第20話 少年は戒める
体育祭が終わり、振替休日で一日学校へ行かなくてもいい日がやってくる。休みの日数は変わっていないのにどこか得した気分するのは俺だけじゃないはず。
先日行われた体育祭では見事に紅軍が優勝。他の軍とかなりの点数差をつけての優勝となった。ただ俺からすれば「ふーん、優勝したんだ。おめでと」くらいの感覚。紅軍に所属はしていたが、他人事のようにどうでもよかった。
「はぁ……」
ベッドで仰向けになりながら俺は一つ大きき名ため息を吐く。疲れているわけではないし、青春を謳歌することが出来ない虚しさを漏らしたわけでもない。なぜなら玉入れしかしていないし、青春に関して言えば最初から期待していなかったからだ。
ではなぜ今俺がこんなに大きなため息を吐き、物憂げな顔をしながら天井を眺めているのか。その理由は至ってシンプル。自分自身に嫌気が差しまくっていたから。
人間の感情というのは非常に移ろいやすいものだ。例えばどんなに好きなものでも突如としてそれが嫌いになるときがあったり、今まで恐怖を抱いていたものが成長するにつれて何も感じなくなっていたり。
心というものは常に変化する。時には前へ時には後ろへ、またある時はあらぬ方向へと進んだりする。自分では中々思うように制御できず、思うようにならないのが人の心というものである。
そんな人の心を良いものだという人がいる。時には自分の言うことを聞いてくれるし、全く聞いてくれない時もある。だからこそ良いのだと。上手くいかない時がある、本当は良くないとわかっていてもやってしまう時がある。そんな不完全さこそが美しく、人を人たらしめているのだと。
だが一方で、人の心など進化の過程において生まれた副産物であり、人間が最善の選択を選ぶのを邪魔する不要なものだと考える人もいる。人は常に理性に乗っ取って行動すれば最良の結果へと進むことが出来る。だが、人間に備わっている心という器官がそれを邪魔してくる。
「もう少し自分に甘くても良いのではないか?」「少しくらいなら良いのではないか?」と理性に基づいて出した正しい答えから脱線させようとしてくる。だからそんな不完全な心など必要ないと、制御することのできない感情というものなど不要だと。
この二つの意見、どちらも気持ちは分かる。心がなければただの機械に成り下がってしまうし、理性がなければただの獣に成り下がってしまう。どちらも大事なのは理解できる。が、あえて言おう。
人の心なんてものは不要である。
感情なんて言うものがなければこうして憂鬱な気持ちになったりしないし、自分のことを嫌いになる必要がない。ずっと戒めてきたはずの自分の感情が勝手に動き出すことがなければこんなに塞いだ気持ちになることはないのだから。
「はぁ……恋愛なんてしてもろくなことにはならない。今まで一番近くで見てきたはずなのになぁ……」
見たくもない、触りたくもない過去の記憶。自分の心の奥底に閉まっている黒色の煙が俺の頬を逆撫でる。氷のように冷たく、どろりとした感触が全身へと伝わり、吐き気と嫌悪感を与える。いつもの自分ならば、この気持ち悪さをかき消すために、アニメやゲームなどをして気を紛らわせるのだが、今の俺は触手のようにうねる黒い煙を甘んじて受け入れる。
そうすることであの時の凛花の笑顔を、あの時抱きかけた感情を無理矢理にでも忘れさせてくれるから。あの時伸ばしかけた手を優しく握り、下ろしてくれるから。
俺が抵抗する意思がないと知ったのか、自分の心に住み着く黒い煙は嬉しそうに体に絡みつく。首元、腕、お腹、足。俺の体を飲み込んでしまうように、隅々まで纏わりついた黒い煙は体、そして心から熱を吸い取っていく。
『そう、お前は人を好きになってはいけない。ならない方がきっと幸せになれる』
『恋愛なんてただの幻想。本当は醜くて汚いガラクタだ』
『どうせ恋愛をしてもあいつと同じ結末をたどるだけ』
悪魔の姿をした天使が俺の耳元でそう囁く。その声は鼓膜から体内へと入り込み、自分の脳と心臓へ響き渡る。
『俺は冷たい人間。そうだろう?』
そう、俺は冷たい人間。こんな俺が人を大切にできるはずがない。
『恋愛は必ずバッドエンドへと向かう。そうだろう?』
そう、恋愛がハッピーエンドで終わるのは創作物だけ。現実の恋愛は簡単に崩れ落ちていく。
『ならもう、賢いお前ならば。今まで一番近くで体験してきたお前ならば分かるだろう?』
うん、分かってる。だって一番近くで見てきたから。
心が冷たくなっていくのを感じる。どこか懐かしく、そしてとてつもなく気持ち悪い。それなのに今はその気持ち悪さすら心地よく感じられる。その冷たさが浮かれていた自分を、勘違いしていた自分を、間違った方向へ進みそうになっていた自分を現実へと引き戻す。
自分はろくでもない人間なこと、恋愛は醜くいずれ朽ち果てるもの、そして何より自分があいつの血を引いていること。閉じ込めていた記憶が思い出させてくれたこの感覚を、感情を忘れないようにしなければ。
あぁ、心なんてものを捨てることが出来ればどれだけ楽になれるのだろう。そうすればこんな冷たくて辛くて寂しい思いをしなくて済むのに。
伸ばしても何も掴むことが出来なかった俺の右手は、重力に逆らえずそのまま俺の視界を奪うように額へと落ちていった。
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