第29話 白雪姫は夢を見る 4

 病は気からという言葉があるように私は久しぶりに体調を崩した。熱を出して学校を休んだのは何年ぶりだろう。


「凛花、具合はどう?」


「大丈夫。ありがとね、お母さん」


 こちらを心配そうな表情で見つめるお母さんに、私は出来るだけ笑顔を浮かべて感謝を伝える。出来るだけ迷惑をかけたくない。ただでさえお母さんは梨乃のお世話で大変なんだから、せめて私は一人でなんとかしないと。


「何かあったらいつでも言うのよ?こういう時は甘えていいんだからね?」


「うん、分かってる」


 お母さんのこちらを心配する表情は変わらないどころか、さらに不安そうな表情へと変わる。もしかしたら先ほどの笑顔が弱々しく見えてしまい、不安がらせてしまったのかもしれない。駄目よ私、我慢しなきゃ。せめてお母さんが部屋を出ていくまではしっかりしなきゃ。


「それじゃあ私買い物に行ってくるから。何か食べたいものとかある?」


「特にないかな」


「そう、じゃあとりあえず何か食べやすそうなものを買ってくるわね」


「うん、お願い」


「それじゃあ行ってきます。何かあったらすぐ連絡するのよ?」


「うん。お母さんも気を付けてね」


 お母さんがドアノブに手をかける。


 待って、やっぱり行かないで欲しい。本当は甘えたい、今すぐにでも泣きつきたい。本当は辛くて、苦しくて、もう限界なんだって吐き出してしまいたい。


 あ……行かないで。


 私は無意識のうちに母の後ろ姿へと手を伸ばす。


「どうしたの?凛花?」


「へ……あ、その。ゼ、ゼリーを買ってきてほしいなって」


「分かった、それじゃあ行ってきます」


「うん……行ってらっしゃい」


 伸ばした手をそっと下ろし、私は静かになった部屋で天井を見上げた。


 なんで私こんなめんどくさい性格してるんだろ……。


 本当は甘えたいのに、素直になれない自分に嫌気が差す。もう少し素直になれたら、お母さんに本当は辛いんだと言えたら、どれだけ良かっただろう。


「はぁ……」


 自分がしょうがないほど嫌になった私は大きなため息を溢し、倦怠感に身を任せ瞼を閉じた。


 







 昔々ある所に、妹が憧れるような立派な姉になろうと頑張っていた少女が一人いました。その少女は必死に頑張り、少しずつ立派なお姉ちゃんへとなっていきました。


 少女はある日、とても綺麗な林檎を見つけました。その林檎は少女が頑張れば頑張るほど目の前に現れ、甘い香りを漂わせます。その甘い香りにつられて、少女はついその林檎をかじってしまいました。


 少女は驚きました。その林檎は信じられないほどに甘く、一度食べ始めるともう手が止まらなくなるほど美味しかったのです。さらに不思議なことにその林檎を食べれば食べるほど、少女は周囲の人から好かれていったのです。


 少女はさらに頑張るようになりました。頑張れば頑張るほどあの甘い林檎を食べることが出来るから、周りの人から好かれ、人気者になることが出来るから。


 しかしある日から少女は、その甘い林檎に飽きてしまい、それどころか徐々に嫌いになっていきました。


 少女はもうあの林檎を食べたくないと思いましたが、林檎はそんな少女の願いとは裏腹にたくさん現れました。さらに彼女の周囲にいた人達があの林檎を食べるように催促するようになりました。あの甘くて美味しそうな林檎をぜひあなたに食べてほしいと言ってくるようになったのです。


 心優しい少女は渋々林檎を食べ続けました。周りの人のお願いを断ることが出来なかったのです。美味しくないと思いながらも幸せそうな笑みを浮かべて、少女は林檎を食べていきました。


 そうして過ごしていたある日、少女の体に異変が起こりました。彼女の心の中に黒い泥が生まれたのです。少女の心は日に日にその泥に浸食されていきました。そして泥が増える度に少女は、今の自分の生活に息苦しさを覚えるようになりました。


 少女は気づきました。毎日食べているあの林檎は、あの溶けるほどの甘い蜜を含んだあの林檎は遅効性の毒をもつ毒林檎だということに。そしてその毒が現在進行形で私の心を蝕んでいることに。


 少女は林檎を食べさせるのをやめてほしいと周囲の人に言おうと思いました。しかし少女は賢く、そして優しいが故にその話を切り出すことが出来ませんでした。


 こんなに甘い香りのする林檎が毒林檎なわけがないと言われる未来が見え、善意で林檎を食べさせようとしている人達に申し訳なさを感じたのです。


 少女は林檎を食べ続けました。それが毒林檎であると知りながら、美味しそうに幸せそうに林檎をかじりました。

 

 その林檎を食べる毎に少女の心には泥が溜まっていき、最初は底の方に少し溜まっている程度だった泥は心のほとんどを埋め尽くしてしまいました。


 そんなことを知らない少女の周りの人達は、今日も笑顔で林檎を少女へと手渡します。そうすれば少女が笑って感謝してくれるからです。そんな彼らの期待に応えるために少女は今日も林檎を食べます。


 そしてついに心に溜まっていた泥が溢れ出してしまったのです。少女は心を蝕む毒に耐え切れず、倒れてしまいました。周りの人達はひどく心配しました。それでもその少女は心配をかけないように笑顔を浮かべます。


 彼女は少しの間一人になりました。周りの人達は心配しましたが、彼女が一人になるのをそっと見送りました。


 少女は一人になり、今まで溜め込んできたものを吐き出すように泣き叫びました。笑顔の裏に溜まっていた泥を、心にへばりついている泥を洗い流すように。


 ひとしきり泣いたおかげか、少女はほんの少しだけ気持ちが楽になりました。しかし気持ちが楽になると同時に、あの苦痛が再びやってくることに絶望しました。この苦痛からは逃げることが出来ない。私の心はまたいつかあの毒林檎によって壊れてしまうと少女は思いました。


 それでも少女はその恐怖と絶望を隠し生きることを決めました。皆の元へ戻ることにしたのです。彼女はまた、楽しそうな笑顔を貼り付け、毒林檎を食べ進めます。終わりの見えない苦痛。海底のように真っ暗で希望が見えない生活をこれからも送っていくのだと少女は思いました。




 


 しかし少女の人生はある日を境に、大きな変化を遂げることになりました。ある少年が目の前に現れた日から、彼女の終わりの見えない絶望に終止符が打たれたのです。 

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