いつもあんなことをやっておられるのですか」
「まあな」
「不潔です」
焔山に担がれてこの独房に運ばれるまでの間、教会の支配する土地における人々の生活を、セィラはまざまざと見せつけられた。
信徒達は陰鬱な顔で荒れた大地を耕し、あちらこちらで青姦を行っていた。男と女。そのありのままの姿はセィラには余りにも刺激が強すぎた。
焔山がりんごを剥き終わった。
りんごは知恵の樹の実になりし禁断の果実である。そのため、メフィスト教団ではりんごの栽培を信徒に奨励している。りんごの樹が、あちこちに立っている。
りんごを手渡す。セィラは、リンゴを一口齧って正直な感想を述べた。
「粗末な食事ですね」
「…………」
「エデン東教会では、こんな果実よりもっと美味しい食事を出しましたよ」
「精一杯のご馳走なんだがな……」
焔山の発言に、セィラは顔をしかめる。
「そんなに、貧しいんですか?」
「いや、ここはまだましな方だろうな。ぎりぎり、日々の糧にも困っていない」
「ここよりも、貧しい所が?」
「腐るほどあるな」
無感動に言う焔山。セィラは、自分の無知に心を痛めた。
「私って、本当に何も知らなかったんですね。グノーシス中央聖協会派閥以外の教団は悪魔の巣窟だと教えられてきましたが、その悪魔の巣窟にこうして命を助けられて保護され、ご馳走まで振舞っていただけるなんて。グノーシス中央協会の教えと、この教団は随分印象が違います」
焔山は失笑をこぼした。セィラは、小首をかしげて焔山に問うた。
「何か、おかしなことを?」
「保護、か…………。いや、間違ってないよ。保護だ。そう、保護してやってる。それよりも、思ったより元気だな。仲間が殺されたっていうのに、さすが聖女様のメンタルだ。常人とは違うな。尊敬するよ」
「いえ、私は……」
セィラは顔を俯かせる。表情が、銀色の髪の蔭に隠れた。
焔山は、独房に安置されたベッドの枕が夥しく濡れていることに当然気付いている。それを承知した上で意地の悪い言葉を投げかけたのは、セィラの聖女としての格を覗うためだ。
聖女の皮を被ったただの少女なら、わんわんと泣き出し、みっともない醜態を曝け出すことだろう。だが、気高き覚悟と誇り高き信念を兼ね備えた地上に舞い降りた天使、神の代行者、浄化の女神、救済の救世主たる神の如き生命体聖女なら、この程度の哀傷にくじけたりはしないはず――。
果たして、セィラは焔山の期待に応えた。面を上げ赤い瞳にまっすぐ向き合う。
「私は、地上を救う使命を神により任ぜられた、地上の天使、聖女なのです。死んでいった者たち。真に彼らを愛しているからこそ、私には落ち込んでいる暇などありません。彼らが私に託した希望を、この世に花咲かす。それが、今私が為すべき唯一のこと。弔いに言葉はいりません。神は、行動を尊ばれます。きっと、彼らも天国で祝福されていることでしょう。この世は地獄なのですから、彼らは幸いです。命を全うし、神のみもとへと召されたのですから。志半ばで死んでいき、また、地獄を彷徨う運命を課せられた人間たちに比べたら、彼らは幸福です。だって、神のために死ねたんですから……」
セィラの背中に光の翼が生える。
光の輪を頭に浮かべ、手と手を祈り合わせるセィラの姿は、気高く、美しく、慈悲慈愛に満ち溢れている。光輪を背にした阿弥陀如来のような神々しきセィラの威容には、焔山も、さすがに圧倒された。
威光の乱風が、室内に吹き荒れる。
まるで、神風。
まるで、天使。
いや、天使そのものだ。
焔山の脳裏を、閃光が貫く。
(まただ……)
このセィラという少女とは完全な初対面のはず。それなのに、まるで遠い昔に愛し合った存在と今まさに再会しているかのような、実の妹と対面しているかのような、そんな違和感がある。
焔山は、セィラの肩を揺さぶり、強く問う。
「セィラ、お前は一体――」
その時だった。
全部屋に備え付けの霊介無線機から、ミーシャの声が鋭く放たれる。
「焔山!! 聞こえる!? 敵襲よ、方角は東、数は30、【ベヒモス教団】、すぐに迎撃して!!」
黒死焔山の絶対零度の赫印の赤眼が、セィラ・ホリィを凍りつかせた。
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