第八節:第一次ベンガル湾海戦(八)
「敵駆逐隊、降伏勧告を拒絶いたしました!」
「……なんと」
航路を遮った敵駆逐隊、すなわちクオリティ、エキスプレス、ジュピターから構成された眼前の(といっても、彼らはまだそれを目視してはいないのだが)敵部隊は降伏勧告を拒絶した。それはロイヤルネイビーの矜持であり、同時にたかだか劣勢ごときで弟子にして劣等人種に屈するものかという意気地の結晶であった。付き合わされる部下はたまったものではないだろうが、その部下らも日本軍にひと泡吹かせてやろうと血気盛んであった。
「連中、彼我の戦力差を理解してないんでしょうかね」
ある参謀が呟いた。即座に、その参謀はこう返された。
「わかっていて、だろう。ここは武士の情けだ。駆逐艦三隻程度ならば零戦による空襲でも撃沈できるだろうが、受けて立ってやろうじゃないか」
「しかし、罠です!」
罠。確かに罠といえた。まあ罠というよりは遅滞防御の類いなのだが、この駆逐艦三隻にかかずらっていては本隊を見逃す可能性があったのだから、当然と言えよう。だが。
「大丈夫だ、既に敵の本隊は把握してある。……敵の航空隊が確認された。恐らく、敵はまだ空母が存在している。むしろ、これは絶好の機かもしれん」
「は? ……と、仰いますと……」
「獅子は全力を以て狩る。一人の欠員も無く駆逐艦三隻を計上できれば、なおのこと士気は増すだろうし、絶好の広告にもなり得る。……それに、試してみたくはないか」
「なにを、でございましょうや」
「……大和の主砲だよ。まだ一回も火を噴いてないじゃないか、敵の艦隊相手には」
……大和の艦橋では、既に撤退中である敵の主力部隊は把握できていた。と、いうのも、ソードフィッシュなどの敵の攻撃隊を発見しており、近くに敵空母が存在するのは確定であったことと、さらに零戦部隊の、とびきり目の良いパイロットはその「敵空母」を既に目視していたからだ。そして、軍艦大和は未だ敵の艦艇に対して、主砲を発射していない。駆逐艦相手とはいえ、否、駆逐艦相手だからこそ、一撃で沈めなければならなかった。
「……主力艦艇を撃沈できる機会まで休ませておいては?大和の主砲とて無限ではありません」
「そういう意味じゃ無い。……敵はまだ酸素魚雷を開発できていないはずだ。さらに、大和の姿を見せて戦意を喪失させるのも、悪い手ではあるまい」
「……畏まりました、それではやってみましょうか」
「おう」
……そして、駆逐艦三隻と戦艦七隻という絶望的な戦闘が始まった。とはいえ、駆逐艦側にとっては時間さえ稼げれば戦略的には勝利であり、戦艦側はそれをカバーできるだけの手は残してあったのだが。
一方で、駆逐艦側も決して一枚岩とは言い難かった。と、いうのも……。
遡ること十数分前、クオリティ艦橋にエキスプレス艦長が乗り込んできた。表敬訪問かなんかだろうと軽い気持ちで了承したクオリティ艦長は、間もなくそれを後悔する。
「おい、降伏勧告を蹴ったのは本気か!」
「ああ、本気だとも。ロイヤルネイビーの矜持を見せてやるためだ」
「バカヤロウ! 死ぬなら一人で死ね! 部下まで巻き込むんじゃねえ!」
……クオリティ艦長は、突如としてエキスプレス艦長に殴られた。強かに倒れ込んだクオリティ艦長は、エキスプレス艦長に対して抗議しようとしたが、さらに何度か殴られて、もみ合った。
「……全く、貴様は昔からそうだな。俺達の戦略的意義を考えろ。駆逐艦三隻で敵艦隊を仕留められるわけが無いだろう。だったらせめて抵抗して、矜持を示す必要がある」
「だから、部下を巻き込むな! 時間を稼ぐだけなんだったら、別の方法があるだろう!」
「……随分人道的なご高説だが、俺達は植民地の市民じゃない。偉大なる大英帝国の従僕だ。ここでなんの抵抗もせず白旗を振って助かるのが、どれだけ残された家族に恥を塗らせるかわからんのか」
「だがっ……!!」
「……いいか、俺達はあくまでもここで抵抗することによって、本隊の危険を回避し、俺達の矜持を満足させうるんだ。そんなここともわからんから、ハンモックナンバーが下から数えるような成績なんじゃないか?」
「このっ……!!」
さらに、殴り合いをしようとしたエキスプレス艦長に対して、クオリティの先任将校が止めに入った。
「ストップ、そこまでにしてください。
そうこうするうちに、敵艦隊は迫ってきております。エキスプレス艦長はお戻りください」
「だがっ……!!」
「エキスプレス艦長が自沈を選ぶのは勝手ですが、我等ロイヤルネイビーの矜持を満足させるためには、そして皇帝陛下に恥をかかせないためには、ここで抵抗して死に花を咲かせる方が美談になるのです。それに……」
「それに!?」
「……ここで美談を作れば、いずれ反攻の狼煙になるかもしれません。我等は死ぬことによって大英帝国を活かすのです。まさかそんなことも解らないで、艦長の任を受けたのですか?」
それは、言ってしまえば帝国という国家の宿命であった。すなわち、君主のために死ぬ、という徳川時代の如き美学と、その死に方によって美談を作り戦略的優勢を得る、という近代国家のキマイラのようなものであった。これが、同じエングリシア語国家と言ってもそれが反目し合う理由であった。恐らく、アメリカ合衆国の海軍ではエキスプレス艦長の意見の方が優勢であろう。そして、彼も遂に腹をくくった。
「……ちっ……。
いいさ、いいだろう。貴様等のわがままに付き合ってやる。ただし!」
「ただし?」
「抵抗すると決めたからには、体当たりしてでも連中を止めるぞ!」
「……その答えを、待っておりました。それでは皆、死んで花実を咲かしましょうか!」
……そして、いにしえのスパルタ軍が如き壮絶な葬列が開始された。
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