第七分節:支那解放(弐)

 支那は、しつけ糸を2,3本抜き取る形で指導者層を逮捕した結果、総崩れとなった。支那、すなわち「秦の土地」という概念は遂に崩れ去るに至ったのだ。それは、「中華」なる概念も同様である。

 まあそもそも、「中華」なる概念は漢民族が勝手に吹聴していた覇権主義に過ぎないものであり、中華の概念をきちんと調べたら大日本帝国こそが万世一系の神孫を皇帝とする中華皇国として君臨すべき存在であり、ゆえに当局も「華研」という略称を使っているのだが、それを自称せず、あくまでも二文字の国号を使っているのは本朝の奥ゆかしさと言えようか。

 話を支那解放に戻そう。支那を解放したということはすなわち、支那の広大な領域を万民諸民族のためとしての広場として開放したという事実である。北支こそ維持費として大日本帝国が管理下に置くこととなったが、肥沃な江東地方は今までの経緯もあって漢民族南京虫の中でも反日分子テロリストの判定から免れた、すなわち汪兆銘が政府首班ないしは国家元首である震旦共和国の土地ということになったし、関西地方|(これは本朝の関西地方という意味ではないことは、一応明記しておく)をはじめとした巴蜀やその周辺領域である涼州、荊州などに至っては今まで虐げられていた少数民族ごとの国家を作り、「あじっぱ(表記文字は諸説あるが、ユーラシアの逆でアジアを先述したアジア・ヨーロッパのことであろう)東部連邦」として小規模な国際連盟としてまとめるに至った。

 それが全て、聖上の徳によるものであると記述するのは、流石に言い過ぎであろうか? 否、断じて言いすぎでは無い。そして、これによって大日本帝国は支那大陸に貼り付けていた大量の陸兵の解消ないしは転用や消耗した資源の回復を実行、以後、支那大陸では銃声一発聞くことなく平和裏に分割を迎えた。海洋国家は大陸を支配できない場合、分割して対処せよ。軍事学の基本である。

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