第一分章:ベンガル湾の大和

前説:第一次ベンガル湾海戦(序)

 1941年12月23日に陥落したコレヒドール要塞を始め、1941年12月に陥落した要塞は大小合わせて10では利かず、大きな物件だけでもコレヒドール要塞、バンドン要塞、シンガポール要塞、そしてコロンボ要塞にベンガル湾の要所カルカッタなど、小さい物件に至ってはインパール基地やチッタゴン基地などの代表的なものからバリックパパン製油所など、たった一月半で東インド会社と言いうる東亜植民地拠点はいとも容易く無力化された。中でもマレー半島はジョホールバルにて行われた電撃戦は今尚「ジョホールバルの歓喜」としてマレーの軍歌に伝えられている程である。

 とはいえ、それは既に過ぎた話。ここでは五話ほど割いた「ベンガル湾の大和」の詳細を語りたいと思う。

 ベンガル湾、即ち現在「天竺共和国」と称されているインド諸地域の東海岸に大和が浮かんでいるという事実は、即ち東インド会社をはじめとした英蘭軍の艦隊が転覆ないしは轟沈したことを意味するのは明白であるが、後に戦勝の象徴となる程大和がこの海域で活躍したかと言えば疑問符が残る。無論大和の活躍で一番有名なのは「菊水作戦」ないしは「天一、二、三号作戦」ことアメリカ合衆国西海岸への三度に亘る殴り込み作戦なのだが、この「ベンガル湾の大和」に関しても海軍が盛んにポスターにこの写真を採用したこともあって軍艦大和がベンガル湾で英蘭敵艦隊を向こうに回して無双したと勘違いしている方は、未だに多い。無論、大和が天号作戦にて本当に合衆国太平洋艦隊を向こうに回して無双をしたのでベンガル湾でも同様のことが起こっても可笑しくは無いのだが、大和が純軍事的にベンガル湾で果たした役割とは、「囮」であった。否、「囮」という表現は正確では無い。何のてらいも無く大和が果たした役割を表現するのならば、「罠に置かれた疑似餌」であった……。

 よく、ベンガル湾において大和と対比される存在なのが「プリンス・オブ・ウェールズ」であるが、それを直訳して「ウェールズの王子」と訳してしまってはあまり締まりの無い表現となる。「プリンス・オブ・ウェールズ」というのはイギリス王国でいうところの、「王太子」という意味であり、軍艦「大和」が本朝の雅称を使ったとしたら「プリンス・オブ・ウェールズ」というのはイギリス王室の象徴であるとも言えた。だが、第二次ベンガル湾海戦において「クイーン・エリザベス」も轟沈したことを考慮した場合、イギリスはインドを得たことによって遠回りではあるが国家の威信も「轟沈」してしまったと言えるのかも知れない。

 ……いや、前置きを長々とし過ぎてしまった。今なお「航空主兵」というのが事実上大日本帝国にしか使えない手段であると言うべき象徴の作戦である「第一次ベンガル湾海戦」を語るとしよう。

 まず海戦のベルを鳴らしたのはカタリナ飛行艇であった……。

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