第十二分節:陰と雷

 1942年も本土内地では雪の溶け始めた3月のことである、支那大陸での作業を完遂した帝国軍は対ソ用の兵員配置を終えて防衛の準備を固めていた。ドイツ第三帝国の攻勢要請に対してはどこぞの"宰相殿の空弁当"が如くのらりくらりと躱しながら兵力を蓄えていた恰好となったのだが、何もただ防衛体制を整えて英気を養っていただけでは、なかった。

 ソビエト連邦が最精鋭にして最後の奥の手とも言える極東ソ連軍を西へ送り込むという情報が入った後の梅津は素早かった。情報の正誤や精度を確認した後に攻勢命令を発令したのは、3月16日の未明であった。

「……と、いうわけで、約束を果たすときがやって参りました。うまいこと行けますか、ブロンシュテインさん」

「あまり、人を騙すような真似はしたくないんですがね……」

 ……ブロンシュテイン氏こと、レフ・トロツキーが復活したという一報を聞いた時のジュガシヴィッリの顔は、今なおコラージュ写真の素材として人気である。

 無論、大日本帝国はただ単にジュガシヴィッリをびっくりさせようとしてブロンシュテイン氏を生かして匿っていたわけではない。彼達がわざわざ敵国の共産主義者を匿っていた理由、それは……。

「それでは、玉を放て!」

 ……もう、言う必要も薄いだろうが、ソビエト赤軍部隊の懐柔である。すなわち、ブロンシュテイン氏を「玉将」として掲げることによりソビエト赤軍部隊を味方に引き入れよう、ということであった。無論、早々うまくいく策では無い。失敗の公算も高い策であった。だが。

「あ、あれは……!!」

「ブロンシュテイン同志! 今までどこに!?」

「日本軍に匿ってもらっておったのよ。と、いうわけで、だ。

 ……諸君、ジュガシヴィッリの命運は最早尽きた!

 ジュガシヴィッリと命運を共にするか、日本軍の庇護の元この地を以て一旗揚げるか! いずれかを選べ!」

「は……」

『ははっ!!』

 ブロンシュテイン氏生還の報がジュガシヴィッリの耳目に届けられるまでは、今少しの時間を必要としたが、その耳目につんざく一報が届いた頃には、最早すべてがソビエトロシアにとって手遅れになった、その後であった……。

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