第63話 白雪姫はむず痒い

 今日も図書室には人が来ない。読書の秋と言う言葉があるが、今の皆はそんなことより文化祭のことで頭がいっぱいになっているだろう。


 そんなわけで1学期の時と変わらずこの静かな図書室でそれぞれの世界が繰り広げられていた。拓人は楽な姿勢を取りながら、のんびりと本の世界へと飛び立っていた。彼は読書の秋というよりも、読書の春夏秋冬だろう。春も夏も本を読んでいて、秋の今も読んでいる。後残す季節は冬のみだが……おそらくは冬も同じように本を読んでいるんだろうなと予想がつく。


 そんな彼の隣で私は今、ぼーっとする……ふりをしていた。


 な、なんだろう……すごく落ち着かない!


 非常に快適な室温に、時折ページをめくる音は聞こえてくるが基本的には無音の部屋。今ここには何もしていないとついうとうとしてしまうる空間が形成されている。しっかりと睡眠をとっている人でも眠くなってしまうほど、今の図書室は心地よい場所と言えるだろう。


 だがしかし、今の私にとってはこの空間は心地よい場所とは対極の位置にある場所だった。原因は分かっている。私はばれないよう細心の注意を払いながら自分の双眸を横へと向ける。すると私の朱色の瞳は穏やかな表情で本を読み進める少年の姿を捉える。


 次の瞬間私の脳から体へと謎の信号が伝わり、私の顔はすさまじい速度で彼から離れるように別の方向を向き始める。


 な、なんでだろう……拓人のことを見るとなんかこう……むず痒い感覚に襲われちゃう!!

 

 頭からつま先まで、全身もにょもにょとした感覚が走る。体を捻らすほどくすぐったいわけではないが、その場で体を小さく振るわせたくなる程度のむず痒さを感じる。


 何!?何なのこの感じ!すごく居た堪れないんだけど!?


 今までに感じたことのない感覚に、私の心はひどく動揺していた。今までであれば、この静かな空間が私の心に安らぎを与えてくれていたし、私自身安らぎを感じていた。誰にも気を遣う必要がなく、自分の好きなことをして、時々隣に座っている友人と会話をする。


 白雪姫として生きてきた私がようやく手にした穏やかな、そして普通の時間。この時間が私を白雪姫から解放してくれる唯一の時間であり、私の心に潤いを与えてくれる時間だった。


 なのに……なのになんで今はこんなに居心地が良くないのぉ!?


 今の私は安らぎを感じるどころか、この場から逃げ出したい衝動がじわじわと湧き上がっている。かと言って全力で逃げ去りたいというほどでもないし、この場にいたいなと思う気持ちも少なからずある。苦痛とまでは言わないけど妙に落ち着かないといった感じだ。


 そうよ!拓人のことを気にしないで別のことに集中すればいいのよ!!


 そう思った私は文化祭へと思いを馳せる。高校の文化祭っていったいどんな感じなんだろうなぁ。


 ……無理無理無理!意識しないようにすると余計に意識しちゃう!!


 が、遠くへ行こうとしていた私の意識は隣の少年の方へとすぐに引き戻されてしまう。駄目だと言われるとやりたくなってしまったり、笑うなと言われると小さなことでも笑みがこぼれてしまう現象と同じである。私の頭の中に思い描かれていた文化祭の情景はあっという間に消え去ってしまった。


 さらに悪いことに、体も私の意思に従ってくれなかった。違う方向を向いていた私の視線はいつの間にか彼の方へと吸い寄せられていたのだ。


 ……っ!?!?


 ジーっと彼の方を見ていたからか、拓人と目が合ってしまう。そして次の瞬間、先ほど、いやそれ以上に私の体の中に得体のしれない感情が流れ出る。


 なんと形容したらよいのだろう、恥ずかしいという気持ち、居た堪れない気持ち、そしてどこかほんの少し嬉しい気持ち。様々な感情が混ざり合い、自分が今までに感じたことのない気持ちが全身を包み始める。


 な、何この感覚……!!今まででも十分むず痒かったのに余計にむず痒くなったんだけど!?


 もにょもにょとした感覚が体中を刺激し、私は拓人と目が合ったその1秒後には明後日の方向へ首をぎゅんと曲げていた。これ以上彼と視線を合わせているとこのむず痒さに耐えれる気がしなかったからだ。


 しかし、どういうわけか私の両目は再び拓人の姿を視界内に捉えようとする。自分の体に心地よいとは言えない感覚が走るというのに。


 私……一体どうしちゃったんだろう……。


 自分の体が、感情が、自分のものではない感覚に襲われる。今までは何も感じていなかったのに。今までは普通だったのに。何故?どうして?


 考えないようにしても頭の片隅には常に拓人のことがふよふよと漂っている。体に走る未知の感覚のせいで、委員会の仕事中私の心は不安定なビートを打ち続けることになった。

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