第56話 寝坊

(まったくもう! 真面目なキャラだと思っていたが案外そうでもないみたい!)


 東京は便利だ。車がなくとも生きていけるほどには公共交通が発達している。とは言っても田舎に住んでいるときも車なんて持っていなかったが。

 時刻表を見なくとも駅に行けば電車がいる。なんという幸せだろう。


 そんな幸せの電車に揺られながら梓ちゃんの家へと向かう私の心は最悪な気分であった。

 誰でもミスはある。それはしょうがないが、私は今日お昼ご飯を食べられていないのだ。私が食べられていないと言うことは香織も食べられていないと言うこと。すまんな香織。

 まあカップラーメンのストックがあるから、勝手にそれを食べてくれると思うけどね。一応メッセージを送っておく。




 事務所兼自宅から1時間半という所にある梓ちゃんの家。マンションの1部屋に防音室を設置して配信をしているそうな。


 ピンポンをならしたが中で何も音がしない。本当に倒れているのではないかと心配になるが、鞄から鍵を取り出して扉を開ける。私はノックしたぞ? ピンポンも押したぞ? だから大丈夫だ。

 男とか連れ込んでたらどうしよう……! まあ、んなわけないよね。


「お邪魔しまーす」


 真っ暗な部屋。リビングと廊下を仕切る扉のガラス部分から汚部屋が顔をのぞかせている。


 うん! 同志発見!


 2LDKのマンションは、2つある部屋のうち1つが寝室で、もう1つが配信ルームらしい。今日初めて来たのでなにもしらないが。

 地面に転がるゴミの束から顔をのぞかせるフローリングを踏んで、少しずつ寝室へと向かっていく。


「おーい、梓ちゃん~!」


 コンコンとノックをして声も掛けるが一切反応がない。


(大丈夫か? これ生きてる?)


 あまりにも反応がなさ過ぎて死んでいるのではないかと真面目に心配になってきた。

 曇天の影響で真っ暗だった部屋に、リビングの明かりだけが照らされている。初めての梓ちゃんの家で、家主の反応がない。


 もう待てない。失礼梓ちゃん!


 そう扉をあけて中に入る。


「おぉ、さすがは同志……、って! 違う違う! 

 梓ちゃん! 生きてますか~?」

「……んん」


 お、生命反応あり!

 準備とかで時間も掛かっているので現在時刻はとっくのとうに3時を回ってしまっている。今から初めても2時間以上の遅刻だ。

 リスナーからすれば遅れるならとことん遅れてくれた方が面白いのかもしれないが、マネージャーからすれば冷や汗だらだらの最悪な気分である。


 じめっとした部屋を少しずつ進んでいくと、布団にくるまってすやすやと寝ている梓ちゃんの姿。


 イラッ……!




「スーーッ……!

 こらぁぁあああああ!!!!」

「うわぁぁああッ!!」


 思いっきり空気を肺にため込みそれを一気に放出する。自慢のコラ~~~! だ。

 私の声に思わず梓ちゃんも飛び起きた。


「へっ、え? なに!?!?」

「梓ちゃん! 今何時か知ってる!?」

「え? えっと、なんで汐ちゃん?」


 首をぶんぶんと振りながら混乱している梓ちゃん。何が起きているのか分からないようで目を白黒させている。

 そりゃあ驚くだろう。すやすやと寝ていたら急に大きな声がして起こされ、鍵を開けた覚えもないのにマネージャーが目の前に立っているのだから。


「で、今何時だと思う?」


 そういうと、ハッとした表情で急いで充電中だったスマートフォンを取り出した。


 そして、ロック画面に映し出された時間を見て全身の力が抜けたかのように放心状態になった。

 それはもう面白いほどに。


「3時34分……」

「うん。配信予定時刻は?」

「……1時です」


 そういうと、長くも短くも取れる放心状態を経て、急に顔を慌てた表情へと変換させた。そして急いでベッドから飛び起きて、そのまま地面に転がっていたゴミにつまずいて転んだ。


「うわぁああ! 大丈夫!?」

「だ、だいじょうぶれす……、ど、どどど、ど、どうしましょう……!」

「おちお、おち、おちおち、お、おちついて……!」


 あまりの動揺具合に私も少し動揺してしまった。ていうか初めから動揺していたのだ。こんなに大遅刻することなんて数年マネージャーをしてきて一度もなかったから。

 でもなんとかその動揺を抑えていた。ただ、目の前に私より動揺している人を見てその動揺が領域展開してしまったのだ。


「とりあえず、配信遅れることはリスナーのみんなに伝えてあるから、ゆっくり配信準備しよう。

 あー、やっぱり先に起きたことを呟こうか。みんな心配してるよ」

「は、はい!」


 SunLive.誕生以来初めての大遅刻に、リスナーはお祭り状態だ。トレンドにも入っていて、待機所はいつ起きてくるのかの賭けなどで大盛り上がり。

 ここまで来たらとことん送れた方が良いのでは……、というエンターテインメント脳が働くが、社会人としてしっかりした方が良いだろう。


 梓ちゃんは私の目の前で慌ただしく配信の準備を始めた。

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