松花堂弁当

増田朋美

松花堂弁当

連休も終わり、しばらく観光シーズンは終了する。次は、夏休みにならないと観光シーズンは無いかなと思われる。そうなると、この養老渓谷にやってくる客は、ぱったり減少して、なにか事情がある人とか、それとも、仕事が平日休みで休みだとか、そういう人ばかりやってくる。そういうときに、人が少ないからと言って、なにか事情がある人が、観光地にやってくると言うこともあるのだ。

その日、高木真理は、養老渓谷駅を発車する電車を待っていた。この電車は、小湊鐵道が運営している食堂車で、鹿の肉とか、イノシシのソテーとか、そういうものを入れた料理を出す電車で有名で、名前を「懐石列車」とつけられている。真理は、この懐石列車に乗車しようと思っていたのだ。もちろん食堂車で有名なので、乗車するときは、食事の予約が必要になる。なので、真理も小湊鐵道に電話して予約した。この地域は、いわゆる過疎地域と言われるところであり、観光シーズンが終わってしまったら、もうこの電車に乗る人も少なくなることは知っていた。だから、今日は、真理だけがこの電車に乗ると駅員から言われていた。何故か、小湊鐵道の終着駅ではなく、養老渓谷駅から発車するようになっている、懐石列車。そして、大体の人は、電車の中でご飯を食べることになるので、途中駅から人が追加される事はめったになく、大概の人は、終着駅の五井駅まで乗っていくことになる。

真理が、一時間に一本しか無い小湊鐵道の懐石列車がやってくるのを待っていると、不意に駅員が彼女に近づいてきた。

「実は今日、上総中野駅から連絡がありましてね。あと、3人のお客様が、追加されることになりました。なので、お弁当も3人分、追加いたしました。よろしくおねがいします。」

真理はびっくりした。昨日までは、自分ひとりだけで乗車するはずだったはずなのに。でも、もう切符も切ってしまったので、今更もう乗車しないなんて言えないし。そんな事を考えながら、

「あの、3人の乗客ってどなたなんでしょうか?」

と駅員に聞いてみた。

「はい、上総中野駅からの連絡によりますと、車椅子の男性の方が一名と、男性が一名、女性が一名、合計三名です。」

駅員が答える。

「そうなんですか。どちらの駅まで乗っていかれるんですか?」

真理がそうきくと、

「はい。五井駅まで乗るそうです。上総中野駅近くの旅館にお泊まりだったようで、本来、上総中野駅から五井駅にお帰りになるところだったようですが、なんでも、この懐石列車がはしるというので、それならぜひ、食べさせてくれと申し入れたそうで、承りました。もうすぐ、来ると思います。」

と、駅員は答えた。それと同時に、

「えーとここだな。養老渓谷駅。たまには寄り道するのも良いなあ。まっすぐ五井駅まで帰っちまうより、ちょっと美味いのものを食べて帰るのも悪くないね。」

と、車椅子を操作する音がして、黒大島の着物を着た杉ちゃんが養老渓谷駅にやってきた。それと同時に、水穂さん大丈夫と言いながら、一人の美しい顔をした男性と、もうひとりは、相撲取りに似たような人がいそうな、よく太った女性だった。その太った女性が、美しい男性に肩を貸していた。

「そうよねえ。このあたりでは、観光地とはいえ、レストランも少ないし、それなら、電車の中で美味しいものを食べられたら嬉しいわよ。」

と、太った女性が言った。太っているせいか、声にはりがあって、良い声だった。水穂さんと呼ばれていた美しい男性が、二三度咳をしたため、

「大丈夫よ。電車の中でご飯を食べて、五井駅に行ったら少し休めばいいわ。そして、東京駅へ言ったら、新幹線で帰りましょうね。いざとなったら、私が背負って歩くから任せておいて。」

と太った女性はしっかり言った。

「ありがとうね、市子さんが手伝ってくれてほんと助かったよ。製鉄所で寝てばかり居るよりも、こういうところにきて、のんびりするの悪いことじゃないと思ってね。市子さんは力持ちだし、頼もしいね。」

車椅子の男性が言うと、

「何を言っているの?ただ手伝ってるだけよ。それだけなのに、なんで大げさに感謝されなければならないのかしらね。太っていることを恥ずかしいと思わなくさせてくれたのは、杉ちゃんたちなのよ。」

と、市子さんと言われた女性はにこやかに笑った。それを聞いて、真理はちょっと嫌になった。太っていることを恥ずかしいと思わないなんて、どうかしているのではないかと、真理は思った。自分なんて、そのせいでどれだけいじめられただろう。そうさせないために、美しい女性に変身しようと努力したのに、今度は、家族から激ヤセのせいで、入院したほうが良いと言われてしまう始末。どうしてそうなってしまうのだろう。

「まもなく、懐石列車が到着いたします。危ないですから、黄色点字ブロックの内側でお待ち下さい。」

と駅員がアナウンスした。ちなみに過疎地域の駅なので、駅にはマイク放送もなく、駅員が声を出して電車到着をアナウンスするしか無いのである。

「ほら、電車が来るぜ。美味いものがたくさん食べられるよ。」

車椅子の杉ちゃんと呼ばれた男性が、点字ブロックの近くに近寄った。確かに電車がやってきたが、普通のロングシートの電車ではなく、電車の中に、テーブルと椅子が設置されている。たった一両しかない電車だけど、何だか電車というより、どこかのレストランで食事しているような感じだった。

まずはじめに、真理が電車に乗るように促された。この電車は指定席だ。一番端の席を予約していたのだが、駅員の話によると、車椅子に対応している席は、一番端の席にしか無いので、杉ちゃんたちと隣の席に座ってくれということになってしまったらしい。杉ちゃんたちは真理の隣のテーブルに座らされた。

テーブルの上には、松花堂弁当がおいてあった。蓋を開けてみると、イノシシ肉のソテーや鮎の塩焼きなどの豪華な料理が入った弁当がそこにあった。ただ、あの美しい男性の前に置かれた弁当は、何故か野菜ばかりで、肉も魚も一切入っていない。

「お飲み物のご注文を承ります。何にいたしますか?」

と、ウエイトレスの格好をした車掌が、杉ちゃんたちの前に来てそういった。もちろん酒も提供されていたが、杉ちゃんたちは烏龍茶とか、オレンジジュースとかそういうものしか頼まなかった。なんだか着物を着ている人たちだから、もっと高級な飲み物を頼むのではないかと真理は思ったのだが、三人はアルコール類は頼まなかった。ウエイトレスは真理のところにも来た。真理は、何故か、アルコールを飲む気になれず、烏龍茶と言ってしまった。飲み物を持ってきたのと同時に電車は発車した。杉ちゃんたちはそれでいただきますとでかい声で言って、すぐに弁当を食べ始めた。

「お、これ美味しいよ。このお魚、焼き加減もいい感じだし、野菜もよく煮えてて美味しいじゃないか。」

杉ちゃんと言われる人は、ガツガツと弁当を食べていた。

「ほんと、このお肉もすごく美味しいわ。イノシシは珍しいっていうけど、すごい美味しいわよ。」

と市子さんと言われた女性も、二人でそんな事を言い合っている。それを水穂さんと言われたあの美しい男性は黙って眺めていた。

「これも美味いぞ。ほんとここが電車の中とは思えないな。」

「そうね、まるでホテルね。」

杉ちゃんと市子さんはそう言っている。二人は、とても楽しそうに弁当を食べていた。真理も自分の目の前においてあった弁当をくちに入れて、二人が食べているのを眺めてきた。なんだか、自分としてみたら、この弁当を一度は食べてみたいと思っていたのであるが、多分着物を着ている人たちだから、高級な料理を散々食べているのだろな。真理は、着物の格とかそういう事はよくわからないけれど、あの美しい男性が来ている着物が気になった。何故か、紺色の葵の葉がついた着物を着ている。男性が着物を着ているのはテレビドラマでしか見たことがなかったが、海外の俳優さんみたいにきれいな顔をしたその男性には、なんだか似合うなと思った。

「よかったら、これもどうぞ。」

と水穂さんと呼ばれた男性が、市子に卵焼きを渡した。市子は、

「ああそうか。水穂さんは卵を食べられないのか。」

と受け取ってあっさり食べてしまった。なんだかすぐに食べてしまうのは、まずいことをしているのではないかと思われるくらいだ。

「水穂さん、食べられないものはしょうがないかもしれないけどさ、でも、ちゃんと食べられるものは食べようね。野菜とか、ご飯とか、そういう物はしっかり食べるんだぞ。部屋の中で、食べられなくても、外で食べればしっかり食べられるだろう。それは、旅館に泊まったとき、ちゃんとできたじゃないか。そういうことなら、電車の中でも食べようね。」

と、杉ちゃんに言われて、水穂さんは野菜を口にした。少し咳をしたが、なんとか食べてくれたのでそれは良かった。それではやっぱり、精神的な問題なのかなと市子が呟いていた。

「ほらしっかり食べるのよ。そうでないと、病気が治らないわよ。食べないと力がつかないわ。食べるってことは大事なことだって、あたしはちゃんと知ってる。力仕事をしているとね、食べ物のありがたさがよく分かるわ。」

「はい、わかりました。ごめんなさい。」

と水穂さんはがんばって野菜のおひたしを口にしていた。ということは、この美しい方はどこか悪いところがあるんだなと真理は思った。一方杉ちゃんと呼ばれていた男性は、べらりべらりと弁当を食べている。その落差が、なんだか可哀想な気がしてしまうのだった。

そのうちに、小湊鐵道は、田舎電車ではなく、所々に家がぽつぽつある地域に到着した。なんだか景色が変わったねなんて杉ちゃんに言われて、水穂さんは、小さな声でハイと言った。水穂さんは、ご飯を食べながら時々咳をするようになったが、それでも頑張って食べていた

「よう!お前さんも、もしかして、転地療養に、養老渓谷に来たのか?」

不意に真理は、杉ちゃんと言われる人にそう聞かれて、びっくりしてしまった。

「なんか、寂しそうにしてるからよ。それで、なにか訳アリだなと思ったのさ。まあ、もう連休も終わっちゃってるし、そういう事情がなければ、養老渓谷には来ないよな。」

その言い方が、ヤクザの親分みたいな喋り方だったので、真理はびっくりした。

「大丈夫です。杉ちゃん、決して悪い人ではありません。ただちょっといい方が乱暴なだけで、何も悪い人では無いですよ。」

市子さんにそう言われて、真理は、なにか答えなければならないなと思った。

「いえ、思い出の地へ行きたかっただけなんです。それでこさせてもらいました。」

真理がそう答えると、

「へえ、どんな思い出なの?子供時代の思い出?それともなくした恋人とか家族とか?ちょっと教えてくれよ。どんな思い出があるのかな?」

と、杉ちゃんがでかい声でいうので、真理は余計に困ってしまった。

「ええ、まあ、そうですね。子供の頃の思い出かな。私、なくなった父によく養老渓谷に連れてきてもらったんですよ。まあ、そう言っても、一度や二度ですけどね。でも、父が連れて行ってくれたところだから、よく覚えています。」

「はあ。そうなんだ。お父さんが、よく養老渓谷に連れてきてくれたのね。よほど、自然が好きなお父さんなんだね。だって、養老渓谷は、自然があるけど、それ以外何も無いじゃないか。遊園地もないし、牧場みたいな観光施設はない。そんなところに、小さな子どもだったお前さんを連れて来るとは、なんか、不思議なお父さんだな。」

と、杉ちゃんがそう言った。真理は、不思議なお父さんと言われたのがちょっと、むかっと来て、

「ええ。でも、本当に少しの間でしか、お父さんではいてくれませんでした。養老渓谷には連れて行ってくれたけど、それが終わったら、お父さんではなくて、別の人になっていました。」

と、杉ちゃんに言ってしまった。

「はあ、つまり、離婚したというわけか。」

杉ちゃんはすぐ言った。

「でも、お父さんはとても優しかったし、学校の先生をしていて、とても尊敬できる人だったんですよ。だから、ずっと一緒にいたいと思っていたけど、家を不在にすることが多くて、それでは子供のためにならないって母が言ってて。私、その時、まだ小学校の一年生で、何もわからなかったんです。確かに、そうかも知れないけれど、あたしは、お父さんと一緒にいたかったなあ。もちろん、母を、嫌な人だと言うことはありませんよ。ですが、本当は私はずっと父と一緒にいたいと思っていたのに。」

真理は、杉ちゃんに言われて思わず話してしまった。あの美しい男性が、自分の事を見てくれるような気がして、何故か、そう言わないと行けないのではないかと思ってしまったのである。

「そうか。それなら、お母ちゃんに、お父ちゃんを取り戻してって、今なら言えるんじゃないの?お父ちゃんと思い出があるんだから、それでいいじゃないかと言えるんじゃない?それに、お父ちゃんに会いにいくことだって、電車や新幹線を乗り継いでいけば、できるんじゃないか?」

「いいえ。それはできません。父は、母と離婚して、ある女性と再婚しました。一年ほど前に、その女性から手紙が来ましてね。父が、亡くなったと知らせがあったんです。母は、それで良かったと言ってました。なんかいい気味だって。ですが、私は、そうは思えませんでした。きっとものすごく仕事で忙しかった人だけど、父は、一生懸命やってたと思います。そうでなければ、私を養老渓谷に連れて行ってくれることはしなかったと思います。確かに、忙しくて、大事なお出かけをすっぽかされたりしたことは、本当にあったんですけどね。母は、それを、ひどく嫌っていて、父親の役割を果たしていないんじゃないかってよく怒鳴ってましたが、私は、ここの養老渓谷の思い出があればそれで十分です。」

「はあ、なるほどねえ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「でも、いいじゃないですか。お父様の思い出がそうしてちゃんとあるんですから。私の好きな歌の中にね、こんなフレーズがありました。Remenber 生まれたこと、Remenber 出会ったこと、Remenber 一緒に生きていたこと、そして覚えていること。正しくそれじゃないの。ほんと、短い間だったけど、良いお父様に恵まれたこと、感謝しなさい。」

にこやかに笑って、市子がそう言うと、

「そうですね。私は、そこはすごく嬉しいです。でも父は確かに私を裏切りました。私、父が、自ら命を絶つなんて絶対しないと思ってた。再婚相手の方から話を聞きましたけど、なんでも父が、生徒さんを一人精神をおかしくしてしまった責任を取らされてしまったようで。だから、あんなに強くて優しい人が自殺なんて、私全然気が付きませんでした。なんで、そんな事したのか、私は、信じられません。今でも信じられないんです。どうして、私を裏切るようなマネを。それに、私の事を忘れてしまったのかなって。その時は本当に悲しかったです。」

真理は、悲しそうな口調でそういった。

「そうか。確かに自殺なんてされると、裏切られたような気持ちになっちゃうよね。それはたしかに悲しいよな。まあ、人間にできることは事実に対してどう動くかを考えるしか無いって言うけどさ。それも悲しいよね。なんか、そういう事代弁してくれる人がいてくれたら良いのにね。でも、そういうやつっていないんだよな。まあ、それが人間と言うものなんだろうけどさ。」

杉ちゃんは烏龍茶を飲みながらそういう事を言った。

「それで、お前さんは、時々養老渓谷に来て、命の洗濯をするんだな。良いじゃないか。お父ちゃんと遊んでもらったところを覚えていられるんだから。それは、幸せだよ。」

「ええ。ありがとうございます。私は、父の思い出を大事にしたかった。でも、もう父もいないんですし、私も、仕事をなくしてしまったし。だからもう、この世の中にはいないほうが良いのかなと思って。それで今日は。」

真理は、ついに本音を言ってしまった。あの美しい男に見つられていると、本当の事を言わなければならないのではないかと思われる気がした。

「そうですか。でも、お父様があなたに与えた思いと同じ思いを、あなたがまた誰かにさせるかもしれません。それは、やめたほうが良いのではないですか。そのせいで、あなたも随分苦しんだのではないでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、真理は一瞬顔を上げた。そんな事、多分考えていなかったのだろう。

「まあいずれにしてもさ。自殺は絶対にしてはいけないことだって、お父ちゃんに教えてもらったじゃないか。それを生かしてなにかに続けていくという事はできないもんかな?」

と、杉ちゃんに言われて、真理は一気に涙をこぼした。水穂さんがほらと言って、一枚のハンカチを、真理の目の前で差し出してくれた。真理がごめんなさいと言って、顔をハンカチで拭き取ると、それと同時に、

「まもなく、終点五井駅に到着いたします。お降りの方はお忘れ物のないようにお降りください。」

と車内アナウンスが流れてきた。真理が、水穂さんにハンカチを返した。杉ちゃんたちは、車掌さんに手伝ってもらって、電車を降りる準備をした。電車は五井駅に到着した。もうすっかり田舎ではなくすごい市街地になっている。電車が五井駅のホームに到着すると、杉ちゃんたちは待っていた駅員に手伝ってもらいながら、電車を降りていった。降りるときに水穂さんが、そっと手を降ってくれたのが、真理は忘れられない一瞬になった。

もしかしたらあの人、父が、私を励ますために来てくれたのではないか。真理は不意にそんな感情が思い浮かぶ。そう考えるとまた涙がこぼれてきて、真理は、泣き出してしまった。車掌さんが、もう五井駅に着きましたよ、早く降りてくださいと促しているのも気が付かなかった。

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松花堂弁当 増田朋美 @masubuchi4996

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