第6話 第二章 孤独の里の老人 後編
1
AI列車疾風から乗客たちは降りたが、一様にその顔には疲れが見えた。窮屈な列車内から抜け出したいという表情だった。
坂家護の目に映る風景は、彼の心を揺さぶった。
疾風から降り立った彼が目にしたのは、彼の中の原風景だった。
そこには山があった。川が流れていた。陽の光が、川の水に反射して、ダイヤモンドのように輝いていた。
「ああ、私の子供の頃の田舎の風景だよ」
「坂家さんは、出身はどちらですか」
「九州の地図にも載っていない田舎だよ」
「地図にも載っていないなんて」
冴子は、車椅子を押しながら首を傾げる。
「アハハ。ダム開発や町村合併で、私の家も村も、みんなダムの底に沈んだ」
「酷いわ。昔は、そんなことがあったなんて知りませんでした」
美麗は、怒りと哀しみを織り交ぜて叫んだ。
「確かに。冷静に考えれば酷いことだ。たが、国や県から、家や土地を失う者達に、"和解金"として大金が渡された。我々は、否応なく土地を離れた。
ある者は、別天地を耕作し、私は都会に出て勉強し、大学を卒業したよ。苦労はしたが、そのお金のおかげで今があるんだ」
護の言葉に、美麗は納得できかねる表情を浮かべたが、首を縦にふった。
「坂家さん。ご兄弟はいらっしゃるのですか」
冴子は、落ちついた高さの声で尋ねる。
車椅子を押す力も速度も一定だった。そのことが、護に心地良さとなり、彼は、他人には、最愛の妻にさえ話したことがない話をさせていた。
☆
「私には兄がいた。」
「いた?過去形ですね」
冴子は穏やかだがニュアンスを聞き逃さない。
「鋭いな。そう、兄は死んだ。戦争で」
護の言葉が沈んだ。
「た、太平洋戦争ですね」
妹の美麗が、たどたどしく答える。
「よく知っているねえ。君のような若いお嬢さんが」
護が、感心して美麗を見上げる。
「へへ、歴史は好きな科目でした」
美麗は、照れながら言った。
「…私は、兄が怖かった。実際はとても優しい人なのだが、勉強も運動・スポーツも卒なくやってしまう兄と比較されて、私は兄に嫉妬し、憎んだ」
護の話が途切れた。
「お兄さんをですか。私ならそんな兄がいたら、他人に自慢しますわ」
冴子の落ちついた言葉が、護の思考に影響し、護の話が続く。
「ハハハ。冴子くん。兄弟・姉妹というのはね若い時は、ライバルなのだよ。私は兄を超えようと努力した」
「頑張られたのですね」
冴子の笑みを含んだ短い言葉は、護の耳に心地よい弾みとなり、彼の話は続く。
「そんな時、兄に"赤紙"が届いた。私も母も慄然とした」
「しょ、招集令状ですね」美麗は、呟くようにいった。
護は、驚きもせず、ただうなずいた。
「…兄は、赤紙を手にしても、顔色一つ変えなかった。今、考えても兄は赤紙を予見していたに違いない。私や母を見て、"哀しく"微笑むだけだった」
「その夜、兄が私の部屋に来て、話した言葉を私は、忘れることはなかった」
「『護、俺が戦争にいったら、もう帰ってくることはないだろう。お前に厳しく接したのは、お前に母さんを守ってくれる強い男になって欲しかったからだ。』とね。私は愕然としたよ。兄は、私にこうも言った。
『俺の勝手な予測だが、戦争はあと一年と少しで終わるだろう。もちろん、日本は負ける。護、後を頼んだぞ』とね。兄の予言は見事に当たり、私は、母を守って、戦後を生き抜いたよ」
護の長い独白が終わると、美麗も冴子も一平も勇気も言葉なく啜り泣いた。
2
護は、皆が泣いていることに狼狽した。
「あ、しまったなあ。私としたことが懐かしい風景を見たために、ついおもしろくもない昔話までしてしまった」
護は、頭をかいた。
冴子は、涙をすくいながら言った。
「いいえ。とても良い話をしていただきました。私たちとても感動しましたわ」
全員がうなずいた。
一行が、歓談しつつ”小屋”を通り過ぎようとした時、小屋の戸口が開き、老人が出てきた。
車椅子に乗っていた護は、無意識に立ち上がっていた。冴子たちも驚いて立ち止まった。
「坂家さん。大丈夫ですか、立ち上がっても」
冴子の言葉は、虚しく消えた。坂家護の言葉によって。
「兄さん。兄さんじゃないか…」
3
その人間は、短髪の黒髪で、銀縁メガネを掛けていた。やや屈んではいるが、坂家護にとって、兄以外の何者でもなかった。
「兄さん!」護は叫んだ。
眼鏡を掛けた男は、ゆっくりと護に振り向いた。
「…兄さんだって、誰だねあんたは」
「護だよ。弟の。分からないのか」
護の声は、老人の声ではなく、青年の声のように弾んでいた。
やがて、黒髪短髪の男の目が大きく見開かれていく。
「ま、護じゃないか。どうしてお前がいるんだ」
兄弟は涙を流して抱き合った。
☆
再会を果たした老兄弟を、冴子を初め、周囲の人々は、呆然と見守るしかなかった。
いち早く、冷静になった勇気が、冴子に囁いた。
(冴子さん。この光景は、現実ではないのでは?)
(え、ええ。坂家さんの願望が強すぎるあまり花蓮が…、いえ、やはりそれしか考えられない)
(どうかしたんですか)
勇気は不安感をにじませて訊く。
冴子は小声で早口に囁き返す。
(出発する時、ご説明したように「疾風」内では、疾風の生成AIが、参加者様のご要望を判断して提供しています。対して、疾風の外では、上位AI「花蓮」が、風景や気候を判断し、提供しています。だから、坂家さんのお兄様は…)
冴子の囁は、中断した。
なぜなら坂家兄弟が、冴子と勇気をにこやかに見つめていたから。
「さあ、護。こちらの美しい女性たちはどなたなんだ。紹介してくれよ」
兄は、少し上ずった声で護に言った。
「こちらの女性たちは、私の会社の秘書たちなんだ」
護が、苦し紛れに冴子たちを紹介し始めた。
護が、話を合わせてくれとアイコンタクトを送る。
冴子は、微かにうなずき護の兄に自己紹介した。
「秘書室長を勤めています中西冴子と申します。隣にいますのは…」
勇気も調子を合わせる。
「…秘書見習いの宮前勇気と申します。あいにく普段着なのは、今日は非番でして」
少し離れて立っていた美麗も慌てて勇気の横に並んで自己紹介した。
「同じく中西冴子の妹の美麗と申します」
そして最後に一平が、「社員の竜崎一平と申します」
と、自己紹介し終えた。
☆
兄は、感動した表情で声を発した。
「護よ。お前偉くなったんだなあ。こんな美女を三人も秘書に雇えるなんて。奇妙な服装だが、今は、こういうのが流行りなんだな」
兄の視線は、冴子を捉えていた。
(なんと美しい女性だろう。弟は毎日彼女と話ができるのか)
兄の胸に激しい嫉妬が燃えた。しかし、誰もそれに気ずくものはいなかった。
4
やがて、全員で夕食となった。男たちが、魚を釣り上げ、女性陣が、魚を調理することになった。最も実際に調理したのは、「花蓮」だったが。
食事は楽しく終わった。
「会長、列車の時刻が迫っています。お戻りになりませんと」
冴子は冷静に言った。
「そうか。兄さんぼくは旅行中でね。そろそろ失礼するよ」
「そうか。お前ともお別れだな」
兄は静かに言った。
護を支えるように後ろを歩く冴子に兄は言った。
「冴子さん。弟にお土産を渡したいのだが」
「ありがとうございます。代わりに私が受け取りますわ」
冴子が腕を伸ばした時、その腕を兄は強く握り、冴子を抱き寄せた。その手には、包丁が握られていた。
5
その場にいた全員が氷ついた。
「兄さん、何をするんだ」護が喘ぐ。
「冴子さんといったな。彼女に惚れたんだよ」
兄は、笑いながら言う。その笑いは、幾分自嘲気味にその場に響いた。
「俺が戦争に行き、お前は、平和な世界で、こんな美女に囲まれているなんて不公平じゃないか」
「だから、彼女一人ぐらい俺に譲れよ」兄は、冷たく笑う。兄は、空いている手で、冴子の胸に触れる。
「ああ、なんて柔らかいんだ。それにいい香りだ」
一平が、怒りに吠えて、兄に飛びついた。
包丁の先が、一平の頬をかすめた。血が流れた。
一平の出血に、勇気が叫ぶ。
「いや―!一平さん!」
泣き叫びながら、勇気は兄に突進した。勇気の体当たりに、兄が怯み、体勢が崩れた。
冴子は、その隙を見逃さず兄の手にあった包丁を手刀で叩き落とし、逆に、いつも護身用にポケットに忍ばせているメスを兄に見せた。
冴子は、冷たい目で兄を見つめる。
「私、元外科医なの。だから、メスの扱いは慣れてるし、人の死を何人も見ているわ。女を物扱いして、舐めた口きくんじゃないわよ」
兄は、腰を抜かしたようにあたふたと逃げようとした。
冴子は、メスを投げる。メスの先が、兄の頬を掠め、血が滲んだ時、兄は人間から細長い白い物体に変わっていた…。
6
そこは、疾風の食堂車だった。
護、冴子、美麗、勇気、一平の五人が、無言で一つのテ―ブルにいた。
一平の頬の包帯が、あの不思議な空間と体験が、夢ではなかったことを証明していた。
「一平くん。本当に申し訳ない。結果的に私の郷愁が、あんな化け物を呼び寄せてしまったのだ」
「いいえ、私が従業員としてしっかりしていれば、竜崎さんにケガをさせずにすんだのです」
冴子が涙ながらに謝罪した。
「この旅が終わったら、私と妹は、会社を辞めることにしました」
美麗は、無言でうなずいた。
「中西姉妹の再就職先は、心配しなくていい。私たち夫婦の主治医けん養女となってもらうよ」
「坂家様」姉妹は無言で護を見た。
「さて、私は少し眠らせてもらうよ。とても疲れた」
「私たちも一日謹慎処分となりましたので、自室にこもらせていただきます」
護も中西姉妹も席を離れた。
☆
一平と勇気は二人きりになると、勇気は一平の包帯に触れた。
「まだ痛みますか」
「少しね。でも大丈夫だよ」
「もう!あまり心配させないでください」勇気は、ふくれっ面になる。
「心配させた罰として、今夜は一平さんのベッドでいっしょに寝ること」
「え、それは…」一平は頭をかく。
(パジャマの私ではなくて、下着の私ではダメですか)
勇気のこの囁きに勝つ気は、一平はなかった。
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