第12話 御手洗玉永

 御手洗玉永は関東、東海地方を中心に多くのリゾート開発を手掛けてる「御手洗リゾート」の二代目社長で、急逝した父の後を継ぎ十五年前、三十六歳の時に社長に就任した。大胆な経営改革によって先代の頃よりも利益を上げ、経営者としては高い評価を得ていたのだが、同時にプライベートでは闇賭博に出入りするような享楽的で危険な一面を持ち合わせていた。そのくせ悪運は滅法強く、当局からの摘発は常に間一髪のところで逃げ延びてきている。そんな御手洗が裏社会の興行の極みとでも呼ぶべきデスゲームと関わることは必然だったに違いない。


 この世で最も刺激的な娯楽に出会った御手洗は観客としてデスゲームに入り浸り、上客として運営側にも認知されるに至った。運営が御手洗に出資者としてデスゲーム興行に一枚噛まないかと持ちかけて見ると、御手洗は二つ返事で快諾した。出資者として時にゲームの内容にも意見を出すことが出来る。人の生き死にを操る神になった高揚感を味わい、御手洗は有頂天に達していた。


 しかし、二年程前から風向きは大きく変わる。宿泊者数の減少によって「御手洗リゾート」の売り上げは下降、そこに施設の老朽化のタイミングも重なり、会社の経営が傾き始める。御手洗も経済的な余裕を失い、長年続けてきたデスゲームへの出資から降りようと考えていたのだが、その考えは浅はかだった。事情を知った人間を、デスゲーム運営は決して簡単に解放してはくれない。死ぬまで血の川を渡る覚悟も無しに、デスゲームになど関わってはいけないのだ。


 御手洗はデスゲーム関係者との連絡を絶ち、沈黙を貫いてきた。名の知れた経営者をそうそう襲撃など出来ないだろうと高を括っていたが、現実はこうして拉致され、あろうことかデスゲームにプレイヤーとして参加させられてしまった。運営側からすれば、出資者としての価値を失った人間の、最後の有効活用のつもりなのだろう。単に殺しても面白味がないから、せめてデスゲームの中で見世物となって死んでほしいのだ。一方でこれは御手洗に与えられたラストチャンスとしての意味もある。デスゲームに関わってきた者として、運営がデスゲームをクリアした人間に対しては寛容であることを知っている。しがらみを断ち切るには、活躍を見せる他ないのだ。


 禁断の領域に立ち行ってしまったのは御手洗の自業自得だが、それでも経営者として会社を立て直したい、社員の生活を守りたいという気持ちに嘘偽りはない。このデスゲームから生還したら、今後は一切危険な領域とは交わらず、経営者として真面目に頑張ろうと心を決めていた。


 ※※※


「……危なかった」


 六巡目を終えた御手洗は冷や汗をかいた。危険なボールが、右手から離れた直後に針が飛び出したのだ。三秒間隔で針が飛び出すと分かっていても、機械ではなく人間の手で回している以上、緊張感や僅かな動きの違いで、少しずつタイミングがずれてきてしまう。これまでは勢いで乗り切って来たが、今のままでは七巡目は、右手の中でボールから針が飛び出してしまうかもしれない。ここで修正しなければ激痛と失敗は必至だ。


 ――あれ? どこでタイミングを調整すれば……。


 初めて生じた思考の時間が、御手洗に一瞬のパニックを生み出した。空中に放ったボールを掴み損ねて、慌てて左手で掴み取る。安定していたペースを途中で切り替えるのは難しい。流れに任せてきたので、脳と指先の動きが上手く一致しない。


 ――あれ? 今のでどれぐらい時間を使った。


 極限の緊張感は一瞬を永遠とも錯覚させる。一度脳が危険信号を発すると、今この瞬間にも握り手を針が貫くのではという懸念が無限に増殖を始める。直感的に御手洗はボールを回すペースを早めた。


 ――ペースを乱した時点で駄目だぜおじさん。


 冷静に御手洗の動きを観察していた士郎が内心で御手洗を見限った。六巡まで見せてくれただけで、ファーストペンギンとしての役目は十分に果たしてくれた。


「あれ? どうしてまだ針が飛び出さない?」


 意図してペースを早めたはずなのに、空中に放ったボールからは針が飛び出さない。全身の感覚が危険信号を発するが、短時間に何度もこなした作業はすでに体に染みついている。落としてしまうことだけは絶対に駄目なのだ。ほぼ反射的に、御手洗の左手が空中のボールを掴み取った。


「ぎゃああああああああああ!」


 左手で握り込んだ瞬間、ボールから無数の鋭利な針が飛び出し、手の甲や指まで易々と貫通し手を血塗れにした。針は一瞬で縮み、激痛で堪らず開いた御手洗の左手からボールが、血の雫と共に無情に零れ落ちる。


『御手洗玉永様。ジャグリングボールへの挑戦は、惜しくも七巡目で失敗となりました』


 激痛にのたうつ御手洗には、感情的にドラコに食って掛かる余裕すら存在しなかった。


『残念ですがデスゲームに努力賞は存在致しません。御手洗様には失敗の代償を、そのお命で支払って頂きましょう』


 体を拘束されているので、御手洗どこにも行くことが出来ない。そこに追い打ちをかけるように、分厚く丈夫な透明なケースが頭上から降りてきて、御手洗の周囲を完全に囲う。ケースの天井には、スプリンクラーのような機械が取り付けられている。デスゲームの出資者として、滞っていた支払いのツケを払う時がやってきたのだ。


「ま、待ってくれ! 金なら用意するから、命だけは……」


 左手の痛みに悶えながらも、御手洗は生にしがみつき必死に懇願する。財産を整理すれば出資金の穴埋めぐらいは出来る。破産しようとも、今はとにかく命が惜しかった。しかし、すでに御手洗への興味を失くしているドラコは、一切反応を示してはくれなかった。


『これからケース内には強力な溶解液が降り注ぎ、御手洗様は原型を留めぬ程に溶けてしまわれることでしょう』


 ――成程、予選ブロックの時と同じやり方ね。


 士郎は類家万里生とのリフティング勝負を思い出していた。胡鬼子の時と違い、失敗からの即死ではないので御手洗がどうやって始末されるのか疑問だったのだが、主催者の嗜好か観客からの要望なのか、このデスゲームは人間を溶かすことを好むらしい。


「い、嫌だ! 生きたまま溶かされるなんて!」

『執行!』


 無情にもスイッチが入れられ、スプリンクラーから溶解液が降り注いだ。


「や、やめ――熱いいええェェェアァぁぁィああああ――」


 一滴肌に降り注いだだけで御手洗からは白煙と絶叫が上がる。続けて大量の溶解液が降り注ぎ、絶叫は断末魔へ、そして次第に獣の唸り声へと変わっていった。


「……もうやめてよ」


 残酷な光景に耐え切れず、輪花が目を耳を塞いでその場にへたり込む。冷静でいられたのは士郎と兵衛ぐらいで、残る三人も流石に絶句した様子で立ち尽くしている。

肉体から立ち上る白煙がやがてケース中を満たしていき、御手洗の影も声も全てを飲み込んでいき、一時の静寂が訪れた。


 ケースが解放され、据えた臭いを纏った白煙が広がったが、強力な排煙装置が発動して煙は部屋の上部の隅の方へと吸い上げられ、視界は直ぐに確保された。否、確保されない方が良かったのかもしれない。


 ケースの置かれていた位置では、一部溶け残った御手洗の肉片や骨と椅子の破片がベッタリと混ざり合い、歪な肉塊を形成していた。血だまりも相当なもので、この世のものとは思えない壮絶で悍ましい光景であった。


「人が溶け――」


 初めて目の当たりにした死体がよりにもよってこれだったので、耐性のない輪花はその場で激しく嘔吐した。


「惨いことしやがるぜ」


 顔色一つ変えていないが、兵衛も彼なりには御手洗に同情を示していた。処刑人として死体は見慣れているが、ここまで凄惨な光景は流石に経験がない。

 気分を害したのか、登呂と龍見は肉塊を直視しようとはしない。生きたまま溶かされる残酷さを思えば、高所から転落死した胡鬼子の死に方はまだ温情だったとさえ思える。

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