第七節:第一次ベンガル湾海戦(七)

「前方に駆逐艦が三隻、どうやら足止めをする気のようです」

 零式艦上戦闘機の搭乗員、後に将校出のエースパイロットとして名をはせる笹井醇一を隊長機とした、台南空からカルカッタ基地へ異動となった航空隊が弾着観測を兼ねた偵察部隊として飛行中に発見したのはエキスプレスとクオリティ、そしてジュピターという名の駆逐艦で構成された即席の駆逐隊であった。無論、敵が制海権を得た海域で駆逐艦だけが三隻程度存在しているわけではなく、明らかにそれは囮ないしは遅滞防御のためのだった。とはいえ、敵艦は敵艦である。当初撃沈を考えた笹井であったが、部下にして僚機のバンクを見て考えを改めた。何せ、彼らは本物のエースパイロット、しかも桁数が三桁に上ろうかという鬼神の類いである、隊長といえどその意見具申を階級だけで無視するのはあまりにも愚であった。さらには、彼の操る零戦は爆装をしておらず、増槽も装備していない。零戦の行動半径は長いとはいえ、現状彼の操る機のそれはそこまで長くは無いことを考慮し、ひとまず敵艦隊の位置を旗艦大和に送ると共に打ち上がりはじめた対空砲火を躱し、偵察飛行を続行した。


「駆逐艦が三隻だけ?」

「妙ですな、実に妙だ」

 一方で、司令部に届いたその報告は、参謀達を困惑させるに充分であった。如何に夜間空襲作戦が理想的に決まったとはいえ、いくら何でも敵艦の頭数が少なすぎた。恐らく敵の本隊はもっと向こうにいるのだろう。位置さえ解れば、航行を続けられるのだが……。

「とりあえず、敵さんの救助は味方の駆逐艦に任せましょう。如何に駆逐艦が三隻しか存在しないとはいえ、白旗も揚げていない敵です、撃沈すべきかと」

 撃沈を進言する参謀。当然である、これは戦争なのだ。それに対して、長谷川も頷くと、こう下令した。

「念のため、降伏勧告だけはしておけ。応じないとは思うが国際的非難は避けたい。欲張って拿捕をしようにも、それで戦死者を計上しては損だ」

「ははっ」

 ……「敵の本隊」である東洋艦隊の生き残りが、全力で航行していたが流石に速度が出ないこともあって逃走中なのを偵察中の零戦部隊が発見したのはそれからしばらくした後のことであった。


「……降伏勧告?」

「おのれ、巫山戯おって!」

 一方で、降伏勧告を受け取ったクオリティ艦長は激高していた。とはいえ、駆逐艦が三隻しかないこの状態で敵を足止めするのは不可能である。捨て石の任務を受けた彼は死に花を咲かせる気でいたのだが、その降伏勧告は彼の矜持を折るに等しい行為であった。

「ですが、艦長。受けるべきです」

 慌ててクオリティ艦長に諫言するは航海長であった。彼我の距離を考えた場合、降伏勧告において手間取らせて味方の撤退を助けるという方法も、悪い話では無かった。さらに言えば、激しやすい彼の性根を知っているエキスプレス艦長はあらかじめ作成した打電を送っていた。曰く、「短気は損気、急がば回れ」。無論、打電の抜き書きをした場合日本の諺の文章ではなくイギリスの慣用句であろうが、洋の東西を問わず、同じような諺は存在する。というよりは、そういうものが諺といえるだろう。

「ぐぬぬ……」

「艦長!」

 今度は、砲雷長も参加して艦長を諫めに掛かった。艦長も流石に頭を冷やし始めたのか、彼らに策を尋ねはじめた。

「……策はあるのだろうな?」

「古来より、捕虜が足を引っ張るのは本国の意に沿うと思います」

「ここは一つ、キングストン弁を抜いて総員退艦を告げるべきかと。それに……」

「それに?」

「……なるべく、無様に駄々をこねましょう。艦長が醜を曝すだけ、味方の艦艇が生き残ると考えたら、決してただの醜態とは言い難いはずです」

 彼らの任務は、あくまでも本隊の撤退までの時間を稼ぐことである。それがどのような行為であれ、時間を稼げるのならば事実上容認されていた。艦艇の喪失はもちろんのこと、捕虜として敵軍の足を引っ張るもよし、降伏勧告を受け入れる際に時間を引き延ばしたりして無様な体を装って獅子身中の虫となるもよし、戦略的な成功をなすのであれば駆逐艦三隻の犠牲は彼らにとっては許容範囲だったのだろう。……駆逐艦三隻で済むのであれば。

「……策を受け入れよう。だが、キングストン弁は抜かんぞ」

「……は?」

「少しでも、奴らに弾薬を消耗させる。自沈ではなく敵の弾薬を消耗させた撃沈にするために、最低限の戦闘は行うぞ」

「……はあ」

 かくて、クオリティ艦長はエキスプレス艦長およびジュピター艦長に打電、こういうときは同じ駆逐艦の艦長で階級が一緒であったとしても、ハンモックナンバー、すなわち士官学校での成績が物を言う場であった。

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