第7話 第三章 疾風と乗客たち

1

里村花江は、疾風車内を歩くのが好きだ。なぜなら、疾風が話相手になってくれるから。

「疾風、あんたなかなか話わかってくれるやないか」

空間に、ゆがみが生まれ、声が発せられる。

「ハナシガワカルトハ、ドウイウイミナノデスカ?」やや甲高い女性的声だ。

里村花江は、やや返答に迷うが、笑みを浮かべ答えた。

「そうやな。疾風と話してると楽しくなるということやな」

「フフフ…。ワタシモハナエとハナスノハ、タノシイデス」

疾風が答える。

「嬉しいこと言ってくれるやないか」

花江の声が、通路に響いた。

すると、乗務員室から、中西美麗が飛び出してきた。

美麗は、やや目を細め、花江を睨むようにして言った。

「里村様、もう遅い時間ですので、疾風と話をするにしても、里村様のお席でお願いいたします」

しかし、花江は少しも悪びれずに言い放つ。

「お、美麗ちゃんやないか。あんた『孤独の里』では、大活躍やったという噂やで」

「"美麗ちゃん"は止めてください。それに私は大活躍なんてしてません」

二人の会話に、ハスキーな声が加わる。

「里村花江様。どうぞお席に戻られるか、もう少しいきますと図書室がございますので、図書室では幾時間でも疾風とご存分にお話してください」

花江の目の前に中西冴子が立っていた。

さすがに姉の冴子の醸し出す威厳に押されてまでからかうことは花江にはできず、言い訳をした。

「ごめんやで、疾風みたいな列車に乗ってるだけでもすごいのに坂家さんと中西姉妹の話を聞いたら、私、興奮して寝られないねん。私、K都で、弁護士してるねんけど、なんや最近、仕事に張り合いなくて、でも、中西姉妹の話聞いたら、私、やる気出てきた。あんたらの養子縁組は、私がただでまとめたるわ」

花江は、明るく断言した。

中西姉妹は苦笑するしかなかった。

勇気が、ナイトガウンを纏って、自室から出てきた。

「里村花江さん。私でよかったら話相手になりますよ。もう、一平さんたらいびきがひどくて寝られない」

花江はニヤリとする。

「そらおかしいなあ。乗客の座席は、疾風のおかげで個室の寝室にボタン一つで変化するって、前に美麗ちゃんが説明してくれたはずや。当然、プライバシー保護で、完全防音のはずや。それなのに"いびきが聞こえる"って、どういうことや。なあ、美麗ちゃん」

美麗は、頬を朱に染めて、

「し、知りません!」と叫んだ。

勇気は何もいえなかった。

そこは図書室だった。図書室といっても、紙の昔ながらの本は一冊もなく、タブレットが、書架に立てかけられ、利用者は、それを手に取り思い思いにタブレットをタップして読書を始める。

その一隅に、勇気と花江が向き合って話をしていた。

図書室なので静かだった。

「なあ、勇気ちゃん。あんたと一平さんの馴れ初め聞かせて」

花江が弾むように聞く。

「な、馴れ初めなんてないですよ。私たち知り合って二ヶ月ぐらいだから」勇気は、自分でも驚くほど冷静な声で答え、このツアーに参加するまでの経緯を話した。

花江は、勇気の話に目を丸くしていた。

「…ほ―、勇気ちゃんも顔に似合わず大胆やなあ」

「自分でも驚いてます。でも、一平さんでよかったと思っていますが、全面的に信用できなくて…」

「でも、信じたいと思い始めてるんやね」

花江の言葉が、弁護士の言葉に変わっていた。

勇気は頷く。

「偶然に同じツアー、それも不思議なツアーに参加した赤の他人の私が、勝手に言わせてもろたら、勇気ちゃんは、一平くんを好きになり始めてると思うで」

「そうでしょうか」勇気は素直になれない。

「まだ、自分の気持ちに自信がないだけや」

勇気の前の空間が揺らいだ。そして、テ―ブルに、

「Yes」の単語が描かれる。勇気は笑顔を浮かべた。

2

「あのう、突然声をかけてごめんなさい。お話に加わってよろしいかしら」

勇気と花江が声のする方向に顔を向けると、にこやかではあるが、気弱な表情を浮かべた中年女性がいた。

「あのう、あなたはどなたさんですか?」

花江が、表情を曇らせて尋ねる。

「ごめんなさい。まずは私が自己紹介しないといけませんね。私は『深澤真由美』と申します。このツアーに、夫と共に参加しました。ちなみに夫は、『深澤太郎』と申します」

真由美の生え際には、白髪が見え隠れしていた。

勇気は立ち上がり、礼儀正しく一礼した。

「宮前勇気と申します。大学生です」

花江も慌てて立ち上がり、一礼し、名刺を渡した。

「K都で、弁護士してます。よろしく」

真由美は、渡された名刺をしげしげと見ながら言った。

「まあ、弁護士さんですのね。失礼ですけれど、私、あなたを教師だと思ってました。とても話を楽しげになさっているから」

花江は、ため息をついた。

「あかんなあ、私。ついおしゃべりになってしまうわ。ま、落語家に見られるよりはましやけど」

三人は笑いあった。

真由美は、このツアーに参加したいきさつを話だした。

「…もう十年になりますか。私たち夫婦は、交通事故で息子と娘を失ったんです。事故原因は、相手の前方不注意でした…」

真由美は言葉に詰まる。勇気も花江も無言だった。

「私たち夫婦は、自分たちが死んで、子供たちが生きていてくれればと、自殺することも話し合いました。でも死に切れなかった。

私たちは、話合って、逆に、交通事故遺児の支援活動をしていこうということに決めました」

黙って話を聞いていた花江が言葉を挟んだ。

「すごいです。自殺なんかしたらあかん!」

真由美は、微笑んで話を続けていく。

「そんなある時、大人しい性格の主人が、『おい、二人で旅行しよう』と、このチラシを見せたんです。

「あのチラシや」

勇気もうなずく。

「子供を失って以来、無気力というかとにかく大人しい主人が、珍しく興奮していたので、私は理由を尋ねました。主人が言いました。『ピエロが踊っていたんだ。それを見ているうちに励まされて、同時に反省したんだ。子供を亡くして悲しいのは、お前もそうなんだって。ピエロにじっと見られてるうちに気ずいたんだ。悪かった真由美』と言ってくれたんです。私も泣いてしまいました、嬉しくて」

真由美は思い出したのか、涙ぐんでいた。

「私もそうや。なんや最近仕事への気力がなくて、そんな時、ショッピングセンターで踊るピエロを見たわ。それで、なんか無性に参加したくなって…」

花江が叫ぶように言った。

「私も、ダンスするピエロを見なかったら、一平さんに出会えなかった」

勇気も呟くように言った。

図書室は、本来静かであるべき場所なのだが、人が集まる場となっていた。


「勇気さん。図書室にいたのか。心配するじゃないか」

一平は、口調は穏やかだったが、目線は苛立ちを露にしていた。

「一平さん。私を探してくれていたの。ごめんなさい」

勇気は、微笑みながら嬉しそうな表情で謝った。

「花江!少しはおとなしくせんかいな」

一平の後ろから茂雄が、大声で言う。

花江は、負けん気を顔に出して、

「そんな大声出さんでもええやんか」

と言いつつも頭を下げた。

「すいません。妻の真由美を見ませんでしたか」

深澤太郎が、顔を出した。

「あなた、ごめんなさい。図書室で皆さんとお話してたの」

「そうか。お前のことだからあまり心配はしてなかったがね」

太郎は、穏やかな笑みを浮かべながら妻を見る。

「なんだ、何があったのか。夜中のはずなのに、図書室に人が集まってるなんて」

野中俊哉が騒々しく図書室に入ってくる。

ソバ―ジュヘア―の野中紀子が笑いながら言った。

「どうしたのう。みんな集まっちゃって。変なの」

「野中くんというのか、君は。少し静かに話をすることができないのかね」

落ちついた威厳を含んだ声に、図書室にいた全員の視線が集まる。

中島冴子に車椅子を押してもらう坂家護がいた。

3

図書室に集まっていた乗客たちは、食堂車へと移動させられていた。

疾風の大人の女性を思わせる声がいきわたる。

『皆様、生成AI列車疾風でございます。今は、二十四時間感覚の皆様に合わせてお話をさせていただいていますが、実際は"時は止まっております。従って今が朝なのか昼なのか夜なのか皆様には分からなくしました。なぜ、そんなことをしたのかには、理由がございます。

理由は、皆さまにこのツアーを楽しんでいただきたいのです。

参加者あるいは乗客の皆様は、このツアーに参加している限り、同士であり仲間なのです。よって、他のお客様をからかったり、無闇に自分に注目を集めようとなさる野中様の振る舞いには、注意します。

私、疾風と添乗員が、必ずお客様をご満足させていきます。ですから、野中俊哉様及び紀子様には、故意に高い声で他のお客様に話しかけないでください』

疾風に指摘され、野中俊哉と紀子兄妹は、恥ずかしさのあまり、食堂車を出ていった。

疾風が、再び語りだした。

『…、出て行かれましたね。やれやれ』

「さあ、皆様。旅行にはハプニングは付き物でございます。私が腕に寄りをかけた、豪華な”夜食”をお召し上がりください」

メイド服を身につけた若い女性たちが、各テ―ブルに、お茶漬けやト―ストを載せたトレイが置かれていく。

食堂車は、即席の夜食大会になっていた。

あちらこちらで、名刺交換や自己紹介が、繰り返されていた。

『皆様、どうぞせっかくのご旅行をお楽しみください』

疾風は、そっとつぶやいた。食堂車内では明るい笑い声に満ちていて、そのつぶやきに耳を貸す参加者はいなかった。疾風は、それが寂しかった。

生成AI列車が、星空のような夜の光の中を縫うように走って行く…。















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