第十一節:第一次ベンガル湾海戦(十一)
イギリス海軍東洋艦隊臨時旗艦、ラミリーズにて司令長官は決断を迫られていた。撤退することは最早避けられない。では何を決断するのか。……彼らは、撤退先に迷っていた。一番楽なのは、このまま持てる速度を思いっきり出してスエズ運河に逃げ込むことであったが、流石に東洋艦隊がスエズ運河に逃げ込んだとあってはインドの失陥同然であり、避けるべき選択であった。では、マダガスカルはどうか。……流石に遠すぎる上に、途中で追いつかれた場合アフリカ大陸まで独立の嵐が来訪しかねない、やはりこれも避けるべき選択肢であった。と、ハーミーズより発艦した攻撃機、ソードフィッシュ部隊より連絡が入った。やはり、駆逐隊は全滅したらしい。最早、後はソードフィッシュが自殺的な攻撃をする以外に遅延作戦は立てようが無かった。まあ尤も、ソードフィッシュ部隊は攻撃を仕掛ける前に字義通りの全滅してしまうのだが、それを彼らは流石に知りようも無かった。
「……やはり、アッドゥに逃げ込むしかないか」
司令長官は、予定調和が如く当初の案通りにアッドゥ環礁に逃げ込む決断をした。それを聞いた参謀は、なぜ司令長官がそこまで戸惑っていたのか解らず、聞いた。
「何か、問題でも?」
「……あそこが見つかったら、海上橋頭堡を完全に失ってしまう。出来れば、避けたい撤退先だ」
……すなわち、そういうことだ。日本軍の情報調達能力は決して高くはないが、このまま逃げ続けて秘密基地が目視でもされたら、今度こそイギリスはインドから叩き出される。それほど重要にして秘匿すべき基地だった。とはいえ、ここで東洋艦隊が字義通りの全滅をしてはその「反攻作戦」すら水泡と帰すだろう。
「……しかし……」
「解っているとも、アッドゥしか近場で逃げる場所は存在しないだろう。……神に祈るより他、あるまい。どうか見つかりませんように、とな……」
「閣下……」
……そして、彼らはさらに艦艇の損失を受ける代わりに、アッヅ環礁の防衛には成功する。日本軍は第二次ベンガル湾海戦に至るまで彼らの
そして、撤退戦最後の、すなわち第一次ベンガル湾海戦のフィナーレを締めくくる海戦が刻一刻と迫っていった。
東洋艦隊の本隊を連合艦隊が捉えたのは、午前十時より少し前の頃のことであった。
すかさず、司令長官長谷川清は采配を決めた。ここで東洋艦隊を一隻でも残した場合、蠅のようにしつこく通商破壊を仕掛けるであろうことは確定的であったからだ。
だが……。
「長官!」
「おう、どうした。」
「航空攻撃を仕掛けないとは、真で!?」
ある参謀が、司令長官である長谷川清に食ってかかった。本来なら上意下達が基本である軍隊でそれは非常にマズい行為なのだが、長谷川は鷹揚に構えて参謀長である醍醐忠重少将に説明を任せることにした。
「ああ、醍醐君。説明してやれ」
「ははっ。……航空攻撃で今東洋艦隊を沈めるのは、はっきり言って容易いだろう。だが、それでなにが起きると思う」
「……インドの解放では?」
「ああ、一時的にはだがな。……予定通り、連中には航空攻撃で艦船を沈めることは難しいという認識でいて貰う。ゆえに、砲雷撃戦に留めておく。
追撃できない場合は、一度カルカッタに戻りデリー解放の援護を行う。まあ、我々海軍の艦艇ができることは限られてくるが……」
……醍醐は、戦艦を航空機で撃沈できるという事実がどれだけ現状の戦争計画を狂わせるかを良く察していた。昼間の航空攻撃は来るべき時まで取っておき、また同時にその「来るべき時」にそれを行うことによって、事実上の講和会議にまで持って行くための戦略を、既に磨いていた。
醍醐は、潜水艦の名手であった。それは兵站をよく知るということであり、また同時に「潜水艦がされては嫌なこと」を行うことが如何に通商破壊を防ぐかも理解していた。まあ尤も、この当時合衆国海軍の魚雷兵器は非常に信頼性が低く、不発弾も多数存在したのだが、彼はそれがいつまでも続くはずが無い事もよく存じていた。そして……。
「なんにせよ、那珂が損傷したことは皆知っているだろう。那珂だけで済まない可能性を考慮し、尚且つ航空攻撃を行わずに追撃を行おう。
……何、我等は天下無敵の帝国海軍だ、この程度の苦境、訓練に比べれば遙かに
……それは、彼らの職人気質を非常に逆撫でし、尚且つ巧みに操る叱咤激励であった。案の定、血が上ったのか長谷川に詰め寄った参謀は今度は醍醐に対して向き直り、返答した。
「畏まりました、それでは
「おう、期待しているぞ、若手」
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そして、参謀が退出すると長谷川は醍醐に対してこう言った。
「……済まんな、憎まれ役を買って貰って」
「大丈夫です、スタッフの長というものは元々憎まれるものですから」
「……済まんな」
……醍醐の腹芸は、全てを計算に入れていた。それは、自身の悪評すらも、計算の内であったという。
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