第九節:第一次ベンガル湾海戦(九)

 まず、発砲炎を観測したのは大和より前を守る前衛部隊、通称「トンボ釣り」と呼ばれる駆逐隊であった。とはいえ、所詮は駆逐艦の発砲炎である。駆逐艦の本分とはあくまで魚雷攻撃であり、駆逐艦の砲撃程度では同じ駆逐艦相手ならまだしもそれ以上相手であれば傷一つつかないだろう。そんなことは、発砲した本人であるイギリス海軍の即席駆逐隊が一番よくわかっていた。彼らは、せめて巡洋艦相手でないと魚雷を発射する気はなかった。意地だろうか? 違う。彼らが魚雷を眼前の駆逐隊に発射しなかった理由は、意地でもなければ兵器節約などという理由でもない、その、理由とは……。

「艦長、そろそろ発射可能距離に入ります、許可をください」

「まだだ、まだ引きつける必要がある。本艦の魚雷はせいぜい10本しかないんだ、それに……」

「それに?」

「発射する以上、確実に仕留めたい。五本もの魚雷を同時発射して、一本も当たらぬとあってはむなしいではないか」

「……畏まりました、では今少し引きつけますか」

 ……彼らは、魚雷発射可能距離ではなく、確実に命中しうる距離まで魚雷の発射を待っていたのだ。そもそも、日本軍以外の魚雷はそこまで長距離を走り得ない。酸素魚雷というものは日本の特有的発明品であり、ドイツ軍に輸出されたとはいえそれはまだ届いていない現状はまだその兵器の秘匿性は守られていた。

 だが、日本の水雷戦隊は世界一のレベルを誇る部隊である。それが眼前のイギリス海軍に先に発砲を許したのは、別に敬意を表しているわけでも慢心によるものでも無かった。その理由とは……。

「艦長、既に敵艦は発砲しておりますが、本当に宜しいのでしょうか」

「阿呆、こんな距離から当てられるような船員がいるわけが無かろうが。あれは単なる威嚇射撃以上の意味はない、それに……」

「確実に初弾から当てれば、戦意もくじけますか」

「それは、俺のセリフなんだがな……。まあいい、僚艦の海風、山風、涼風に連絡、二十四駆はこれより敵艦の脇を駆ける、正面戦闘は四駆と九駆に任せよう」

「ははっ」

 脇を駆ける。駆逐艦の写真を参照できる方ならばこの発言だけで理解できるだろうが、駆逐艦の魚雷というものは、否、巡洋艦を含めて魚雷攻撃はそもそもタイムラグもなしに正面へ発射できるようには作られていない。それが即座にできるのは潜水艦だけである。すなわち、敵艦の脇を駆けるという行為は、魚雷攻撃を行うことを意味する。

 獅子は兎を狩るにも全力を尽くす。ましてや、相手は兎のような非武装の輸送船ではなく、一応牙や爪を持つ駆逐艦である。兵器の節約など考えていれば血を見るのは味方であった。

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