第92話 大瀬音律

「取材お疲れさま」


 30分ほどの取材を終え、電車に揺られてオフィスに戻ってきた私を社長が出迎えてくれた。


「ありがとうございます。先方からの依頼で写真をいくつか送ります」

「なるほどね。全部茶葉ちゃんの写真かい?」

「そうですね」


 もう夕方になっているが、この仕事だけこなしてから家に戻ろう。

 オフィスが家だと実質直帰だから楽だね。


「そういえば律さんの配信はどうですか?」

「順調に進んでいるよ」


 今このオフィスの一室では3期生のアンカー、大瀬音律のデビュー配信が行われている。オフィスに人が少ないように見える理由は、みんなそのスタジオか視聴部屋にいるからだ。

 律はデビュー配信で歌を歌う。彼女は歌をメインに活動していく予定だからだ。


「すこし様子を見てみたら?」

「……そうですね。せっかくですし覗くだけ覗いてみましょうか」


 私は律さんと一度も顔を合わせたことがない。何なら話したことすらない。きっと私が配信スタジオに入ってもスタッフが来たとしか思われないだろう。

 ならば配信の邪魔にはならないはず。








 スタジオの前までやってきた。スタジオは防音しようにはなっているが、耳を澄ますとかすかに中から音が漏れ聞こえてくる。

 どうやら今歌を歌っているらしい。私は大きく音が鳴らないよう、ゆっくりと扉を開けて中に入る。


 スタッフのみんなが一瞬こちらに目を向けたが、軽く頭を下げてそれぞれ仕事に戻っていった。私は壁に背中をあてながら歌唱中の彼女を見る。

 まあ美人だね。西原さんが言っていたように凄い美人だ。髪は染めているのか遺伝なのかわからないが、長めの金髪で、スタジオの照明に光って美しい。

 そして、彼女の細身ですらっとしている体から出ているとは思えないほどの力強い歌声。上手いというレベルを超越しているように感じる。


 彼女は昔から歌うのが好きだったそう。私も伝聞だからあまり詳しく知っているわけではないのだが、小さい頃からボイストレーニングを重ね、ひたすらに歌を歌い続けたそうな。

 アイドルに行くか、歌手になるか、それともこうやってVTuberとしてインターネットで活動するか。歌い手という道もあったようだが、結果としてはこの道を選んだのだとか。


「上手いですね」

「そうでしょう。彼女の歌声は世界を狙えますよ」


 マイクに声が拾われないよう、凄く小さな声で西原さんと会話する。西原さんは「彼女の初配信はしっかりとこの目で見届けたい」と言い、モデレーターの仕事を他の人に任せている。

 この配信の間はモデレーターなどの仕事を一切せずに、じっと彼女を見ているそう。









「どうだった?」

「やっぱり歌が上手い! 上手でしたよ」

「だよね~、私も初めて聞いたときビックリしたさ」


 狭いスタジオに何人もいるのも邪魔なので、スタジオで仕事のない私はさっさとスタジオを後にした。送る写真を整理しないといけないからね。


「これで3期生も全員そろったね」

「そうですね」

「4期生までは1年以上開けようと思っているから、しばらくはこのメンバーでやっていくことになるよ」


 ここまで1期生、2期生3期生と立て続けにデビューしてきた。すべて1年以内のものだ、だから1度ここでペースを緩める。ここからはこのメンバーでしばらく地盤を持って強固にしていく。


「汐ちゃんと香織ちゃんがここを離れるのはやっぱり寂しい物があるね」

「まあまあ、オンラインで全然仕事しますし、時々戻ってきますから」

「そうだね~。まずタレントがこのオフィスに住んでいること自体がおかしかったんだ。普通になると思えばまあ気が楽って物ね」


 創立メンバーは数を減らした。もう残っているのは私を含めて3人だけだから、離れてしまうのは社長としても少し寂しいのだろう。

 確かに会社が出来たのは去年の夏だけれど、作るに当たって相当前から準備をしてきたからね。一緒に仕事をしてきた歴としてはもっと長いわけだ。


「私はてっきり汐ちゃんが社長をやるのかと思っていたよ」

「ははは、冗談はよして下さいよ。私に社長はムリですよ」

「まあ、それもそうだね」

「なんかむかつくなぁ」

「ていうか、写真はどうするの?」

「ああ、忘れてました」

「あれでいいんじゃない? 実写の奴」

「いやいやいや、気を遣って頂いた意味がなくなるでしょう」


 私って配信頻度が少ないから良い感じの写真がないんだよなぁ。みんなとのコラボ中の奴と、個人の奴を半々くらいで送っておこうかな。

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