第3話

家庭内の子供への暴力は、家族という閉ざされた環境の中で発生する。だから、注意して観察しなければ、第3者が両親による子供への虐待を見抜くことは難しい。物心の付いたじゅんこには、両親から日常的に受ける暴力は当たり前の事になっていた。両親は暴力で支配することが、子供を育てることだと勘違いしていたのだろう。そしてそのような日常は、じゅんこと姉に深い心の傷を残すことになった。


第3回目の告白

両親が結婚したのは、祖母が近所の女性に和裁を教えていたのがきっかけ。祖母の和裁教室に通っていた母親が、たまに教室に現れる父親を好きになったらしい。父親がいると極端に態度が変わるので、父親に話したら父親も母親を気に入っていた。それで、しばらく付き合って結婚した。これは、三島に住んでいる叔母から聞いた話です。祖母は、子供ができないので隠れて不妊治療に通っていました。まだ不妊が恥ずかしい時代。それでやっとできたのが父親です。だから、父親の事は溺愛していました。だけど、父親と母親の間に最初に生まれた姉には、関心がなかった。「あんたたちの子供なんだから、私は知らないよ。」と、一切面倒は見なかった。赤ん坊のころの姉は夜泣きがひどかったらしく、両親は夜泣きが始まると車に乗せて寝るまでドライブしていたらしい。遺影でしか見たことがない祖父は、独立して会社を作ったのだけど、すぐにガンで死んでしまった。だから、父親がその仕事を続けるしかなかった。母親も仕事を手伝っていたので、姉は作業場の隅の段ボール箱の中で育てられました。でもそれも面倒になり、母親の両親に預けることに。仕事が忙しいのもあるけど、夕方に迎えに来る約束が全く果たされず、祖父が10時過ぎに両親のところに連れて行ったらしい。このころから、子供に対するネグレクトが始まっていたのかもしれない。

姉は祖父母に育てられたけど、私は誰に育てられたのかよく分からない。物心ついてから、母親に「お前は近所のおばさんたちに育てられた。」って言われました。だから私には家族っていう根っこがないようで、私自身も愛着障害だと思います。姉は夜尿症がひどくて、私はいつも便秘気味。親の愛情不足は子供の下半身に出るらしいと、どこかで読みました。

母親ほどではないけど、姉も子供は嫌いです。子供が懐いてくるのがしつこくて嫌だと言っていました。そんな姉から、「じゅんこは、周りの人との距離がおかしい。」と言われたことがあります。確かに、そんな両親と一緒にいたら、人との付き合い方もおかしくなります。母親も父親も、自分の親だと感じたことはありません。母親との楽しい思い出は全くないし、父親はすごく怖い他人っていう感じでした。

私が赤ん坊のころは、食が細くて、ミルクもあまり飲まなかったらしい。それで困った母親は、3か月の私に、ほうれん草のスープにクラッカーと卵を混ぜて食べさせようとした。でもそれも食べなかったので医者に相談したら、「あなたは子供を殺す気か!」と怒鳴られた

と言っていました。そして笑いながら。「あんたが卵アレルギーなら、確実に死んでたね。」と続けた。

身体は、姉より私の方が弱かった。虫歯も酷くて、奥歯を抜歯した後に入れ歯を付けて生活していました。でも、抜歯よりも注射が怖かった。クラスでも有名な注射嫌いだったけど、母親はそんなことは気にしない。歯医者で注射が怖くて、治療を受けずに泣いて帰ったら、母親に怒鳴られて殴られた。中耳炎にかかった時は、「お前の耳を切り落としてやる。」って、裁ち鋏(はさみ)を持ち出された。その時は、本当に耳が無くなると思って恐れたことは今でもはっきり覚えています。

密柑畑の農家に嫁いだ叔母の所には、家族全員で、年に1回収穫の手伝いに行きました。収穫は冬の初めなので、夜は気温がぐんと下がった。その時に、咳がでて止まらなくなった。姉と両親は、密柑にワックスを塗る仕事を手伝っていたので、私はひとりで掘り炬燵に入っていた。でも、咳は止まりませんでした。それからは、風邪をひくたびに咳がひどくなった。姉や両親からは、「わざとらしい。」「ウソの咳だ。」と責められた。でも、大人になってから喘息だったって言う事が判明しました。母親にそのことを告げると、「私はちゃんと生んでやったのに、お前が勝手に喘息になった。この出来損ない!」と、逆ギレされた。

いままでに3回、咽頭炎か喉頭炎で、声が全くでなくなったことがあります。でも、病院には行かせてもらえなかった。3回目に無理して声を出していたら、声帯が壊れてソプラノからアルトの嗄れ声になりました。いくら体調が悪くても、母親には病院には行かせてもらえない。母親も40度以上の発熱でも父親に働かされていたから、それも関係しているのでしょう。

私は、尿道炎になって抗生物質のクラビットを服用していたことがあります。その時は、クラビット禁忌っていう副作用を知らなくて、鎮痛剤と一緒に服用したのだけど、酷い倦怠感に襲われた。少し痙攣気味にもなっていた。でも母親からは、「わざとらしい。」との一言。何とか持ちこたえたのだけど、2回目になった時は更にひどい症状に。慌てて病院に連れていかれたけど、母親からは「病院からもらった薬を馬鹿正直に飲むからだ。」と怒鳴られた。抗生物質は指示通りに飲まないと効き目がないのに。

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