第150話 1周年記念配信④
《あ~、あ~、えっと、……音入ってる? あ、よかった》
玲音『声高っ!』
つぼみ『うるさい!』
待機画面もなく突然始まった初配信。桜木つぼみはそのとき、マイクテストという産声を上げた。さながら電話対応時の母親と言った感じで、今よりも声が高い。
音入ってる? と聞かれたとき、私は頭の上で大きく丸を作った。そのことを今でも鮮明に覚えている。
「どう?」
「いいんじゃね? 可愛い」
「……真面目にやってる?」
「大真面目だよ」
高校3年生の冬、私達の“桜木つぼみ”は誕生した。とは言っても、まだイラスト段階であり、いまからVTuberとして配信出来るかと言われればそれはムリなのだが。
大学進学を選ばなかった私達は、周りが受験に向けて打ち込んでいる中で勉強も就活もせず、この先行きの不透明な世界への歩みを一歩一歩、確実に踏み出していた。
香織はともかく、なぜ私はあれほどまでに冷静でいられたのか。今となっては考えられない。成功するかも分からない辺り一面霧に包まれた平野を、香織の後ろに張り付いて歩いていた。
香織の家は昔ながらの日本家屋。田舎であったが故に広い庭を持ち、香織の部屋からは縁側を挟んでその庭を望める。
障子を開けると空っ風が乾ききった空気を室内へ運んでくれるが、こたつの一辺にぎゅっと座った私達がそんな面倒くさいことをするはずもない。2人して生まれたばかりの新たな私達をぼんやりと眺めていた。
「あとはコイツを動かさないとだね」
「そうだな。って言っても私は何もできないけど」
桜木つぼみはイラストもモデリングもすべて香織が一人でこなしている。私はただ香織のアドバイスをしていただけで何か特別なことをしていたわけはない。
「じゃあ頑張んないとだね。動画の準備急がなきゃ」
「うーん、私ら編集できないしさ、配信って言う手もあるんじゃない?」
「確かに! 配信なら編集時間いらないから良いかも!」
この発言を4年半後に後悔することになるとは、このひよっこには考えてもいなかったであろう。
「あ、汐ちゃん私のみかんもとって!」
「ん~」
過去というものはどことなく全体的に灰色がかったような気がするのは私だけだろうか。
縄文時代も、平安時代も、江戸時代であっても空は今と同じく青であったはずなのに、どこか色彩に乏しいような感覚に陥る。それは私の記憶の中でも同じだ。
あのときの私は香織とひとつのものを作るのが楽しくて、ただそれひとつに打ち込めるという満足感と、日々目の前で完成に向けて整っていく高揚感でそれはもうキラキラの日々を送っていた。もちろん今でもそれは良い思い出だ。
なのになぜか回想はどこか灰色に着色される。灰色でなくてもどこか白いもやが掛かって「ああ、これは記憶だなぁ」みたいな、わけが分からない感覚になる。
まあそんなことはいい。
桜木つぼみというキャラクターのイラストが誕生してから月日は流れ、モデリング作業が終了したのは香織の誕生日当日であった。
私達は既に高校生という社会的地位を喪失し、香織は無職に、私はフリーターになっていた。とは言っても長らくその生活をしているわけではなく、ほんの2週間程度の話であるが。
「いやぁ、もうモデリング作業はしたくないなぁ」
香織は別に以前からモデリングができたわけではないのだ。VTuberになると決めて少しずつ勉強をしてきたからできるようになっただけであり、そもそも得意ではない。だから時間が掛かってしまった。
ただ、こうして生まれた桜木つぼみというキャラクターの出来は素晴らしいものであった。予算や使用機器、技術等々などが明らかに足りないために3Dではない。しかし、2DであってもVTuberはVTuberだ。私達はすぐそこまで迫ったデビューに心躍らせた。
「ひとまずこれで一段落だね。後はデビューだ」
「配信作業は任せてよ。香織がいろいろやってる間に私もちょっと勉強したぞ!」
「汐ちゃんってば昔から機械音痴だからなぁ、ちょっと不安だね」
そうゲラゲラ笑いながら香織は言うが、最後に「よろしくね」と言って今度はにこりと笑った。
そうして迎えた初配信の日。春まっただ中で快晴だ。
私達はやはり香織の部屋に集まり、こたつ布団の取られた机に対面で座った。私の目の前にはパソコンが、香織の目の前にはカメラが置かれている。
本当に必要最低限の装備。マイクは近くの家電量販店で買った安いやつで、パソコンが2台あるわけではないのでカンペは手書き。
「緊張する?」
「そりゃね~。汐ちゃんもでしょ?」
「もちろん。……ちょっと不安になってきた。私デザインセンスないから……」
「それはそうだね。サムネとかも自分で作れば良かったかな~って思ってるよ」
「ひどい!!」
「うそうそ、冗談だよ。……私さ、汐ちゃんがいなかったらここまでやってこられなかったと思う。だから――」
「ああ、いいよそんなの。あんた泣いちゃうでしょ?」
香織は昔から涙もろい。アニメとか漫画とか、主人公が頑張って努力してそれが報われると涙を流すのだ。私が赤点を取って留年しそうになったとき、勉強を教えてくれた香織は追試合格の知らせをすると泣き出したこともあった。
配信直前に泣かれたらたまったもんじゃない。
「ほら、時間だよ」
「うん。ついにだね」
「ほんとだよ。ほら、胸を張っていこう」
「うん!」
『あ~、あ~、えっと、……音入ってる? あ、よかった』
こうして始まった初配信。まあ人もそんな集まるわけなくて、今と比べれば100、1000、10000分の1。でも別に良かった。
『えっと、初めまして! 私は桜木つぼみと言います!』
(声たけ~……)
思わず笑いそうになってしまうが、なんとか目をそらして回避する。
『え? あ、じゃあ最初は得意なことから!』
初めは緊張していた香織もだんだんと慣れてきて、初配信が終わる頃にはメトロノームみたいに揺れながら笑顔で話していた。
私はその自信にあふれた表情で笑う香織を見るのが好きだ。
数字で見たら失敗だったかもしれない。後から見返したとき、どうしてこんな配信になっちゃったんだろうと恥ずかしくなるかもしれない。でもね、このとき最高の配信をしていたというのは変えることのできない事実だ。
百合『あぁ~、初々しくて可愛い……』
玲音『なんかちょっと体が痒くなったぞ』
コメント
:可愛かった
:なんかうるっときたぞ
:感慨深い
:時代を感じる
:初配信から半年後には最前線を走ってたからなぁ
:今と見た目が違う
:SEマジで草
茶葉「うん。やっぱり最高の初配信じゃない?」
つぼみ『そうだね。ちょっと恥ずかしいけどね』
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