第13話 お手玉

「……今のままじゃ次のチャレンジが始められないでしょう。さっさと片づけてくれる」

『大変失礼いたしました。直ぐに準備に取り掛かります』


 一見冷たくも思える冴子の言葉は御手洗へのせめてもの情けだった。彼の遺体をあのまま晒し続けるのはあまりにも可哀そうだ。ドラコは直ぐに要望に答え、御手洗の遺体と参加者との間に目隠しの赤い幕が垂れさがった。


「大丈夫ですか?」


 吐き出す物も亡くなり、嘔吐感が治まってきた輪花の背中を士郎が擦った。こんな状況下で誰かに優しくしてもらえるなんて思っていなかったのか、輪花の目には涙が浮かぶ。


「……ありがとうございます。積木さん」


 顔を上げた輪花は持っていたハンカチで恥ずかしそうに口元を拭った。よく見ると、着ていたブラウスやジャケットにも嘔吐物が飛んでいる。


「その格好じゃ落ち着かないでしょう。上着を着替えたらどうですか? 俺のパーカーで良ければ貸しますから」

「わ、悪いですよ。汚しちゃうし」

「こんな状況下だ。それぐらい些細な問題ですよ」

「優しいんですね」


 人の良さそうな士郎の笑顔に絆されたのか、輪花は快くパーカーを受け取り、部屋の隅へと移動。ジャケットとブラウスを脱いでキャミソール姿になると、士郎のパーカーを羽織った。


 ――戦意喪失して使えなくなっても困るし、今は優しくしておくか。


 士郎の行動は善意ではなく打算的なのだが、心意を悟られない人好きする雰囲気は生まれついての才能だった。


『皆様、大変お待たせいたしました。ジャグリングボールの準備が整いましたのでご案内します』


 五分程でアナウンスがかかり、目隠しの幕が取り払われる。そこには凄惨な光景の面影は何一つ残されておらず、時間を巻き戻したかのように、椅子と、三つの黒いボールが置かれたサイドテーブルが設置されている。


『ジャグリングボールの二人目の挑戦者をお選びください』


 胡鬼子の時は直接死体が見えなかったのでまだ動揺は少なかったが、御手洗の惨たらしい末路を見届けた今となっては動揺の色は隠せない。今回に限ってはまだ初見の方が気負いなくゲームに挑めていたかもしれない。


「それじゃあ、俺が挑戦しますよ」


 張りつめた空気など意にも返さず、士郎が堂々と名乗りを上げる。言葉に出さないまでも多数が安堵の表情を浮かべ、同時に自ら危険に飛び込んでいこうとする士郎に対して奇異の眼差しを向けている。


「本当にいいの? さっきも体を張ったばかりなのに」


 冴子だけは本心から士郎を心配してくれているようだった。名乗りを上げなかった時点で自分も他の参加者と同類だが、それでも士郎にばかり負担をかけるのは良心が痛む。


「たかがお手玉ですから」


 この期に及んで楽観視しているとも思えないが、士郎は本当にただ遊ぶだけかのように気負いがない。


「つ、積木さん。頑張ってください!」


 先程パーカーを借りた輪花が士郎に声援を送る。すっかりデスゲームの恐怖に飲まれていた彼女が声を張った姿に、周囲はやや面食らっている。


「俺はいつでも準備オーケーだ」


 士郎が処刑台と紙一重の椅子に深く腰掛け、体の拘束も嫌な顔一つせずに受け入れる。片づけと清掃が済んだとはいえ、直前に御手洗が惨死した場所でのその落ち着き様は、冷静さを通り越して、ただただ異常だ。


『ジャグリングボール。積木士郎様の挑戦、スタートです!』


 士郎は躊躇わらずにジャグリングを開始。三秒未満で一巡させ、危険なボールはちょうど、空中の最高地点に達したところで針を突き出した。二巡目もほぼ同じペースで回していき、危険なボールは最高地点からやや落下を始めたところで針が飛び出した。三巡目に入ると、士郎は危険なボールを左手から右手へと移す際、これまでよりも素早く掴み取った。これによってタイミングが微調整され、危険なボールを再び、ほぼ空中の最高地点に達したところで針が飛び出し、その後、安全に左手の中へと治まった。


「あの極限状態の中で、感覚だけで調整してやがる」


 見ている方が緊張してしまい、兵衛は柄にもなく冷や汗を浮かべる。士郎は開始以来ずっと正面を見据えており、視界の端に映るボールの軌道と、正確無比な手の動きだけで器用にジャグリングをこなしてる。加えて三秒間を数える体内時計もほぼ正確で、動きで徐々に生じるズレもすぐさま修正する隙の無さ。デスゲーム狂とは聞いていたが、どこまでも底が知れない。


「これで最後かな」


 士郎はジャグリングの回数もしっかりと把握しており、危なげなく最終十巡目に到達していた。両手のと空中の輪を一周する三つのボールが、最後の軌道を描く。


「フィニッシュ!」


 完璧に十巡を終えた瞬間。士郎は三つのボールを後方に投げ捨てた。直後に危険なボールから針が飛び出し、甲高い音を立てて床へと落ちた。クリアに安堵したからといってボールを手放さないのは危険だと最初から警戒していたが、やはり意地の悪い仕様となっていた。万が一手を傷つけていたら今後のプレイにも差し支える。


『積木士郎様! 見事にジャグリンボールをクリアです。二度に渡りデスゲームをクリアしてみせた積木様に賞賛の拍手を!』


 ド派手なファンファーレと共に各地のパブリックビューイング会場からの声援が届けられると、士郎は満更でもなさそうにカメラ越しに手を振る。直後に体の拘束が解除され、自由を取り戻した。


「お疲れ様、積木くん」


 士郎に真っ先に駆け寄った冴子が労いの言葉をかけた。他の参加者たちはすでに、解放された次のゲームへと続く扉への移動を開始している。輪花もその中にいたが、士郎と冴子のやり取りが気になるのか、ずっとそっちを気にしていた。


「凄い集中力だったわね。この緊張感の中でよくもまあ冷静に」

「伊達に何度もデスゲームに挑戦してないですから。自分である程度タイミングを調整出来る分、ヌルゲーでしたよ」


 緊張感や恐怖心の薄い士郎にとっては、今回のジャグリンボールは一定の感覚を維持し続けるだけの簡単なゲームだった。一方でそれは士郎が特殊過ぎるのであって、一般人かつ、覚悟も決まっていなかった御手洗にとっては高難易度だったのは間違いない。ゲーム開始直前の体の拘束が無ければ、彼とてここまで焦りはしなかったかもしれない。


「それよりも、気付きましたか」

「胡鬼子さんの時と同様、ファーストペンギン選びはやはり作為的ってことでしょう。ジャグリンボールは日本でいうところのお手玉。御手洗玉栄の名前には、お手玉が含まれている」

「二例目が出たことで傾向が見えてきた。自分がファーストペンギンになった時にどういたデスゲームを強いられることになるのか、ある程度覚悟を決めておくことは出来る。俺や綾取さんなんて特に分かりやすい部類でしょう」

「綾取りか。私、綾取りはあまり通ってきてないから自信ないな」


 らしくもなく冴子は不安を漏らす。胡鬼子のゲームに関してはある程度の拡大解釈がなされていたが、今回の御手洗のゲームは危険性はともかく、内容は原点のお手玉とそこまでの違いはない。冴子的には胡鬼子の時のようなパターンの方がまだ見込みがあった。


「このこと、他の人には?」

「別に伝えなくてもいいんじゃないですか。気づく人は気づくだろうし、伝えたところで対処出来るようなものでもないし」


 士郎の言う通り、ここで深く考えても仕方がない。重要なのは予測よりも、初見でもそれをクリアする集中力や洞察力、勝負強さだ。下手に予測してもそれが外れたら動揺するだけ。今はドッシリと構えている他なさそうだ。

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