第10話 羽根突き

「回転?」


 胡鬼子が飛び移ろうとした瞬間、最後の板が半回転して立て向きとなった。胡鬼子の体はすでに足場から離れているが、目指す先に足場はない。


「胡鬼子さん!」


 万事休すか。冴子の叫びが響き渡る。


「僕を舐めるなよ!」


 胡鬼子は咄嗟に板の縁を掴み、落下せずにギリギリ持ち堪えていた。しかし、一般的な成人男性並みの握力と身体能力では、ここから自力で這いあがることは難しい。ピンチは変わらず、落下は時間の問題かと思われたが。


「思った通りだ」


 板は前方に半回転を始め、胡鬼子の体は安定感を取り戻した。板が縦回転したまま飛び移るのではあまりにも難易度が高すぎる。他の板同様に再び動き出す可能性を信じて数秒間をギリギリ耐えたが、何とかその賭けに勝った。


「このゲームのクリエイターとは、後でゆっくりお話ししたいものだね」


 仕様上、板は再び半回転して足場が変わるはずだ。胡鬼子は素早く立ち上がり、ゴールである向こう岸を目指そうとしたが。


「何か飛んで――」

「駄目よ、胡鬼子さん!」


 突然ゴール付近から何かが高速で射出された。それは胡鬼子の顔面を直撃し、顔中を真っ黒に染め上げた。突如顔面を襲った衝撃と視界不良によろめき、狭い板の上で足を踏み外してしまった。


「何も見――うわあああああああああああああああああ――」


 胡鬼子が最後に感じたのは、バランスを崩して体が空中へと投げ出された浮遊感と、直後に訪れた絶望的な落下の感覚。暗くて深い竜ののどは、胡鬼子の断末魔さえも貪欲に飲み込み、最後は悲鳴も落下音も聞こえなくなった。


『胡鬼子竜壱様。大健闘なされましたが、惜しくも最後の板をクリアすることが出来ませんでした。ご観覧の皆様、彼の勇気あるプレイに賞賛の拍手をお与えください』


 画面上のドラコの言葉に、観客たちが湧いているのかどうかは定かでないが、少なくともプレイヤー側には誰一人として拍手を届ける者はいなかった。


 ゲーム中、知人である胡鬼子に何度も声援を送っていた冴子は無念さに歯噛みしたが、決して取り乱しはしなかった。自身もデスゲームクリエイターである以上、結果そのものは冷静に受け止めているのだろう。


 同じく日頃からデスゲームに深く関わっている兵衛と登呂の二人も死は見慣れているのか、そこまで動揺している様子はない。


 一方で、日頃はデスゲーム本編との関わりが薄い御手洗は、デスゲームクリエイターである胡鬼子をも脱落させる難易度に絶望して頭を抱えていた。始めて人の死を目の当たりにした輪花は放心状態のまま奈落を見つめている。胡鬼子が遥か奈落の底へ落ちていったのがせめてもの救いか。惨たらしい死体がその場に残るような死に様だったら、彼女はその場で卒倒していたかもしれない。


 そんな中、意外な反応を見せたのはデスゲームの仕掛け職人である龍見で、胡鬼子の死を悼むように、目を伏せて合掌を捧げている。同じデスゲームに関わる機会も多かったので、彼なりに仲間意識は感じていたのかもしれない。


『残念ながらファーストペンギンである胡鬼子様は脱落されてしまいましたが、ラケット&シャトルはまだ終わりではありません。次なる挑戦者をお選びください』


 強制参加であるファーストペンギン以降は、誰かが挑戦すべきかは運営側からは指名しない。故にプレイヤーの自主性が重んじられることになるが、犠牲が出た直後に率先して危険に飛び込もうとする奇特な人間など、本来は早々現れることはない。


「それじゃあ、次は俺が」


 士郎が堂々と名乗りを上げた。今回のデスゲームにはデスゲーム狂という例外が存在している。実際士郎は胡鬼子が足を踏み外し失敗を確信した瞬間から、彼のこれまでの行動パターンを思い返し、すでにイメージトレーニングを始めていた。


「本当にいいの? 積木くん」


 冴子だけは士郎の身を案じてくれたが、他の参加者は自身が危険を冒さずに済んだことに目に見えて安堵している。


「胡鬼子さんには悪いけど、おかげで良いデータが取れました。余裕でクリア出来ると思います」

「怖くはないの?」

「怖い? むしろ楽しみで仕方ないですよ。命をも飲み込むようなゲームを征服するのって、最高にワクワクするでしょ」


 虚勢ではない、屈託のない笑みを浮かべて士郎は持ち場につく。その姿に冴子はゾクリとした。士郎は命を繋ごうとしているのではない。純粋にゲームで遊ぶ気満々なのだ。


『積木様、勇敢な姿勢にゲームマスターとして心から敬意を表します』

「ありがたく受け取っておく。俺がいなきゃ放送事故だ」


 士郎は悪意なくドラコの心境を代弁する。次のプレイヤーを決めるために参加者同士が小競り合いするなど興行としてはあまり見せたくない場面だが、生中継だとカットも難しい。そういった部分も考慮して、ドラコはデスゲームに積極的な人材として登用したのかもしれない。


『セカンドチャレンジのスタートです』


 合図と同時に士郎は迷いなく駆け出し、飛び石のように鮮やかに序盤の板を飛び移っていく。ファーストペンギンの胡鬼子のおかげで、中盤までは動きのないシンプルな並びであると判明している。躊躇う理由は何もない。


「手の内が分かってるとはいえ、迷いが無さすぎる」


 一貫して冷静だった兵衛も思わず舌を巻く。一歩間違えれば奈落に真っ逆さまの高さであるこは何も変わりない。それを士郎は公園の遊具のように攻略している。

 中盤以降はタイミングを見極めるためにややスピードダウンこそしたが、一巡目で的確に次の板へと乗り移っていく。まるで速度を極めたRTA(リアルタイムアタック)を見ているようだ。そうして士郎は危なげなく、胡鬼子が力尽きた最後の板の直前まで到達した。

 誰もが固唾を飲んで士郎を見守っている。何が起きるか分かっているとはいえ、それに適切に対処出来るかはまた別問題だ。


「これでどうかな」


 士郎は板に飛び移るのではなく、その場で真上にジャンプして足場に着地した。すると、それをきっかけに最後の板が、胡鬼子の時のように半回転を始めた。これならタイミングを見極めて、板が水平になったところで安全に飛び移ることが出来る。


「なるほど。一つ手前の足場から足が離れることが起動スイッチだったのね」


 何が起きたのかを冴子は即座に理解したが、この方法は胡鬼子の犠牲ありきで判明したものだ。ファーストペンギンであった胡鬼子の難易度とは比較にならない。それに難所はまだ残っている。胡鬼子の顔面目掛けて射出された墨のようなもの。あの弾速は身構えたところで回避出来るものではないし、無理に回避しようとしてバランスを崩せば本末転倒だ。しかし。


「何も起こらない?」


 板が水平になると同時に士郎は飛び乗ったのが、彼に対して墨が射出されることはなかった。冴子の困惑を他所に、士郎は一切動じることなく、即座にゴールへと飛び移った。まるで全ては予定調和だったかの如く冷静な行動だ。


『やりました! 積木士郎様、見事にラケット&シャトルをクリアです』


 ゲームをクリアした瞬間、派手なファンファーレが鳴り響いた。それと同時に地響を伴って奈落だった場所に床がせり上がってくる。ゲーム開始前の水の張っていないプールのような形状へと戻った。奈落ではなく深さ二メートルの窪みであれば、他の参加者も安全に向こう岸まで渡ることが出来る。


「お手柄だったよ君」


 ゲームをクリアしたことで一目置かれたのだろう。登呂は感心した様子で士郎の肩に触れた。無言だが、兵衛と龍見もすれ違いざまに明らかに士郎のことを意識していた。心強い味方だと感じたのか、デスゲームを争う難敵として認識したのか。その真意は本人のみぞ知る。


「す、すみません。手を貸してくれませんか」


 輪花が士郎に助けを求める。男性陣が自力で這いあがる中、小柄な彼女は自力では上がれなかったようだ。士郎は無言で手を伸ばし、輪花の体を引き上げた。


「ありがとうございます。おかげで助かりました」

「別にこれぐらいは」

「積木さん凄いんですね。無駄のない動きに惚れ惚れしちゃいました。次も期待していますね」


 笑顔でそう言うと、輪花は他の参加者たちを追って出口へと向かっていった。


「大活躍だったわね」


 輪花と同じく士郎に引き上げられた冴子が合流。他の参加者達はすでに第一ブロックを後にしている。


「積木くん。一つ聞いてもいい?」

「何ですか?」

「回転する板の攻略はお見事だったけど、どうして胡鬼子さんの時は飛んできた墨が君には飛んでこなかったんだろう? 一度限りの初見殺しだったってこと?」


「恐らく、俺はちゃんと板の平面に着地したから成功と認められたんでしょう。対して平面に着地出来ず、縁に指をひっかけた胡鬼子さんはこのゲームにおいて失敗と判断され、ペナルティとして顔に墨を塗られた」


「ペナルティに墨。それってまさか」


 その言葉にハッとした冴子はステージを振り返った。思えばラケット&シャトルというゲーム名にも違和感を覚えた。プレイヤーをシャトルに見立てるのはともかく、長方形の板はラケットと呼ぶには一見、不自然に思える。だが、普段ラケットという呼び方をしないだけで、そういった形状をしたラケットに相当する道具を日本人はよく知っている。


「このゲームの正体は巨大な羽子板だったということね」

「はい。だからペナルティは顔に墨だったんです。打ち損じると、相手の顔に筆で墨を塗るのがお決まりですから」

「これが羽子板だったのなら、胡鬼子さんがファーストペンギンに選ばれたのも作為的ね」

「胡鬼の子とは、羽根突きの羽のことですからね。皮肉というか何というか。ゲームマスターのドラコは言葉遊びが好きなようだ」


 そう言って、士郎も出口に向かってゆっくりと歩き出した。


「遅延行為で運営に睨まれても面白くない。俺達もそろそろ行きましょう」

「そうね」


 数歩遅れて冴子も士郎の後に続いた。

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