第三分章ヨーロッパ戦線(前編)

前説:赤髭王の颱風、その顛末

 1941年6月より始まったウンターネーメン・バルバロッサ、いわゆるバルバロッサ攻勢は翌年の1月に一応の収束を見た。

 と、いうのも世界的なテロ組織である共産主義同盟のロシア本部首魁、ヨシフ・ヴィッサリオノビッチ・ジュガシヴィッリ、自称スターリンが無事逮捕されたからである。死刑は確実視されたが、問題はその後であった。

 ヒトラー個人は是としていないものの、戦略的に見た場合生存圏確保のために東方防壁としてロシア再興を行う必要があった。

 と、いうよりも、マンシュタインがモスクワ方面の守備部隊にウラソフ将軍を指名した意味は、もはや明白であり、それは白ロシアの復興ないしはメンシェヴィキ的な、つまりはボリシェヴィキ的暴力革命によらない健全なロシア国家を成立させんとすることを意味していた。……まあ尤も、健全なロシア国家なる幻想は読者世界でも成立していないことを鑑みた場合、甚だ困難ではあったわけだが。

 話を戻そう。バルバロッサ攻勢の成功は、一見してソビエト連邦の崩壊を意味しているように見えた。実際、この後ボリシェヴィキ勢力は遂に勢いを取り戻し得なかったことを考えたらソビエト連邦の崩壊はこの時点で確定的であっただろう。

 とはいえ、それが即座にソビエト連邦解体の後のロシア的存在の減衰に結びつかないのが歴史の妙である。ひとまずベラルーシやウクライナ、ラトビア・リトアニア・エストニアといったバルト三国は無事ロシアの軛から難を逃れたものの、そこからが本番である。

 ロシアの広大な、本当に広大な領土はさしものドイツ国防軍といえど進軍が困難であった。何せ彼等は冬季装備を用意していなかったという滑稽な逸話が残っている程である。そんなこともあって一部の冬季戦に慣れた精鋭部隊以外は越冬準備やひとまず占領したモスクワ近辺の、つまりは旧スターリングラードや旧レニングラードなどの都市部を鎮圧することで手一杯であり、ウラルの彼方まで赤軍派を叩き潰すのは流石に不可能であった。

 そして、ドイツはロシアの裏玄関であるウラジオストックなどの沿海州をはじめとした極東シベリアの封鎖を大日本帝国に要請、返答次第ではノブゴロド三国にロシア人を閉じ込めて二度と東進などさせないように調教する決意を固めた。

 とはいえ、東部戦線が解決したくらいでドイツ第三帝国の歩武が静まるわけがない。むしろ、戦いはこれからであった……。

 一方で、裏玄関封鎖の要請を受けた大日本帝国側としては、ノモンハン事件の痛手から立ち直っていないこともあって当初難色を示す。だが、ひょんなことから事態は三三七拍子に動き始める……。

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