1杯目
出身は東京、環境にも恵まれ特に不自由することもなく育ち大学まで進学し卒業することは出来た。
ただ家が近いからなんとなく、そんな気持ちで進学を選んだ、なんとなくな日常が過ぎていく、選んだ企業も給料が悪くないから、そんな理由で選んだ。
入社すると思い描いていた社会人ライフとはかけ離れたものだった。
残業、数日帰れないなんて日もある、周りの友人は結婚し、家族がいる。
独立して毎日忙しく働きながらもやりがいを感じている、そんな顔をしながら酒を飲むのだ。
昔は夢の一つくらい持っていた。
けれど不思議なことに人というものは妥協を覚えてしまうとそこから抜け出せなくなる。
諦めて妥協しそれすらもまた妥協する。
そうして作られたのが今の生活、という訳だ。
あの時こうしていれば、誰しも一度は考えたことがあるだろう。
そして数年経ちあの時こうしていればとまた後悔する、何か変えたいのなら今すぐにでも行動に移すべきだと、頭では理解しているのに新しいことへの挑戦に足がすくんで進むことができない。
変化とは時に残酷な結末すら待っているということを知っているからこそ怖くなる、変えたいと願うばかりで頭の中が許容量を超え、酒を飲み1日が終わっていく。
そんな毎日。何もやりがいなんてものを見つけられない。
ここまで長く話して、ハッと店主の方へと顔をやると穏やかな顔で珈琲カップを磨いていた。
「すいません、こんな話を。」
「いえ、変化が怖いなんて誰でも思うことです、悪いことじゃない。
やりがいも何かのきっかけに過ぎないと思います」
普段なら同じ言葉を言われたとしてもそれは成功しているからだと自分の頭の中で突っぱねてしまうだろう。
しかしなぜだろう、店主の言葉や表情にそんなものを感じることはなかった。
砂時計の最後の粒が流れ落ちる。
「どうぞ」
湯気をたてた珈琲が目の前に置かれる
「ありがとうございます
どうして砂時計を?」
「単に好きなんです、時間の流れがカタチとして目に見える、雨の音も雨の匂いも、時計の秒針も、砂時計がゆっくりと時間をかけて不思議と時間ぴったりに落ち終わる瞬間も。
雨は私の妻が好きだったんです、なんで雨なんて好きなんだと最初は不思議でしたが一緒にいると私も好きになっていた、雨が好きだったのか、それとも一緒にいる時間が好きだったのか、それは分かりませんが。」
ここまで話すと店主は外を見た
「きっと頑張りたい気持ちが沢山あるから溢れてしまう、だから肩の力を抜いてみてもいいんじゃないでしょうか」
店主の言葉が心を落ち着かせた
ざわざわと何かに対しての恐怖を無くしてくれた気がした。
珈琲を飲み終え外に出ると外は明るく雨は止んでいた。
「ありがとうございました」頭を軽く下げ水溜りが少し残る道を、明日も何ひとつ変わらない日々の続きなんだろうけれど頑張ろうと靴紐を結び直し足を進めた
看板は閉められ静かにベルが鳴る
札が一つ外に立て掛けられた
【雨の日のみあなたに届ける喫茶】
雨降る喫茶で珈琲を ましろ。 @tomoki0316
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