応答セヨ、少女の涙
Kurosawa Satsuki
短編(試作)
本編:
埋められない想いがあった。
叶わない願いがあった。
それらを全て灰にした。
それでも私は私だった。
…………………………………………
我が家に大きな熊がやって来た。
その傍らにはママがいた。
大きな熊は私を睨んだ。
ママがキッチンから持ってきたお皿を受け取った彼は、いつものように涼しい顔で煙草を吹かした。
パパは今日も帰らない。
熊の左手がママに触れた。
私は彼が嫌いだった。
………………………………………
太陽が眠る前に、兎の住処(すみか)を訪れた。
私は、兎に悩みを打ち明けた。
優しい言葉を期待した。
学校でのこと、家でのこと、
一から十まで全て話した。
勇気をだして自分の全てをさらけ出したら、
兎はきっと私を肯定して、
励ましてくれるはずだと思った。
君が悪い。
もっと頑張らなくちゃ。
辛いのは君だけじゃない。
君はまだ恵まれている方だ。
もう一人でできるよね?
君は女の子でしょ?
まだ若いんだから。
悩みを言い終えた後、
返ってきたのは的外れな答えだった。
私は、言わなきゃよかったと後悔した。
何だか見放された気がして腹が立った。
泣くこともできずに俯いていると、
兎が服のポケットから何かを取り出し、
それを私の手のひらに乗せた。
それは、真っ赤に輝く飴玉だった。
こんなもので機嫌が良くなるはずがない。
そう思いながら、兎の住処を後にした。
……………………………………
学校なんか行きたくない。
煩い鴉(からす)がいるからだ。
ママを悲しませたくないから行ってるだけ。
私は彼らの近くに居たくなかった。
教室に入ると、鴉たちが鳴き始めた。
勿論、話の矛先は私だった。
「またアイツ学校来てるよ」
「相変わらず目つきが悪いよね」
「なんか私、睨まれたんだけど」
「目線合わせちゃ駄目だよ」
「ねえ、なんか臭わない?」
「アイツちゃんと風呂入ってんのかな?」
「マジで最悪だわ…」
そんな言葉が、私の耳にも響いてきた。
昨日はシャワーを浴びたし、
今日だって洗ったばかりの新しい服を着てる。
先生に言っても、
虐めじゃなくて弄りだろって笑われるだけ。
両耳を塞いで聞こえない振りをしても、
耳障りな言葉は鮮明に聞こえた。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
うるさい。
そう、心の中で何度も叫んだ。
一刻も早くこの場から逃げ出したかった。
……………………………………………
生きる事にも疲れたな。
もう頑張れないな。
休みたいけどそんな暇はない。
割れた鏡の中にいるもう一人の私。
虚ろな目で私を見つめている。
瞳から数滴の涙が零れた。
後ろには無造作に散乱したゴミの山があり、
左手には血塗れのナイフを持っている。
私の心は何色?
もうどうにでもなれ。
私には関係ない。
そう思いながらテレビを消す。
不都合な情報はシャットダウン。
助けて欲しくてネットを彷徨う。
検索履歴は死にたいとかそんなんばっか。
自分にとって都合のいい言葉を探してる。
顔も知らない人からの軽い言葉に潰される。
助けを求めたいけどそのお金すらない。
不器用すぎて狂わなきゃやってらんない。
何とかなるで何とかなった試しがない。
薬の量がまた増えた。
何だか今日はイイ気分だ。
真っ赤な肉片で腹を満たす。
“何でもないよ”
私だけが知ってる少女の本音。
満面の笑みの裏にはしわくちゃの顔。
羅列する文字が脳裏に浮かぶ。
“助けてください”
誰かに気づいて貰えるまで、
ずっと心の中で叫んでいる。
泣き寝入りして夜が明けた。
瑠璃色の花が枯れていた。
他の子の笑い声が遠くから聞こえた。
鏡に映る自分を静かに睨んだ。
不幸ぶってると思うなら代わってよ。
今日も行かなきゃ。
行くって何処に?
分からないけど行かなくちゃ。
私が私でいられるうちに、
早くここから消えないと…。
………………………………………
私が向かったのは、誰も寄り付かない山の中。
そこには、私の秘密基地があった。
雨風凌げる屋根や窓もなくて簡素ではあるが、
鳥の囀りさえ聞こえないくらい静かな場所で、
私にとっては居心地がよかった。
ここに来れば、
学校の事でママからも怒られないし、
私からママを奪った大きな熊もいないし、
鴉の声も聞かなくていいし、
明日が来ても怖くない。
まさに、私だけの楽園だった。
睡魔に負けた私は、
凍える体を抱きしめながらそっと目を閉じた。
…………………………………………
夢の中で黒猫に出会った。
暗い森を入った先にある洞窟に彼はいた。
たった一本のロウソクの灯りを見つめながら、
ぶつくさと独り言を呟いていた。
私の存在に気づいた彼は、
ロウソクの灯りから目線を外し、
驚きながら振り返った。
「どうしたの?」
と、私は彼に尋ねる。
黒猫は俯きながら、
「お前には関係ない」と、ぶっきらぼうに返す。
彼の傍らには、革製の真っ黒な鞄と、
透明な傘が無造作に置かれていた。
そんな筈はないと私が言うと、
諦めたのか、私に向き直り、
今までの出来事を淡々と語り始めた。
「狸の奴に嵌(は)められた。
アイツのせいで、仕事をクビになった。
アイツは、権力にものを言わせて好き放題しているのに、アイツの上司ですらアイツの悪行を黙認していた。
毎朝出勤する度に身体中から拒絶反応が出て、
食事も喉に通らないくらい疲弊していたが、
休むことも許されなかった。
毎日のように、殴る蹴るの暴行のみならず、
同僚達が見てる前で罵詈雑言を浴びせてくる。
俺が徹夜で完成させた企画書もシュレッダーにかけやがった。
仕舞いには、自分が犯した大きなミスを俺の仕業だとでっち上げたんだ。
俺は必死で無実を訴えたが、
誰からも信じて貰えず、退職にまで追い込まれた。
アイツは、俺から大事なモノを全て奪った。
今でもアイツの顔が、言葉が、
脳裏に焼き付いて離れない。
好きだった子も、アイツに取られたよ。
彼女は嫌がっていたけど、
逆らえずにアイツの思うがままだった」
話し終えた黒猫の瞳からは涙が溢れていた。
私は、泣いている黒猫を優しく抱き寄せた。
「俺は、俺は戦ったんだ!
どんな屈辱を受けても我慢して、
身を粉にしながら壊れるまで働いて、
それでも会社の為に尽くしたんだよ!!
それなのに、それなのに、俺は…俺は…」
「いてぇ…いてぇよぉ……もう頑張れねぇよ……」
「お疲れ様、もう頑張らなくていいんだよ」
言ってる意味はよく分からなかったが、
彼の痛みや悔しさが分かるような気がして、
気づけば、私も一緒に泣いていた。
………
黒猫と別れの挨拶を交わして洞窟を出た。
しばらく森の中を歩いていると、
大きな木々の間から大きな館が見えた。
私は、なんの疑いもなくその建物に近づいた。
入り口前の立て看板には、
“初回無料、なんでも答えます”と書いてあった。
私は、戸口のドアノブを回して中へ入った。
中へ入ると、紫色を基調とした様々な形の装飾品が壁一面に飾られていて、ファンタジー小説に出てくる宮殿のような光景が広がっていた。
私は、広場を抜け、細長い廊下を突き進み、
ある部屋の前で止まった。
そこには、鑑定室と書かれていた。
「お入りください」
承諾を得て中に入る。
私は、促されるまま席に着く。
目の前にいる相手の顔を見ると、
綺麗な毛並みをした白狐だった。
「お名前は?」
白狐に名前と生年月日を聞かれて素直に答える。
「今回は、何を占いましょうか?」
そうか、ここは占いの館だったのか。
けど、所詮は占いだ。
半信半疑で都合のいい言葉だけ信じればいい。
例え、的外れな回答が返ってきたとしても、
なんの不思議もない。
私は、彼女に一つだけ質問をした。
「私に来世はありますか?」
「いいえ、有りません」
白狐は、キッパリと否定した。
「では、貴女の運勢を占いますね」
白狐はそう言いながら、
後ろの棚からタロットカードを取り出した。
白狐がカードをランダムにシャッフルし、
五枚を机の上に並べた。
「この五枚から、一枚選んでください」
私は、迷わず真ん中のカードを選んだ。
すると、死神のカードが出た。
普通なら、気を使って、どんなカードが出ても、安心させるような言い方で、
こうすれば大丈夫、とか、言いそうだけど、
彼女の場合はどうだろう?
「残念ですが、もう後がありませんね。
生きる意味も分からないまま平凡に生き続けるか、それとも何もなし得ずに死ぬか、どちらか選択しなければなりません」
やはり、想像通りの答えが返ってきた。
それでも私は、めげずに聞いてみる。
「でも、もし…自分の力で人生を変えられたら?」
「人生に失敗した者が口を揃えて言う言葉ですね。
それは、“今は無理でも、自分はいつか絶対に人生を変えられる”。ごく普通の人生を歩む人は、ごく普通である事を望む一方、奈落に落ちた者こそ、
非現実的な叶うはずもない理想を夢見る…。
幸せは人それぞれだし、それを望むことは自由ですが、そういう人に限って、何もせずに終わっていく…。そして、死ぬ間際に、
今までの自分の人生は一体なんだったのだろう…と、後悔するのです」
「私は最初から、自分に期待してない」
「いずれにせよ、貴女は老い先短い人生です。
今のうちに好きな事を好きなだけしてみてはいかがですか?やり残した事、やりたくても出来なかった事を…」
やり残した事は沢山ある。
けど、それが出来たら苦労しない。
今までそれが出来なかったし、
今後も出来る見込みがないのに、
お金も時間もない私に、どうしろって言うんだ。
「ですが、そんな貴女にも人生を変えられるたった一つの方法があります」
「方法?」
「それは、最後まで貴女を信じる事です」
私は、その言葉を聞いて拍子抜けした。
そうか、やっぱりこの狐も兎と同じ事を言うんだ。
そう思うと同時に、信じようとした自分自身に対して酷く落胆した。
とてもポジティブな言葉だが、
私にとっては単なる綺麗事でしかなかった。
あぁ、やっぱり私の味方はいないのか。
気づけば、瞳から涙が溢れていた。
………………………………………………………
ひぐらしの鳴き声を聞いて目を覚ました。
オレンジ色に染まった夕空を見上げた。
夢で起きた事は綺麗さっぱり忘れた。
まだ家には帰りたくなかった。
傍にあった蝉の死骸を拾って食べた。
遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえた。
私を探しているのかな?
まぁいいか。
お巡りさん、私はここですよ。
見つかるまで、まだ時間が掛かりそうだ。
ひぐらしの演奏を聞いていたら、
また眠くなってきた。
今度はちゃんと叶うよね?
いつか必ず、
本当の私を見てくれるヒトは現れるよね?
そしたら、もう独りぼっちじゃなくなるよね?
おやすみ、私。
おやすみ、世界。
END
応答セヨ、少女の涙 Kurosawa Satsuki @Kurosawa45030
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