第十三分節:第二次関東軍特別演習

 1942年3月下旬、16日より始まった第二次シベリア遠征こと蒙古取合は一応の所満州国軍with関東軍VS極東ソ連軍ということになっていたのだが、その極東ソ連軍はすでにブロンシュテインの指揮下に入っており、事実上の演習に過ぎなかった。所謂第二次関東軍特別演習である。そうとも知らずジュガシヴィッリは日本軍が攻めてきたと勘違いしており(それ自体は決して間違いとも言い難かったのだが、事態はそれよりもっと(ソビエトロシアにとっては)悪化していた)急いで日ソ不可侵条約の反故を訴えるも時すでに遅し、「元」極東ソ連軍の手助けもあって日本軍の先遣部隊は4月段階ですでにザバイカル州に達していたという。

 そして、イルクーツクに本陣を張り直した日本軍は、さすがに全シベリア地方を制圧するのは難しいながらも着々と極東部分を占領下に置き始めていた。中でも沿海州に至っては満州帝国に占領を任せるほどであったという。

 そして、1942年度が始まった……。

「アラスカに日本軍が出没した!?」

「本当か、それは」

「……ユーコン川で、日本軍の目撃情報が多発しております。一説には、すでにコールドフットをはじめ、ダルトンハイウェイの地帯をすでに取られたかも知れません」

「なんたることだ……」

 ……1942年早々の北アメリカ大陸北部における日本軍の目撃情報は、合衆国軍をゆさぶるための陽動であった。だが、ただの陽動では無く、あると噂されるアラスカの油田地帯を発見し、補給を円滑にするための策であった。当然ながら、恒久的に占領する予定である。

 さらには(合衆国にとって)間が悪いことに、アラスカ方面にはカナダが同盟国の関係とはいえ、碌に連邦軍を送っていない状態であり、すなわち軍事的空白地になっていたのだ。

 合衆国は震撼した。日本軍の攻勢を甘めに見積もっていたこともあったが、そこから戦略爆撃をされたら打つ手が無いからだ。

 そして、早々に日本軍は(専用の戦略爆撃機ではないものの)飛行艇基地を建設し始めた……。


<!-- イカ、サクシャノボヤキ -->

……第一部第三分章の「ヨーロッパ戦線(前編)」も、後進しておりますのでお暇な方は閲覧頂けるとありがたいかなあ、って。

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