第42話 潜入捜査も楽じゃない 2
領政局を出た俺たちは、そろそろ夕方の賑わいを見せ始めた街の大通りを抜け、裏通りの猥雑な雰囲気の中を歩いて行った。
「ここか? こりゃあ、表からは入れないな」
色とりどりの文字が躍る派手な看板と、男たちの叫び声に混じって聞こえてくる女たちの嬌声、酒と薬草の焦げるような匂い、それが辺り全体を覆っていた。そこが例の店、
俺とポピィは、さすがに表のドアを開けて入る勇気は無く、通りの裏側に回って悪臭の漂う店の裏に向かった。
ちょうど店の裏と思われる場所に、酒のグラスを持って石段に座っている女がいた。酔いでも覚ましているのか、艶のない茶色の長い髪の間から見える顔は、やつれて生気を失っているように見えた。俺たちが近づいても、その女は気づかないのか、ぼおっと地面を見つめていた。
「あの、すみません」
俺が小さな声であいさつすると、女は初めて気づいたのか、ビクッと肩を震わせて、驚いたような顔をこちらに向けた。
「っ! 子ども? 一体、こんな所になんだって子どもが……」
「ああ、驚かせてすみません。俺たち商業ギルドの従業員募集のビラを見て来たんですけど、表からは入りにくくて……」
「ああ、そういうことか……でも、ここは子どもが働くような店じゃないよ」
「はい、分かっています。でも、雑用係の募集もあったので、この妹ができるんじゃないかと思って」
「雑用係?」
女は、怪訝そうに眉をひそめて、少し考えてから立ち上がった。
「ちょっと待ってて。ママに聞いてくるから」
女はそう言うと、裏口から店の中に入っていった。
俺とポピィは待つ間、その狭い路地裏から、何気なく茜色に染まっていく空を見上げていた。
「何か、悲しい気持ちになりますね……」
「うん……こんな所で一生を終える人たちもいる。そう考えると、辛いこともあるけど、自由に旅ができる俺たちって、幸せなのかもな」
「はい、心の底から、そう思います」
短い期間でも、奴隷になった経験を持つポピィは、自由のありがたさを身にしみて感じたのだろう。
ドアがガチャッと音を立て、俺たちは地上に目を戻した。
「ふうん、この子たちかしら?」
先ほどの女と一緒に出てきたのは、ひと目でそれと分かる、ごつい体格で背の高い、ドレスをまとった人物だった。アレだよ、アレ、野太い声で厚化粧した、アレですよ。
その人物は、驚いて固まった俺たちに近づいて来て、顔を近づけ、しげしげと見回した。
「二人ともここで働きたいの?」
明らかに男の声でその人物が尋ねた。
「あ、いいえ、は、働きたいのは妹で、俺はゴミ回収の仕事をすることになりました。
「ああら、田舎から出てきたのね? 親はいないの?」
「は、はい」
「泣かせるじゃない……あたしにも、可愛い妹がいたのよ。病気で死んじゃったけどね……いいわ、妹ちゃんを雑用係に雇って上げる。中に入って、契約書書くから」
おお、なんか雇ってもらえた。それに、割とまともな感じがするんだが、まあ油断は禁物だよな。
店の中に入ると、そこは店から続く長い廊下の突き当りの場所だった。右には食糧倉庫なのか、地下への階段があり、左には雑然としたキッチンがあった。廊下の途中には上の階に上がる階段がある。廊下の向こうからは明るい光が漏れ、例の騒がしい声が聞こえていた。
「あたしはアンジェリカ。店ではママと呼ばれているわ。この子はレニー、今体調を壊していてね。レニー、あんた、部屋に帰って寝てなさい」
「大丈夫よ、ママ。乗り掛かった舟よ、もうしばらく一緒にいさせて」
「しょうがない子ね。じゃあ、お茶とジュース、事務室に持って来て」
「わかったわ」
レニーという女がキッチンの方へ去ると、アンジェリカは、俺たちを二階へ連れて行った。階段を上り終えると、まっすぐに廊下が続き、左右に幾つかの部屋があった、右にも廊下があり、俺たちは右に曲がって突き当りの部屋に通された。
「まあ、適当に座ってちょうだい。それで、名前は何と言うのかしら?」
「あ、はい、俺はトーマ、妹はポピィと言います」
「トーマちゃんにポピィちゃんね。ええっと、契約書は……あった、あった。まず、やってもらう仕事だけど、さっきのレニーって子の体調が戻るまで、ここで働く女の子たちの身の回りの御世話をやってほしいの。例えば、お洗濯とか、食事作りとか、お使いとかね。これまで、レニーが一人でやっていたから、少し無理をさせちゃったのよ」
「わ、分かりました。頑張りますです」
「あらあ、いい子ねぇ。
アンジェリカはにこにこしながら、契約書にさらさらと何かを書き込んだ。
「はい、確認して。期間はひとまず一週間にしたわ。部屋はレニーと一緒の部屋にするからいろいろと教えてもらいなさい」
俺は、契約書を受け取ってしっかり目を通した。どこにも不審な条文はない。しかも、日給は二千ベニー、この世界の基準から見てもかなりの好待遇だった。
う~ん、どう考えたらいいんだろう? ここって、裏のボス〝アンカス〟のアジトって見られている店だよな。やっぱり、雑用とか言って、何か犯罪の手伝いをさせるとか……。
とにかく、契約自体には何も問題はない。俺は契約書にポピィの名前と、身元保証人の欄に自分の名前を書き入れてアンジェリカに返した。
「うん、ちゃんと字は書けるのね、偉いわ。オーケーよ。ポピィちゃんの荷物は大丈夫?」
「はい、少ないですからいつでも持って来れますが……」
「だったら、すぐに持って来なさいな。今夜からさっそく働いてもらうから」
そんなわけで、俺たちはいったん宿に帰り、ポピィの荷物をリュックに入れて、また店に戻っていった。
「ポピィ、あんまり頑張りすぎるなよ。何か一つか二つ、情報が得られればいいんだから」
「はい、分かりました」
「それと、あのママさんやレニーさんは、いい人みたいだけど、絶対信用しすぎないように。
何か秘密があるのは確かなんだ。とにかく、自分の安全を最優先に、危険だと思ったら、迷わず逃げるんだ」
「了解です」
店に戻る道すがら、俺はポピィに念を押して言い聞かせた。
とにもかくにも、こうして俺とポピィの情報収集活動は始まった。
いやあ、最初はここまでやるつもりはなかったんだけどね。アジトに突撃して、全員ぶん殴って、はい終わり、後始末はよろしくって、そんなつもりだったんだよ。でも、そこで俺の臆病な所が出てしまったんだよね。ほら、万が一、強い奴とかいて、命落としたら馬鹿らしいじゃないか? なにせ、俺がこの世界に生まれてからの最終目標は、「寿命まで生き延びる」だからさ。それに、ポピィも死なせたくないしね。
だから、失敗しないようにと思ったら、俺のこだわる性格が出てしまったわけですよ。面倒臭いけど、こればっかりは自業自得だよね。
『良い勉強だと思って頑張りましょう、マスター』
はい……頑張ります。
♢♢♢
「おい、小僧、こいつも片付けとけ」
「はあい」
早朝のボラッド商会の裏庭。大量に積まれたゴミを、小さくし、分別して荷車に積んでいく。荷車の荷台には生ごみ用と不燃物用の大きな金属バケツが二つ置いてある。その空いたスペースに、麻ひもでくくった燃えるごみを放り込んでいく。終わったら、荷物の上からカバーの麻布を被せ、落ちないようにロープで縛る。
潜入捜査(そんな大層なものではないが)を始めて三日目、それなりの成果は上がっていた。
まず、ボラッド商会で働く者たちのおおかたは、鑑定でステータスを確認できた。中には危険なギフトやスキルを持つ者もいたが、それを生かしている者は見受けられなかった。面白いことに、《商人》とか《生産者》とか、まともなギフトはほとんどおらず、多くの者たちがいわゆる《はずれギフト》と周囲から揶揄されたであろうギフトの持ち主だったことだ。
やはり、《はずれギフト》を持って生まれると、普通の場所では生きにくいんだろうな。
ただ、おかしいのが、ダルトンさんの話では、表で動いている人間は五、六十人くらいだということだったが、俺が記録した限りでは三十人足らずだ。店の内部に後三十人もいる気配はないし、《恋する子猫ちゃん》の従業員も、ポピィの話では十人足らずだ。
となると、どこか他にアジトがあるのか、あるいは……。
「おい、お前たち、何をぐずぐずしてる。早く店を開ける準備をしねえか」
「「「は、はい、ボス、すみません」」」
おっと、ボスのお出ましだ。珍しいな、こんな朝早く。こいつがボラッド商会の会長ルイス・ボラッドだ。四十代半ばくらいだろう、明るい茶髪をオールバックにして油できっちり固めている。細面でいかにも神経質そうな顔だ。黒いシャツに襟がグレーの白いタキシードスーツを着ている。このまま地球に連れて行っても、ギャングのボスで通用するだろう。
ちなみに、この世界の服装は、俺のいた世界でもほとんど違和感がない。もしかすると、こうした服装を流行らせたのも地球からの転移・転生者じゃないだろうか。
閑話休題。
奴が一瞬、俺に鋭い視線を向けたので、ドキッとしたが、すぐに奴は背を向けて店の奥に去って行った。
(まさか、怪しまれなかったのよな? 鑑定使ったのはまずかったか?)
『いいえ、大丈夫です。彼は、非常に神経質です。見知らぬ者には特に警戒の目を向けるのが習性のようですね』
俺がほっとして、荷車を牽いて去ろうとしたとき、三人の男たちが、裏通りから何か箱を抱えて走って来た。彼らは裏口から駆け込むと左の方に曲がって姿を消した。
(何だろう? えらく急いでいたが……)
気にはなったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。仕事を早く終えないと。
♢♢♢
早朝で、まだ人通りの少ない道を、一軒一軒、ゴミを回収しながら荷車を牽いていく。
(これ、結構いいトレーニングになるぞ)
『はい。マスターに不足している物理力、跳躍力を高めるには、とても良いトレーニングです』
そんなのんきなことをナビと話しながら、やがて、俺は《恋する子猫ちゃん》の店の近くまで来ていた。いつものように、店の脇に荷車を置いて、裏口へ回るために路地裏へ入っていった。
と、その時、裏口の方から何か話し声が聞こえてきた。俺は気配を消して、裏口を覗き込んだ。
ええっ! 思わず出かかった声を慌てて抑えて、物陰に隠れる。そこにいたのは、何と、さっきボラッド商会の裏口から駆け込んでいった三人の男たちと、アンジェリカだったのだ。
「……もう薬は十分だって、何度言ったら分かるんだい。帰ったらそう弟に伝えときな。ほら、売り上げ持ってとっとと帰りな」
「あ、姐さん、勘弁してくださいよ。怒られるのは俺たちなんすから」
「姐さん、この店がやっていけるのは、ボスとこの薬のお陰だってこと、忘れちゃいけませんぜ」
「ほお、あたしを脅してるつもりかい? その口、二度と開かないようにしてやろうか?」
「ちっ、おい、帰るぞ」
俺は慌てて荷馬車の所へ戻り、ロープを解いているふりをした。
「くそっ、あの玉無し野郎! ボスの身内じゃなかったら、ぶっ殺してやるところだ」
「毎回毎回、イヤミばかり言いやがって……こっちの身にもなれってんだ」
男たちがぶつくさ言いながら、俺の横を通り過ぎていった。
いやあ、いっぺんに事実も謎も増えちゃいましたね。これ、どう考えたらいいんだ? しかし、かなり全体像はつかめて来たぞ、うん、うん。とりあえず、ポピィに調べることを伝えておかないとな。
俺は再び店の裏口へ行って、ドアの外から声を掛けた。
「すみませ~ん、ゴミの回収に来ました~」
しばらく待つと、中から「は~い」という声が聞こえ、ドアが開いてポピィの小さな笑顔が現れた。
ポピィは両手いっぱいに、ゴミをまとめた大きな麻袋を抱えて出てきた。俺はそれを受け取りながら、ポピィに小声でささやいた。
「ポピィ、食糧倉庫を探ってくれ。隠し扉がどこかにあるかもしれん」
「はい、了解です」
すぐにゴミ袋を受け取って、ポピィから離れる。ポピィは、指で袋を指さした。中にメモが入っているということだ。俺は小さく頷く。
「あら、毎朝ご苦労様ねえ」
ドアの向こうから、アンジェリカがにこにこしながら現れた。
「あ、おはようございます。妹は何かご迷惑をお掛けしていませんか?」
「いいえ、そんなことないわよ。とっても助かってるの。よく働いてくれるし、よく気が付くし、何より素直で、とっても可愛いんだもの」
「い、いえ、そんな、皆さんとっても優しくしてくださって……心配しなくていいですよ、に、兄様」
「そうか、よかった。もうしばらくよろしくお願いします。では、これで」
「ご苦労さん、これ御駄賃ね。何か美味しい物でも買って食べて」
アンジェリカが近づいて来て、そう言いながら俺の作業着のポケットに銀貨を一枚入れてくれた。
何か、この人、すごい良い人なんですけど。困ったな……いずれぶっ飛ばすつもりだったのに、できなくなるじゃないか。
「あ、す、すみません」
「いいから、いいから。妹ちゃんのことは任せておいて」
まあ、とにかく早く仕事を終えて、情報を整理しよう。俺は、もう一度頭を下げてから、そそくさと仕事に戻っていった。
♢♢♢
街の外れのゴミ処理場の係員にゴミを引き渡した俺は、荷車を牽いて領政局に戻った。これで、俺の仕事は終わりだ。短期の〈ゴミ回収〉臨時雇いなので、領政局に拘束されることも無い。正職員のゲンクのおっさんたちは、この後、下水道清掃や公共施設の修理などの仕事が待っている。もちろん、それだけの給金の差はあるが……ご苦労様です。
宿屋に帰って着替えをすませ、ちょっと遅い朝食を食べた後、俺は部屋でメモ用紙に新しい情報を書き込んでいった。
「二つの店は、薬と金でつながった……たぶん、元の世界の〈麻薬〉と同じたぐいの薬だろうな……それと、もう一つのつながったものが、今日分かった……二つの店は、恐らく地下道でつながっている。だが、なぜあの三人の男たちは、地下から《恋する子猫ちゃん》へ行く必要があったのか?……目立たないように? いや、それはもう今さらだろう……だとしたら……ふむ……まあ、まだ情報が少ないからな」
俺はため息を吐いてテーブルから離れ、ベッドに寝転がった。
(アンジェリカとルイスが兄弟だったとはな……しかも、仲は良くないようだ。もっと結託して悪事を働いているのかと思ったが、そうでもないのかな……)
『マスター、ポピィさんのメモを見てみませんか?』
あ、そうだった。うっかり忘れるところだったよ。
俺は作業着のポケットから、ポピィが託した紙の包みを取り出して、テーブルの上で開いた。中には、たばこの吸いガラのような茶色い物がいくつかあり、紙にこんなことが書かれていた。
『今夜も店の中では、茶色い紙を巻いた筒状のものに火を点け、それを何人かで回して煙を吸っていました。捨てられた残りかすがこれです。
それと、お客の中に財務局のお役人さんがいて、とても偉そうにお姉さんたちに命令していました。名前は確か、レクストンだったと思います』
ほお、役人ねえ。あり得る話ではあるな。それと、この茶色い燃えカスは、俺も紙だと思っていたが、これは何かの葉っぱを乾燥させたものだな。タバコじゃない。独特な酸っぱいような、甘いような匂いがする。鑑定してみると、こんな結果だった。
***
【乾燥したグリム草】
※ グリム草の根や茎・葉には水溶性のアルカロイド、オピオイドが少量含まれる。
※ これをそのまま薬草としてすりつぶし、水で抽出、煮詰めて濃縮することにより、鎮痛・麻酔薬として使用されている。モルヒネとも呼ばれる。
※ また、根や葉を高濃度の酢酸に三日ほど浸してから乾燥させることにより、オピオイドの一部が変化して、脂溶性のヘロインが生成される。
***
はい、麻薬確定です。この世界では〈魔薬〉と言って、魔法の一種と考えられているようだ。
ボラッド商会は、たぶん、これをこの街だけでなく、他の街や村にも密売して暴利をむさぼっているに違いない。
うん、クズ確定だな。なるべく早く叩き潰さないと、この世界が崩壊することにもつながりかねない。
『マスター、これはマスターに与えられた崇高な使命です。私も全力でサポートいたします。頑張りましょう』
(……ナビさん、もしかして最初から知っていた?)
『……そのようなことは不可能です。知っていたら、マスターにお話ししましたよ』
なんか、今、微妙に間があったよね? ん? まあいいや。確かにここに来なければ、こんな恐ろしいことを知らずに、のんきに旅をしていたんだもんな。来てよかったよ。……来て、良かったのか?
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