第59話 少年は考える
夏休みと言うのはほとんどの生徒にとって天国のようなものである。朝早く起きて学校へ行き、一日中授業を受けさせられ、さらに先生の監視により自由を制限される生活から長い間解放されるからだ。
何時に起きても問題はないし、どれだけだらしない格好をしていても怒られることはない。ただし、親からのお叱りはないものとする。
そんな楽しい楽しい夏休みだが、我々生徒は学校生活から解放される際に宿題と言う名の首輪をつけられてしまう。その首輪にはなんと爆弾が仕掛けられているのだ。夏休みまでに解除しないと先生の怒りが爆発するという非常に厄介な爆弾が。
「あぁ……だりぃ……」
「そんなに溜め込んでるのが悪いんだぞ拓人」
持っていたペンを放り投げ、溶けるように机へ倒れこむ。あぁ……このかばんに入ってるテキストとかプリントとか全部破り捨てたいなぁ……。
俺は今、宿題を絶賛消化中inチェーン店カフェ、スペシャルサンクス正樹。長期休みの課題はぎりぎりでやる派閥自称幹部の俺は、情けない悲鳴を上げながら数時間ペンを動かしていた。もう手が痛い……もう十分やったよな俺、もうゴールしてもいいんじゃないかなって俺思うんだよ。
しかし現実とは残酷なものである。これだけ頑張ってもまだまだ宿題は残っている。まだ半分以上あるとかまじ……?普通に死んじゃうんですけど……。
ちなみに対面で黙々とペンを動かしてしている正樹君は、俺と違ってちょっとずつ宿題をやっていたらしく、もう少しで渡された宿題全てが終わるとのこと。頼むからその宿題全部俺名義にしてほしい。
「ほら、早く手動かしな」
「ちょい休憩」
そんなぶっ通しで出来るほどの集中力と忍耐力は持ち合わせてないんですよ。休憩挟まずにこんな苦行やってられるかって話ですよ。
「じゃあ俺もちょっとだけ休憩すっかなぁ」
そう言ってペンを置き、軽く背伸びをする正樹。っく!この余裕そうな表情がすごい憎々しい!そっちはもうゴールテープ見えてるかもしれないけど、こっちはまだまだ数kmあるんだよ!
「そういや拓人」
「ん?」
「拓人って女の子嫌いじゃなかったんだな」
「え、何急に?」
突如発せられた正樹の言葉に素で困惑してしまう。そういえばで話す内容じゃないと思うんだけど?それとその考えはどっから出てきた?
「ほら、この前ショッピングモールでばったり出くわしたじゃん?それで拓人の背中に女の子がぴったりくっついてるの見て、あれ?拓人って女の子苦手じゃなかったけなぁって思って」
「別に苦手じゃないが?どうしてそうなったのか詳しく説明して欲しいわ」
「だって拓人彼女作らないし作りたくないって昔から言ってるから」
「女の子が嫌いなわけじゃなくて恋愛に全く興味がないだけだっつうの。俺ふっつうに若菜とかと喋ってるだろ」
「あぁ、確かに」
俺の言葉に正樹は納得の声をあげる。正樹は若菜ほど俺のことを知らないし、知られたくないなと思って話していない。というか若菜にも知られたくはなかったんだけどなぁ……って今はそんなことどうでもいいか。
「俺は恋愛に興味がないだけ。別に女の子と関わるのが嫌いとかじゃないから。そこんとこよろしく」
「……なぁ、なんで拓人は彼女作ろうと思わないんだ?」
「また唐突に……」
「いやずっと前から気になってたんだよなぁ。どうして頑なに彼女作ろうとしないんだ?」
「それは……」
俺が人を幸せにできるような人間じゃないから。恋愛なんてただの幻想でしかないから。幸せなんて瓦礫のように簡単に崩れ落ちるから。どうせ自分も同じような未来をたどるから。
自分が恋愛をしない、恋愛を忌避している理由はあげればいとまがない。そしてその理由が上がるたびに心の上には暗雲が立ちこみ、過去の嫌な記憶を閉じ込めている箱がカタカタと振動し始める。
「それは……純粋に興味が湧かないからだよ。ずっと言ってるだろ?俺は恋愛以外のことで忙しいの」
「……そっか、まぁ俺がそんな口挟むことじゃないからな」
正樹のこちらを気遣うような表情を見てやってしまったという後悔が俺の頭の中をよぎる。いつの間にか暗い顔になっていたのかもしれない。正樹に俺の昔話を話していないのは変に心配されたくないから。だというのに、俺は今正樹に変に気を遣わせてしまった。
「そうだぞ、お前は若菜の手綱を握るのに集中しとけよ」
「言い方よ……」
少し重くなってしまった空気を変えるべく、俺は多少強引だが話題を別のものへとすり替える。こんなこと、誰かに進んで話すことじゃないんだから。不幸自慢なんてしたくもないしね。
「はぁ……そろそろやりますかね」
「そうだな。俺はもうちょいで終わるし」
「その不用意な発言で人を傷つけるのは良くないと思うんですよね」
「ちゃんとやってないお前の責任だろ?」
「それはほんとにそう」
作業に戻ろうと思ったら急にナイフが飛んできました。言葉って言刃にもなるんですよ……。
カリカリとシャーペンの音を鳴らしながら、空白を黒に染めていく。手は痛いが手を動かさないと宿題は終わらないため、血の涙を流しながらただひたすら宿題に没頭する。
凛花との距離感……もうちょっと考えないとなぁ……。
宿題をやり始めてから数十分が経過した頃、俺の集中力はぷっつりと切れ、現在は勉強とは全く別のことを考えていた。
ここ最近凛花と絡む機会が多かったが、明らかに距離感がおかしい。どう考えても友達の距離感ではないほどに近い。普通であれば「あれ?もしかして俺のこと好きなのかな?」と勘違いしてしまうほどに近い。俺はそんな勘違いしていない、していないけれど今後変な気を起こす可能性はゼロではない。
人間は間違いだと、良くないと分かっていても同じことを繰り返す愚かな生き物だ。自分をいくら戒めてもいつ自分の心がいつ暴走するか分からない。そのため事前に手を打っておく必要がある。
単純だが1番効果的な方法は彼女と距離を置くこと。おそらく凛花は俺のことを男として見ていない。そのせいでこんなに距離が近くなっているのだと思う。俺のことを恋愛対象として見ていないのは非常に助かるが、距離感が近くなるのは勘弁願いたい。
2学期始まってからはバレないように少しだけ距離を取ろう。それが俺の心の安寧にも繋がるし、凛花の無自覚から最初の一文字が取れた時、凛花が受けるダメージも減る。一石二鳥というやつだ。
変な勘違いを起こすなよ俺。今までもずっと言ってきたけどお前は恋愛をするべきじゃないし、してはいけない人間だ。自分が1番分かってるはずだろ?あの時のこと、あの日のこと、あいつのこと。ゆめゆめ忘れるなよ?
「拓人、手止まってんぞ」
「……バレたか」
「俺は別に良いけど手を動かしておいた方が身のためだぞ」
「あいあい、分かってますよー」
分かってるよ俺。自分がどうしようもないやつなのはちゃんと理解してる。自分がクズなことも、クズの息子だということもちゃんと理解してるよ。
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