第八分節:海驢(仮題)
イギリスという王朝のメカニズムがいつから発生したかは諸説あって定かではないが、そのメカニズムが終了した日付は誰しも記憶していることだろう。何せ、イギリスの王族がギロチンに掛けられた現場は、写真ごときちんと記録されているのだから。
1942年6月6日が、その日付である。5月下旬より発生したアシカ作戦――すなわち、イギリス本土決戦――によって大英帝国という存在は歴史に国土を移籍することとなった。そしてそれは、ヒトラーがヨーロッパの皇帝になった瞬間でもあった。日の沈まぬ帝国は、突如として没した。
一応、アメリカ合衆国にイギリス王朝の忘れ形見は存在しており、合衆国やカナダ、つまりは北アメリカ大陸に逃れたイギリス人の一部は彼等を亡命政権の主として祭り上げたのだが、イギリス王室という伝統と権威が失われたのは、誰がどう見ても明らかであり、以後イギリス王国という存在が復権しなかったことからも、結果は明らかであった。彼等は遂に、終焉の時を迎えたのだ。
とはいえヒトラー自身も、側近に唆されてイギリス王室をギロチンにかけたとも言われており、その真偽は不明であるが、ジュガシヴィッリ逮捕の時のような切れのある演説を行っていなかったことからも本人は乗り気ではないという言説も存在する。あるいは、ここに第三帝国がヒトラーの独裁政権ではなかったという言説も存在する。まあ尤も、一神教というものは神仏の独裁政権であるからして、ヨーロッパ人にとっては独裁者は身近なものであると同時に相性が良かったのだろう。蛮族には、蛮族なりの統治の仕方があるというわけだ。ローマ帝国然り。
とはいえ、1942年6月はまだ未来の話であり、叙述の現段階ではイギリス王国はまだ余命が幾ばくか存在している。先走りすぎた記述は大局パートの特権であるが故、それはお許し頂きたい。
……皮肉にも、イギリス王族を処刑したギロチンは、ルイ16世やマリー・アントワネットを処刑したギロチンと同じであるという言説もあるが、それは定かではない。もし本当だとしたら、王族殺しのギロチンとして別の意味で有名になっているかも知れない。
そして、英仏が仲良く地獄送りとなったことから判る通り、ドイツ第三帝国以外の国家は、まあより正確に記述するならばロシア三州を含むヨーロッパは、枢軸国の完勝に終わった。一応、イギリス連邦の存在はあるにはあったが、どんな生命体でも頭脳を失ってしまえば、死ぬだけである。それに、インドをはじめとした「イギリス連邦」は大日本帝国の解放を待ち望んでおり、どう考えても連携は取れそうになかった。あるいは、逆の連携は取れそうかも知れなかったが。……日頃の行いって大事ですね。
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