第8話 喜悦

「仕掛けてくるなら、そろそろかな」


 胡鬼子は慎重ながらも危なげなく板を飛び移っていき、中間地点の板まで到着していた。板の上で胡坐をかいて、休息がてら思考を巡らせる。今のところは、高所で板を飛び移るというリスク以外の危険性は感じられないが、これがデスゲームである以上、これだけで終わるはずがない。前半は恐らく、高所の恐怖に耐えながら板を移動する度胸を試しているに過ぎない。デスゲームに限らず、ゲームというのは慣れてきたところで難易度が上昇していくものだ。何か起きるなら後半戦からだと胡鬼子は睨んでいた。


『胡鬼子様、流石は普段からデスゲームを企画しているだけあって用心深いですね。膠着こうちゃく状態のままというのはお互いにとって面白くありませんので、あえてこちらから手の内を晒すことに致しましょう』


 画面上のドラコが甲高く指を鳴らしたのを合図に、モーターが回るような機械音が空間に反響する。程なくして、胡鬼子の視線の先にある後半の板が、上下や左右に不規則に動き始めた。一番近い斜め左前の板も三十センチの上下移動を繰り返している。


『シャトルを捉えようと様々な動きを繰り出すラケットを、果たして胡鬼子様は攻略することが出来るのでしょうか? ラケット&シャトルはここからが本番です』


 ――ラケット&シャトルという名前の時点で妙に作為的だったけど、なるほど、だからファーストペンギンは僕だったのか。


 ファーストペンギンはルーレットによって決められたような演出だったが、実際は最初から自分が選ばれることは決まっていたのだと胡鬼子は確信した。この場で声を張って他の参加者と情報を共有するという手もあるが、現時点で胡鬼子にそのつもりはなかった。そのような行為はデスゲーム興行という面では美しくなく、余計なペナルティを負わされたら本末転倒だ。プレイヤーの立場としても、情報は独占し優位な状況を作り上げるべきだと胡鬼子は考えている。必要があれば共闘もやぶさかではないが、生存というパイが限られたゼロサムゲームである可能性を考慮すれば、自分だけのアドバンテージを得ておくことには大きな意味がある。


「結局のところ、こういう時に物を言うのは度胸か」


 大きく深呼吸をすると、胡鬼子は意を決して行動を開始した。タイムラグを計算し、最高地点に到達した板が下降を始めるタイミングで飛び出し、板がほぼ同じ高さとなった瞬間に見事に着地。姿勢を低くして重心を下げ、慣れない下降の動きも板の上で確実にやり過ごした。


「半分を越えた。もう少しだよ胡鬼子さん!」


 スタート地点で待機するプレイヤーの中で、唯一冴子だけが温かい声援を送ってくれた。それに胡鬼子も笑顔で手を振って応える。これでゲームの半分を越えた。残りの板もこれまでにない動きを伴っているので油断は禁物だが、クリアできる見込みは十分だと胡鬼子は確信した。


 次に待ち受けている板は伸縮を繰り返しており、最も伸びた状況での板の長さはこれまでと同じ六メートル。最も縮んだ状態では二メートル程度で、足場も悪い中でこの距離を飛ぶのはまず不可能だ。上下移動だった今回とは異なり、足場との距離が離れている以上、着地の瞬間に足場が存在しないリスクがある。上下移動している足場から、伸縮している板へと飛び乗る。ゲームの難易度が一気に上がったといえる。


「微妙にタイミングをずらしてくれているのか」


 着地先の板の伸縮の方が時間がかかっており、足場の上下移動とは動作のタイミングが少しずつズレていく。タイミングが読みにくい一方で、動作をずらしたのはゲーム性を出すための運営側のある種の温情だ。動作のタイミングが完全に一致していたら最悪、理想のタイミングが永遠に訪れず、一か八かのギャンブルを強いられることになるが、ズレがあるならタイミングを待つことで修正出来る。


「狙うならここだ」


 足場が最も高い位置まで上昇し、飛び移る先が最大まで伸びきる直前のタイミングで胡鬼子は飛び立ち、板が伸びきったタイミングで真ん中に見事に着地。高さを伴ったので普段よりも足場が揺れたが、バランスを崩す程ではなかった。


「……ははっ、プレイヤー目線なんていつ以来だったかな」


 死の足音がより明確に聞こえてきたにも関わらず、胡鬼子に宿った表情は喜悦だった。ずっと忘れかけていた、プレイヤーとしての感覚。誰しもがゲームというものに最初はプレイヤーとしての立場で触れる。そこでゲームの楽しさに目覚めるからこそ、今度は作り手として自分がゲームを世に送り出したいと感じるようになっていく。


 長年デスゲームクリエイターとして新たなデスゲームを企画する日々の中で、すっかり忘れていたプレイヤーとしての感覚を胡鬼子は取り戻しつつあった。それをデスゲームの中で実感するというのも極端な状況だが、危機的状況の中にあって唯一の収穫だとさえ感じられていた。このデスゲームをクリア出来たら自分はクリエイターとして一皮剥ける。こんな時になんだが、無性に新作の構想を練りたい衝動に駆られていた。


「胡鬼子さん、笑ってる?」

「楽しそうで何よりですね」


 死線の中で笑みを浮かべる胡鬼子に冴子は若干引いていたが、士郎は同類を見つけたように愉快そうだった。極限状態を楽しむ境地に達した人間は強い。もちろんそれはあくまでもメンタルの話であって、身体能力が急激に上昇するわけではないが。


「さあさあ、僕を止められるものなら止めてみせなよ」


 完全に勢いづいた胡鬼子はペースアップした。次に待ち構えていた、前後に移動する板は最も間隔が近づく瞬間を見切って難なく着地。事前にタイミングを計算したようで、次の板にも直後に危なげなく飛び移ってみせた。これでゴールまで残す板はあと二つだ。


「これだけ軽快な動きを見せれば、ファンサービスも十分だろう」


 頭上に中継用のカメラを見つけると、胡鬼子は笑顔で手を振る余裕まで見せつけた。普段はデスゲームを運営している側の人間としての皮肉か、あるいは自身をゲームに招待した人間に対する、彼なりの敬意の現れなのかもしれない。


「こんなものか?」


 タイミングを見極め、縦横に複雑に移動する板の上へと見事に飛び乗った。これで残す板はあと一枚だが、中盤以降の複雑さが嘘のように、最後の板は不動を維持している。今いる足場が動いているとはいえ、これでは原点回帰だ。何かが仕組まれているのは火を見るよりも明らかだが、まさか恐れを抱いたままここで一生を終えるわけにはいかない。


 ――ヒントは無しか?


 テンションは上がっているが、勢いだけで行動せず、思考を巡らせる程度には胡鬼子は冷静さを保っていた。周辺の状況やこれまでの内容を振り返ってみても、最後に起きる出来事を示唆するものは確認出来ない。デスゲームクリエイターとしての視点から、事前に対策するタイプの試練ではなく、その瞬間の反射神経や集中力を試すタイプの試練であると胡鬼子は分析した。高難易度の鬼畜ゲーであったとしても、攻略不可能のムリゲーでないことは間違いない。


「後は出たとこ勝負だ!」


 意を決して、胡鬼子は最後の板へと飛び移った。

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