第3話 リフティング

『それでは、ドラコの玩具箱予選ブロック。リフティングのルールについてご説明いたしましょう』


 リフティングというゲーム名を聞いて、士郎と類家の視線は自然と、芝生の中央に置かれたサッカーボールとスポーツシューズへと向いた。


『ルールは至ってシンプル。そのサッカーボールを使ってリフティングを六回成功させればこのゲームはクリアとなります。ただしデスゲームという性質上、失敗には苦痛を伴います。六回未満でボールを落としてしまった場合、惨たらしい死が訪れる。誤解を恐れずに助言するなら、どれだけ普段通りの己を貫き通せるかが鍵となることでしょう』

「……命懸けのリフティングかよ。上等じゃねえか」


 一度も失敗が許されない極限状態のリフティング。これは強靱な精神力と集中力が必要とされるデスゲームなのだと類家は理解した。種目がリフティングだったのは幸運だ。類家は中学、高校時代はサッカー部に所属していた。ブランクと緊張感を差し引いても、六回なら成功させる自信がある。不安材料があるとすれば。


『公平を規すため、リフティングは二人同時に開始といたします。開始前に何か質問はございますでしょうか?』

「なら、そこにあるスポーツシューズに履き替えてもいいか?」

『もちろんです。ご自由にお使いくださいませ』


 確認を取ると、類家は早速、元々履いていた革靴からスポーツシューズへと履き替えた。末端とはいえデスゲームの運営側の人間だ。何か仕掛けが施されていないか、履く前に入念にチェックしたが、薄くて軽量のメッシュ素材で非常に履き心地が良い。革靴なら蹴りづらかったが、これなら万全で臨める。


「俺からも一つ。ボールをピッチ外に蹴り出してクリアってのは有り?」

『サッカーならではのトンチはきいていますが、今回のクリア条件はあくまでもリフティングの達成です。六回目以外はピッチ外への蹴り出しも失敗扱いです。誤解で死なないようにご注意くださいませ』

「聞いておいて良かった。どうもありがとう」


 確認を終えると、士郎は用意されていたスポーツシューズには履き替えず、元々履いていたレザーブーツのままリフティングへと挑むことにした。


「お前は履き替えないのか?」

「履き慣れた靴の方が安定かなと思って」

「失敗しても知らねえぞ。早々に脱落して俺を動揺させることだけは止めてくれ」

「安心して。万が一あんたが失敗しても俺は動揺しないから」


 士郎の皮肉に類家は青筋を浮かべたが、ここで冷静さを失っては本末転倒だ。深呼吸をして己を律した。ムカつく相手だが、手を出すのはリフティングをクリアしてからだ。


「いつでもこい」

「俺も、いつでもどうぞ」


 両者ともボールを蹴り上げられるように、つま先をサッカーボールに潜り込ませた。


『ドラコの玩具箱予選ブロック。リフティング。ゲームスタートです!』


 両者の合意を認めたドラコの合図で、リフティングは開始された。

 コントロールを失わないようにお互いに程よくボールを蹴り上げる。類家は緊張で動きはやや硬いが、軽いシューズと学生時代の経験値でそれを補い、危なげなく一回目を成功。対する士郎の方は、重くて安定感で劣るブーツだが、平常心と平均以上の運動神経でそれを補っている。こちらも危なげなく一回目を成功した。その後も二人はリズム良く、ほぼ同時に、二回、三回とリフティングを成功させていく。六回のリフティングなど、三十秒にも満たない。たったそれだけの時間で生死は決する。


「何だよ。けっこう余裕じゃねえか」


 四回を数えると、予想以上のヌルゲーに類家は安堵の笑みを漏らした。ふと横を見ると、士郎も危なげなく四回目を成功させていた。このままお互いに六回成功してゲームクリアかと類家は確信したが。


「痛っ!」


 五回目を蹴り上げた瞬間、類家の足の甲に激痛が走った。堪えきれず、その場に倒れ込む。


「待ってくれ……そのボール……」


 リフティングのノルマは六回。蹴り上げて宙を舞ったボールを類家は芝を這って必死に追いかけようとするが、激痛は止まず、それどころか全身に麻痺のような症状が現れて体を上手く動かすことが出来なくなった。無情にもボールは数メートル先へと落下する。


「ご愁傷様。俺の方は無事にクリアだ」


 五回目を経ても士郎の方には何の異常も現れず、危なげなく六回目を受け止め、景気づけにピッチ外に蹴り出す形で六回目を成功させた。その瞬間画面からファンファーレが鳴り響き、『積木士郎クリア』の文字がデカデカと表示された。


『積木様、見事にクリアです。極限状態の中でもよくぞ自分を見失わずに到達されました。対する類家様の記録は残念ながら五回。惜しくもゲームクリアとはなりませんでした』


「ふ、ふざけるな……俺の体に……何をした……」


 類家は起き上がれず、地面に伏したまま、か細い声で抗議する。四回目までは順調だったのに、五回目で突然起こった異変。到底納得出来るものではない。


『これはデスゲームなのですよ。単なる極限状態での度胸試しで終わるはずがないでしょう。そのサッカーボールは五回蹴り上げられた瞬間に細い毒針が飛び出す仕組みとなっております。その毒は強烈な痛みと麻痺を伴うため、毒を受けた時点でリフティングの続行は不可能です』


「だったら何で……そいつはピンピンしてる……俺にだけ毒を……仕込んだのか?」

「デスゲームというのは難易度はさておき、ゲームとしてはフェアなものだ。条件は俺もまったく同じだったはずだぜ」


『積木様の仰る通りです。五回目のリフティングの際、積木様のボールからも確かに毒針が飛び出しています』


「……俺とお前の違い……まさか……靴か?」


 顔を上げる余力もない類家の視野に映りこんだ士郎の足元。そこだけが唯一、自分と士郎の違いであったことに気がついた。


「運営側が用意した靴は薄手のメッシュ素材だ。軽量で動きやすいが、毒針は易々と貫通する。それでも俺の履いていたレザーのブーツを貫通する程の強度は無かったようだな。恐らく、あんたが元々履いていた革靴でも問題は無かったはずだ」


『はい。毒針の強度は、お二方が元々身に着けていた革製の靴であれば防げる度合いで設定されております』


 ドラコの無慈悲な裏付けがさらに類家の心を抉る。ブランクを恐れて少しでも動きやすいスポーツシューズに履き替えたつもりが、その時点で運命は決していた。


「……どうして……お前は靴を履き替えなかった? 偶然か?」

「偶然じゃない。五回目に何かが起きることと、靴を履き替えるべきではないと、何となく感じていた」

「……どういう意味だ?」


「言っただろう。デスゲームというのは意外とフェアなんだ。ヒントは確かに存在していた。モニターの対角にある『5F×』のペイント。『ゴカイバツ』と読めば、五回目に何かが起きる暗示に映る。ドラコが説明の中で『誤解』という言葉を多用していたのも同様だ」


「たったそれだけで……」


「まだまだあるぞ。同じくドラコは失敗には苦痛が伴うと言っていたが、これも「苦痛」を「靴」に置き換えれば、靴が失敗の原因となる可能性が浮上する。極めつけは『どれだけ普段通りの己を貫き通せるかが鍵となる』という発言。これは精神的な意味合いではなく、普段の身なりのままで挑めというヒントだ。何が起きるかまでは予想出来なかったが、これらの情報を総合して、自前のブーツのままでゲームに挑むことにした」


「開始前に……そこまで……」


「命懸けのゲームだ。生き残るために細心の注意を払うのは当然だろう。目の前のゲームだけではなく、置かれた状況そのものを含めてデスゲームなんだから」


「だ、だったら何で俺にも情報を共有しなかった! そうすれば……こんなことには……」


 何が起きるかまでは予期できなかったとはいえ、実際に失敗してしまった類家にとって士郎の態度は見殺し以外の何物でもなかった。麻痺する体を執念で引きずり、恨みがましい目で士郎へと追い縋る。


「それは負け惜しみというものだろう。家族や恋人でもないあんたの命に責任を持つ義理はないし、デスゲームの本質ってのは、生存のパイの取り合うゼロサムゲーム。俺は自分一人が勝者になれればそれでいい」


「ふ、ふざけるな!」


「あんただって散々、たくさんの参加者をデスゲームに送り込んで来たんだろう? ずっと高みの見物を決め込んできたあんたよりも、実際に現場で命張っている俺の方がまだ良心的だと思うけど」


「てめえ、絶対に許さ――」


 足元の類家を煩わしく感じた士郎は容赦なくブーツで顔面を蹴り飛ばした。顔面から出血し、類家の体が丸太のように転がる。


「参加者の気持ちが理解出来て良かったじゃないか。次回デスゲームに参加する時はきっと、経験値の差で他の参加者よりも優位に立てるかもしれない。あっ、次回と言ってもそれは来世か」


 残酷な現実を士郎が改めて突きつける。これは命懸けのデスゲーム。敗北した時点で次は来世以外に存在しない。


『予選ブロックをクリアした積木様は第一ブロックへと進出していただきます。こちらからごお進みください』


 モニター下の壁がスライドし、一本の通路が姿を現した。


「ちなみに、この後類家さんはどんな末路を? そのまま毒の餌食?」


 血塗れの顔で必死に地面を這う類家を後目に、士郎は純粋な好奇心でモニター越しのドラコへと尋ねた。


『積木様の退室後、特殊な溶解液を散布して全て溶かしてしまいます。骨の一片も残さぬ完全消滅でございますね』

「身動きが取れない人間に溶解液か。惨いことをする」


 他人事のように肩を竦めると、士郎は淡々と出口へと向かっていく。これ以上この場に長居する理由はない。


「ま、待ってくれ! 見捨てないで……嫌だ、生きたまま溶かされるなんて……嫌だ!」


 士郎は一度も振り返らず、出る直後に手を振ることを類家への最後の挨拶とした。その瞬間、士郎の通った扉は固く閉ざされ、サッカー場は再び一つの巨大な箱と化した。


『溶解液の散布を開始します』


 その声はドラコではなく、システマチックな機械音声だった。デスゲームの敗者への措置は、完全に機械作業として行われる。


「待って! 嫌だ! 俺には家族――」


 類家の断末魔を遮るように、溶解液が降り注いだ。

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