第31話 影踏み

「それじゃあ、俺は先に」


 冴子は龍見のプレイで倒壊したルートをその場で分析しなければいけないので、士郎の方から動いた。兵衛から遅れて、遊具などがあるエリアへと足を踏み入れる。雲の影の動きに合わせて屋根付きのバス停の待合所まで移動したが、兵衛の姿は確認出来ない。


 兵衛の体格で潜めそうな場所は見当たらないので、すでにもっと先まで進んでいるようだ。雲の動きに合わせて像の形をした滑り台まで移動した。電話ボックスの影と繋がっているが、電話ボックスは透明な部分が多く影の面積が少ないので移動先としては心もたない。何かが起きると予想して、滑り台の影の中で冷静に待機した。読みは当たり、時間経過で太陽の位置が変わり、アドバルーンの垂れ幕部分の影が滑り台と重なって、長い順路が出現した。その先には安全地帯としてビルが大きな影を落としているようだ。その先は再び遊具などが連続し、冴子が向かっている正面のルートと合流するらしい。


 龍見の時のように強風が吹き荒れてアドバルーンの影から外れてはひとたまりもない。士郎は影の道を一気に駆け抜けて、安全地帯であるビルの影へと滑り込んだ。


「よう。思ったよりも早く追いついて来たな」


 士郎がビルの影に入った瞬間、身を潜めていた突然兵衛が殴り掛かってきた。士郎は声に対応し、素早く横に跳んで兵衛の拳を回避。初手からダウンは免れた。


「読んでやがったな。不意打ちは失敗か」

「常に警戒はしてましたよ。それに、不意打ちは失敗する前提でしたよね? 殺し慣れてるあなたが本気になれば、もっと狭い場所で、無言で仕掛けることだって出来たはずだ」

「何もかもお見通しか? ムカつく野郎だな」


 口振りとは裏腹に兵衛の表情はどことなく嬉しそうだった。簡単に決着がついてもそれはそれで興ざめというものだ。


「序盤に暴れても、ここで不意打ちかましても良かったが、ゲームとしての盛り上がりには欠ける。盛り上がるのはやっぱり、強キャラ同士の直接対決ってもんだろう」

「強キャラ認定されるのは光栄ですね」

「肩書はもちろんこと、二番手とはいえお前は三つものデスゲームを攻略してみせた。お前の存在にはずっと一目置いていたよ。同時に俺がこのデスゲームの勝者となる上で最大の障害になるとも確信した」

「命乞いするわけじゃないけど、俺をここで殺すのは悪手じゃないですか? 次のゲームのファーストペンギンは確実に俺だ。自分がリスクを負うだけですよ?」

「次のゲームは自力でどうにかするさ。そのリスクを負ってでも、お前はここで狩っておかないといけない」

「どうして?」

「お前も俺をここで狩っておくべきだと考えているからだよ。お前のことだ。仮に俺に敵対の意志が無かったとしても、自分が勝利するために俺を狩る算段をつけていたはずだろう。だったら正面きって戦った方が俺としてはマシってもんだ」


 自分と似た思考だからこそ、士郎の頭の中を兵衛は有り有りと想像出来た。二番手として率先してデスゲームに挑んでいったのは、初見の反応を見るためのファーストペンギンの頭数を減らさないため。自身のゲーム攻略に繋げるためだ。それは決して勇敢な行動でも、高潔な精神性の現れでもない。自分が勝者となるための行為だ。


「フィジカルモンスターなだけじゃなく、頭も回るようだ」

「元捜査四課の刑事を甘く見るなよ」

「そんな人間がどうしてデスゲームの処刑人なんか?」

「……気づいちまったからだよ。俺には殺しの方が性にあってるって」

「なるほど。そんな危険な存在なら、尚更ここで仕留めておかないと」


 士郎の表情から笑みが消え、途端に鋭利さを増す。


「薄ら寒い笑顔よりもそっちの方がよっぽど似合ってるぜ。最初からその調子なら、もっと仲良くなれたかもな」


 自分の力で運命を切り開こうとしている人間が兵衛は嫌いではない。そういう意味では士郎は尊敬に値する。同時にそんな人間の希望を摘み取るのは何よりの快感だ。


「肉弾戦で死ぬなよ? 一度もデスゲームの仕掛けが発動しなかったら放送事故だ」

「ご心配なく。死に花を飾るのをあんたの方だよ」


 ファイティングポーズを取った兵衛と、士郎は一定の距離を保って睨み合う。これが死ぬまで殴り合うデスマッチだったなら勝機は無かったが、相手を影の外に出すことさえ出来れば勝利なので可能性は潰えてはいない。


 とはいえ、圧倒的な体格差を覆せる程、士郎は喧嘩なれしているわけではないし、一度でも組み付かれてしまえば圧倒的パワーの前に成すすべなく敗北し、無慈悲に日向に放り出されて蜂の巣にされるてしまうだろう。


 士郎に勝機があるとすれば一瞬の隙をつけるかどうかだ。次回経過と共に太陽の位置が変わってきて、先程とは影の形と位置が変わってきている。上手く利用すれば不意打ちに使えるかもしれない。


「それじゃあ始めようぜ!」


 先に仕掛けてきたのは兵衛だった。強烈な回し蹴りを、士郎はバックステップを踏んで回避する。回避したとはいえ生きた心地はしない。鼻先を抜けていったその圧力は、直撃したら首の骨が耐えられないと肉体に確信させた。長い足が生み出す圧倒的なリーチもまた驚異的だ。


「どうしたどうした。防戦一方だとジリ貧だぞ?」


 兵衛は間髪入れずに拳やミドルキックを織り交ぜ攻め立て、受けることを敬遠する士郎はひたすら回避に専念する。バックステップを多用した結果、日陰の中で後がなくなっていく。距離を取り戻そうと何度か前へ出ようと試みたが、その度に兵衛が的確にディフェンスしてくるため上手くいかない。攻撃しようにも腕や足を一度でも掴まれたらその時点で敗北だ。


「やり直しがきかないってのは難儀だな」


 時間稼ぎにしかならないが、士郎はサイドステップも織り交ぜて回避を続ける。すでに土俵際まで追いつめられていて、これ以上バックステップを踏むのもは危険だ。残機は命一個分だけ。セーブ地点からやり直せないのがデスゲームの面白味であり非情な部分だ。


「蜂の巣か蹴り殺されるか、自分で選ぶんだな!」

「どっちも御免だね」


 兵衛が隙の大きい右の回し蹴りを放った瞬間を見切り、士郎は同じ方向に素早くバックステップを踏むことで、回避と同時に兵衛の左側面を取った。そのまま反撃に右の拳を顔面目掛けて放つ。流石の兵衛とて成人男性が全力で振るった拳を顔面に受ければ怯むはずだ。そこを一気に崩し、日陰の外まで追い落とすのが士郎の狙いだった。


「迷いが無いのは高評価だが、如何せん軽いな」

「……ははっ、これでも普段は善良な大学生なんで」


 兵衛は咄嗟に左手で、顔面狙いの士郎の拳を受け止める。士郎の渾身の一撃が左手一本に勢いを完全に消され、瞬間接着剤で張り付けたかのようにビクとも動かなくなった。士郎を侮って隙の大きい回し蹴りを放ったのではない。兵衛にとってそれは隙ですら無かったのだ。肉体の強靱さや格闘戦の経験値が圧倒的に違い過ぎる。


「つまらん幕切れだ」


 間髪入れずに兵衛は士郎の顔面目掛けて強烈な右ストレートを放つ。直撃すれば脳が揺れて気絶は免れない。そこを影の外に放り出せば決着がつくと兵衛は確信したが。


「こいつ……正気か」


 士郎は咄嗟に頭を上げて、口の位置で拳を受けた。歯が数本折れて口内にも出血を伴ったが、歯のカーブで衝撃を逃がし、意識を持っていかれずに済んだ。気絶からの蜂の巣のよりマシとはいえ、激痛を伴ってでも歯を犠牲にした方がマシと即断し、それを実行出来るだけの精神力は最早、狂気の沙汰だ。加えてこんな時でさえも、士郎を極限状態のスリルを楽しむかのように目を輝かせている。圧倒しているはずの兵衛の方が狂気に身震いしてしまいそうになっていた。


 やはり積木士郎は危険なプレイヤーだ。ここで確実に仕留めておかなければいけないという確信を兵衛は強める。意識を保っているとはいえ、士郎の顔はボロボロで、右手の拘束も以前堅牢で自由は許さない。圧倒的優位に立っているのは間違いなく兵衛の方だ。


「積木くん!」


 突然、冴子の声が響き、兵衛の意識は一瞬、そちらへと向く。冴子が雲の影を挟んだ先の看板の影におり、手に握る瓦礫のような物を投擲した。龍見の通ったルートからこちらへと合流する道を見つけ、倒壊場所から瓦礫を拝借してきたのだろう。見事な遠投で士郎側の日陰まで届きそうだが、兵衛に的確に命中させることは難しい。少しでも兵衛の気を引ければと苦し紛れの攻撃だっただと兵衛は判断した。冴子の始末は後でいい。兵衛は再び正面の士郎へと意識を向けたが。


「お前っ――がっ!」


 冴子の陽動がチャンスを生んだ。不敵な笑みを浮かべた士郎は、兵衛がこちらを向いた瞬間、血塗れになった口から兵衛の目に向けて血と折れた歯を吐いた。それが目潰しとなって一瞬、兵衛を怯まる。その機を逃さずに兵衛の股間へと金的をお見舞い。流石の兵衛も痛みを御しきれず、拘束していた士郎の手を離してしまった。士郎のすぐさま兵衛から距離を取り、冴子が投擲したことで転がっていた瓦礫を拾い上げた。一連の動作は兵衛も気配で察している。


「その程度じゃ俺は殺せねえぞ」


 リーチのある武器ならばまだしも、握れる程度の瓦礫など脅威にはならないし、殴りつけられても怯まないだけの自信が兵衛にはあった。目元の血を拭い、赤く隈取された双眸で士郎の姿を捉えたが。


「確かに。瓦礫じゃ無理だろうな」


 士郎は兵衛にではなく、日陰を作るビル目掛けて高々と瓦礫を放り投げ、途端に距離を取ろうとアドバルーンの影へと駈けこんだ。


「野郎!」


 飾りだとばかり思われていたビルの窓ガラスは瓦礫一つで粉々になり、一部が地面目掛けて落下してきた。士郎の真意を悟り、兵衛も後を追おうとしたが、風が吹いたことでアドバルーンの動きが乱れ、ビルの影と接続が断たれた。冴子の方にも雲の影が切れて移動出来ない。兵衛はビルの影の中に一人取り残された。


 そんな兵衛の頭上を、飛び散ったガラス片が舞う。時間経過で太陽の位置が変わり始め、一筋の太陽光がガラス片に反射し、照準装置のように兵衛の体へと注いだ。次の瞬間、最寄りの機銃から不気味の機械音が鳴る。反射的に兵衛は回避しようとしたが、それは直ぐに諦めへと変わった。人間の身体能力で回避出来るような仕様にこの運営がしているはずもないし、ルールの中で死ぬことに抗うのは野暮というものだ。


「俺の負けだ積木士郎。先に地獄で待ってるぜ」


 兵衛が士郎に微笑んだ瞬間、機銃による銃撃が開始。無数の弾丸に撃ち抜かれた兵衛の体が一瞬で蜂の巣と化し、血煙を上げながら床へと転がった。


「助かりましたよ、綾取さん。あなたのアシストが無ければ俺はたぶん死んでた」


 冴子との間には距離があるので、士郎は声を張って感謝を伝えた。


「君が無事で良かったけど……本当にこれで良かったのかな?」

「やらなければやられていた。生き残るためには仕方がありません。この世は弱肉強食ですから」


 兵衛と共闘する道は本当に無かったのか。彼の亡骸を目にして冴子は自問するが、結局答えは出せそうになかった。兵衛は完全にこちらを殺す気だった。士郎の言うように生き残るためには仕方がなかった。


「とにかく君は一度引き返して。こっちで新しいルートを見つけたから案内するわ」

「直ぐに向かいます」


 散乱したガラスが太陽光を反射する天然の地雷となっているので元のルートは進みずらい。冴子の指示に従い、士郎は分岐点まで引き返し、彼女と合流することにした。


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