第十分節:英国東洋艦隊潰滅
英国海軍東洋艦隊潰滅、この驚異の一報は即座に、そして電撃的に東亜各地へ広がった。更には、その詳細を伝える歌まで流れていたのだからどれだけの大戦果か「おわかりいただける」と思う。一応、パナマ運河爆砕やシアトル、ハワイ、アンカレッジ占領、グアム空襲などの戦果は挙げていたものの、フィリピンなどの近場ではまだ大和による敵要塞破壊作戦しかされていなかった(それ自体は、成功した上にフィリピンを迅速に行軍できた重大な戦果なのだが、やはり敵艦隊、しかも東洋支配の象徴的なものを壊滅させたニュースに比べればインパクトは薄い)ことを考えたら、臣民の度肝はもちろんのこと、東亜で白人種の植民地だった者の度肝も完全にぶち抜いた。そして、この日を境に植民地独立運動は激化、中には現地の総督を先住民の手だけで捕えて日本軍に引き渡す、などという事例も発生したほどである。
「なんともやれやれ、我々は楽を出来るが……」
「問題は、占領軍ではなく解放軍であるという体面をどこまで維持できるかですな」
「ああ、ひとまず学校を作ろう。そして、現地の言語も研究せねば」
……インドネシアの要所、バレンパンとバリックパパンに日本軍が上陸したのは、そんな折の出来事である。インドネシア方面の総司令、今村均はこの流れを完全に読み切り、麾下の日本軍に乱暴狼藉を固く禁じ、事実上終戦までインドネシア総督として稀代の善政を敷くことに成功する。
……そして、1942年1月も中旬(!)にさしかかった頃である……。
「もう戦争計画の第一段階を達成したぁ?」
「厄介なことになりましたな、いくら早くても年度末までは掛かると思っておりましたが」
「とはいえ、今の勢いを殺すのは惜しい。いかがなさいます」
「いかがなさいます、っつったってなあ……」
大日本帝国は戦争計画の第一段階――即ち、資源地帯の確保――を開戦1,2ヶ月で達成してしまった。それ自体は、前線が順調な証拠であったのだが、いくら何でも想定外であった。戦後、大日本帝国のある軍人が「いくら何でも、あそこまで敵軍が弱いとは思っていなかった。何せ連中ときたら、いかに軍艦大和が砲撃支援をしていたからといって要塞に籠もるン万の兵がたった700人の威力偵察部隊の攻撃で降参したんだから」とインタビューに答えていたとおり、勘の良い者などは罠ではないかと深読みしすぎたほどなのだからいかに現地の英蘭植民地軍が弱かったのかおわかりだろうとは思う。
そして、戦争計画の第一段階を達成した日本軍首脳部は第二段階に取りかかることにした。その、計画の内容とは。
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