第26話 兵衛弥次郎

 恵まれた体格と運動神経を活かせる分野は他にもたくさんあったが、兵衛弥次郎という男が選んだのは警察官としての道だった。当時の感情は今となっては思い出せないが、警察官を志した以上、確かに正義感に燃えていたはずなのだ。実際、警察官としての兵衛は間違いなく優秀であり、順調に出世を重ねて、二十七歳の時には警視庁刑事部捜査第四課へと配属。暴行や恐喝、そして賭博犯罪の捜査へと深く関わっていくことになる。


 捜査官として日々、大小様々な賭博犯罪の摘発に明け暮れていった。そうして多くの闇を照らしていく中で、それらは氷山の一角に過ぎずないという現実を思い知らされる。金銭だけをかけた賭博行為だけではなく、人間の生死を娯楽や賭け事の対象とする、デスゲーム興行と呼ばれるあまりにも巨大な闇の存在を兵衛が嗅ぎつけるまでに、それ程長い時間はかからなかった。


 巨大な組織が裏で糸を引いていることは明らかだったが、兵衛は怯まずに摘発に向けた捜査活動を開始した。警察官としての職務、正義感に兵衛は燃えていた。しかし、それに待ったをかけたのは上司や同僚といった身内の人間であった。


「デスゲーム興行の捜査だけは止めておいた方がいい」

「あれは決して踏み込んではいけない領域だ」

「お前は優秀な捜査官だ。だからこそこの件からは手を引け」


 正義感溢れる、尊敬する先輩の誰もがデスゲーム興行はアンタッチャブルであると口を揃える。だがそれは兵衛にとっては逆効果だった。誰もやらないのなら尚更自分がやらなければいけないという義務感に駆られた。表面上は捜査から手を引いた振りをしながら、兵衛は独自にデスゲーム興行の捜査を進めていく。結論から言って、同僚たちの不安は的中した。


 なまじ優秀過ぎる分、兵衛はデスゲーム興行の核心に近づきすぎ、運営側に完全に目をつけられてしまった。兵衛も身の危険を感じ始め、自衛のために備えたが、幾ら強靱な肉体と格闘能力を持つ警察官であったとしても、本気になったデスゲーム運営が相手では流石に分が悪い。プライベートで乗り合わせた路線バスが丸ごとジャックされていて、乗員乗客全てがデスゲーム運営の刺客だった時は、多勢に無勢で兵衛も敗北。十人は返り討ちにしたが、薬品で意識を奪われ、そのままバスに乗せられたまま、デスゲーム運営に拉致されてしまった。


 そうして兵衛が目を覚ました場所は、あろうことか裏社会で開催がアナウンスされ、兵衛自身もその影を追っていたデスゲームの会場であった。存在を嗅ぎまわる厄介な刑事の処分方法として運営は、デスゲームに巻き込むことを選んだ。外部の人間か内部の人間かの違いはあるが、厄介者はデスゲームの中で処理すべしとの風潮はこの頃から存在していたようだ。


 テュシアー(生贄)と名付けらたそのデスゲームには参加者同士が血で血でを洗う、いわゆるバトルロワイアルの形式で行われた。生き残れるのはたった一人。借金返済のために参加した多重債務者、家族を人質に取られて参加した善良な一般市民、刑期短縮を目的に特別参加が許された受刑者、中には兵衛のように、デスゲーム興行の闇に近づきすぎたがために巻き込まれてしまったジャーナリスト等もいた。


 誰もが引くに引けない事情を持つ中、凶器や計略によってお互いの命を奪い合う、狂気のデスゲームの幕が開いた。


 蓋を開けてみれば、最後まで生き残り、ゲームの勝者となったのは兵衛だった。


 警察官としてデスゲームのルールに従うことを良しとはせず、他の善良な五人のプレイヤーと協力し、生存の道を模索しようとした。他のプレイヤーとの対話を欠かさず、リーダーシップを発揮して導く姿は間違いなく正義の人だった。しかし、決定的な出来事が兵衛の在り方を一変させる。あろうことか仲間だったはずの五人のプレイヤーが後ろから兵衛を襲撃してきたのだ。何とかその場をやり過ごそうとした兵衛だったが、プレイヤーの一人が振るった鈍器が側頭部を直撃して負傷。膝をついた兵衛を五人のプレイヤーは嘲笑を向ける。「一番厄介そうな奴から潰すのが定石だ」と。


 仲間意識を持っていたのは兵衛だけだった。五人のプレイヤーは、警察官の肩書と屈強な肉体を持つ兵衛と一対一で戦うのは厳しいと判断し、結託して共通の敵として排除することでまとまっていたのだ。誰もが他者の命を奪ってでも達成しなければいけない目的がある。奪われるぐらいなら奪った方が良い。このゲームに参加した時点で、誰もが覚悟が極まっていた。ある意味、最も覚悟が足りなかったのは兵衛だったのかもしれない。そうして身をもって知ったデスゲームの異常性と命の危機が、足りなかった最後のピースを埋めてしまった。生き残るためには殺すしかないのだと。


 厄介な相手から信頼を得た上で不意を突き、数の暴力で攻めるという戦術は正しかったが、一つだけ想定が甘かった。不意を突こうが、頭部に先手を加えようが、圧倒的な戦闘能力を持つ兵衛を討つのに五人ではあまりにも人数が少なすぎる。


 生存本能に突き動かされた兵衛は初めての殺人行為を躊躇わなかった。兵衛は側頭部を一撃してきたプレイヤーに対してハンムラビ法典よろしく、強烈な回し蹴りを側頭部へと叩き込み、その圧倒的な破壊力で頭蓋を粉砕。一撃で絶命させた。頭部から流血しながらも、肉体一つで人を殺して見せた兵衛の姿はあまりにも恐ろしかったのだろう。自らの撒いた種でありながら、残る四人のプレイヤーは完全に戦意を喪失していた。一度スイッチの入った兵衛は決して立ち止まることはなく、得意の足技で叩き、打ち砕き、へし折り、踏み潰し、瞬く間に殺害されていった。彼らは善良な警察官の中に眠っていたバーサーカーを呼び覚ましてしまったのだ。


 そこから先はもう、一人の怪物による一方的な蹂躙であった。殺した相手から次々と武器を奪い武装を強化した兵衛は出会うプレイヤーの全てを敵とみなし、発見次第容赦なく狩っていった。兵衛が警察官であると知り、デスゲーム興行を追い続けて来たジャーナリストが協力を持ちかけてきたこともあったが、兵衛は一切話し合う姿勢を見せずに容赦なくジャーナリストも殺害した。信頼してもまた裏切られるに決まっている。信頼し合えたとしても生き残るがことが出来るのはたった一人だけ。ならば殺さない理由なんて何もない。殺戮に走りながらも理性的な一面も持ち合わせる。それが兵衛弥次郎の何よりの恐ろしさであった。最後に相対したのは、兵衛に負けず劣らず多くのプレイヤーを殺害した、減刑のために参加した受刑者の男だったが、兵衛の前ではまるで相手にならなず、減刑の甘言に乗ってデスゲームに参加したことの後悔を口にしながら、兵衛に蹴り殺された。


 運営側は決着までの時間を二日程度と想定していたが、兵衛という規格外の怪物の存在によって、当初の想定の半分以下である十九時間でテュシアーは決着。全国の中継会場に映し出された勝者は、全身を返り血で染めて赤鬼のように風貌となった兵衛弥次郎の雄々しき姿であった。


 勝者として願いを叶える権利を兵衛は得たが、彼は元の生活に戻ることも、大金を得ることも望みはしなかった。元いた世界は自分がいるべき場所ではないと、この狂気のデスゲームの中で自覚してしまった。ゲームを経て変わったのではない。元来宿してた攻撃性が目覚めたのだ。兵衛は決して殺戮に至った己を嫌悪することはなく、むしろ肯定していた。全てはこの日のためにあったのだと、運命めいたものさえ感じていた。活かしきれなかった身体能力を初めて活かすことが出来た。自分には警察官よりもよっぽど天職ではないか。


「俺を運営側として雇う気はないか?」


 兵衛は報酬として、あろうことか自らをデスゲーム運営へと売り込んだ。その日から兵衛弥次郎という警察官は表向きは失踪し、裏社会へと身を投じた。


 そうして今日に至るまで、兵衛は多くのデスゲームに運営側の人間として関与していくこととなる。時にはデスゲームの仕掛けの一部として、ミスを犯したプレイヤーを射殺した。広大なゲームフィールドから逃走を図ろうとしたプレイヤーをナイフで刺殺したこともある。時には裏切り者の粛清のために、持ち前の蹴り技で首の骨をへし折ってやったこともあった。


 デスゲーム運営お抱えの処刑人として十二分の活躍を見せていた兵衛だったが、今から一カ月前。致命的なミスを犯した。とあるデスゲームでルール違反者としてプレイヤーを処理したのだが、それは兵衛の独断専行であり、そのプレイヤーはルール違反を犯していなかったことが判明。幸いにもデスゲームそのものに大きな影響は出なかったが、上からの指示を仰がぬままミスを犯した兵衛の判断は問題となり、処分保留のまま謹慎を申し付けられた。

 

 優秀な処刑人である一方で、過剰に殺し過ぎる兵衛に関してはかねてから問題視する声が上がっており、今回のミスによってそれが一気に表面化した形だ。兵衛はデスゲーム運営がその存在を持て余してしまう程の怪物なのだ。


 そうして兵衛に下った判断は、新感覚デスゲーム、ドラコの玩具箱へのプレイヤーとしての参加。始まりと同じく、デスゲームに参加することで初心を思い出すように運営は仕向けたのだ。脱落するようなならそれまでの人間だし、生還した暁には職務への復帰を検討する。兵衛弥次郎は再び、デスゲームの舞台で運命を試されているのである。

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