第10話 Hello World.


 早朝。

 昨夜から続いた雨は、今しがた止んだみたいだった。

 冷たくも緩くもないただ湿った空気と、満遍なく濡らされたアスファルト。

 この世界に誰も存在しないのではないかと思える程、静かな公道。

  

 その公道の上に、私は、ただ立っていた。

遠くの僅かな霞を見ながら、何も考えない様に集中していた。

 ちらつく信号機に、心を見透かされ、私の思いに呼応して点滅しているかの様に、私は感じた。

  

「こんな風に、普通の人は感じ無い筈なのに。この感覚は、一体何のためにあるんだよ。

  

  誰にも分かってもらえないものに、一体何の意味があるんだよ。」

 そう言って、俯いた。

涙が、アスファルトに消える。

恥ずかしく、惨めで、涙は多くなった。

  

 泣き叫んで、静寂を掻き消した。

静寂に申し訳無くなる程、泣き叫んだ。

  

 自分の感覚が嫌になって叫んだ。

「うるさい!黙れ!」

  

 口いっぱいに広がる涙の味。

胸の奥が詰まっていく。もっと詰まってしまえと思った。

  

   爪を立てた指の痛みが増す。

  血を見たいのかもしれない、そう思った。

  

 「うるさい!だから黙れ!」

 一人で叫ぶ異様さなど、最早どうでも良くなっていた。

  

 膝が地につき、肩で息をした。

皮膚は加減などしないアスファルトに食い込まれ、痛む。

 アスファルトの隙間に、隠れていた目に、覗かれ私の心が見透かされている、

そんな気がした。

  

  「‥もう、嫌だ。」

  私は瞼を強く閉じた。

  

 遠くから、トラックの走る音が近づいてくるのが分かった。

でも、もう、どうでもいい。

  

 荒く唸るトラックの音に変わる頃には、心臓の鼓動の速さは極まっていた。

 期待、恐怖、もう、どちらでも良くなっていた。

 心臓の旋律、それが最後のレクイエム、それでも良いな、と思った。

  

 足元からも、トラックの走る振動が分かる程になった。

 もう、どうでも良い。もし、生まれ変わったら、その時は、力が欲しい、と、

私は思った。

  

  (Hello World)

   

 その言葉が、心の中で響いた気がした。

   

 気づいた時には、私は脇の歩道に立っていた。

 どうやら、トラックが通る前に、歩道に逃げ出していたのだろう。

 心臓の鼓動は何故か、すっかり落ち着き、雨上がりの澄んだ匂いも、鮮明に感じるようになっていた。

 風が吹いていた。髪が靡いた。

 陽光が差し出した。空を見上げた。

   

 木々の匂いを、どこからか運んできた風が過ぎると、雲間を大胆に引き裂いて、陽の光が堂々と触れてくる。

 風の切る音に私のちっぽけな悩みは掻き消され、陽の光の温もりに、力を見せつけられた。

  

 これが、世界の力。そう、感じた。

見向きも、目覚めてもくれないと思っていた、私の世界。

 足掻いても、踠いても、応じる事など無かった私の世界。

 きっと、私は間違っていたのだろう。

  

 私は、私の世界に、自分から会いに行く。

そう私は、決めた。

そして、言ってやるのだ。

「Hello World,待たせたね。」と。

  

  

  

  ————

 この世界で、彼ら、そして彼女らの日々は、閉じられ、そして開かれ紡がれる。

 それは人生として。そして、そんな彼ら彼女らに、世界は当然のように、

 暖かい陽を注ぎ、流れを変える風を吹き込む。

 当然のように、陽が暖かい事、風が運んでくれる事が、

 生きる彼ら彼女らへ贈られる、世界からの【最大の讃歌】なのかもしれない。

  ————

  

  「頼んだよ、明日の私。」

  そう言って、私は涙を拭った。


            Hello World 完

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Hello World 燈と皆 @Akari-to-minna

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