第3話 自分を見つめて

放課後、夕暮れ色に染まる校舎の廊下を歩いていた。運動部の掛け声が響くグラウンドや、教室や廊下で語らう生徒、様々な放課後を過ごしている。その声を聴きながら、俺はとある場所に向かっていた。結月が行ってみたいといった場所。その場所は、音楽室。

教室の前に着き、扉の取っ手に手をかけると、中からピアノの調べが聞こえてきた。ゆっくりと扉を開き、音楽室へ足を踏み入れる。夕日に照らされながら、鍵盤を滑らかに、優しくピアノを弾く結月の姿があった。

心地よい音色が全身を包む。いつぶりだろう。音楽を、演奏を聴くのは。

「…綺麗だな。」

無意識に言葉が零れる。すると、レイに気が付いたのか、結月は演奏の手を止め、レイのことを見つめる。椅子から立ち上がり、歩み寄りながら、声をかけてきた。

「来ていたんですね。すみません、気が付かなくて。」

「いや、邪魔するのも悪いと思ってだな。あ、えっと、すごく綺麗だった。」

「あ、ありがとうございます。お恥ずかしい限りですが。」

結月は照れながら、ゆっくりと言葉を返す。

「もしかしてピアノが弾きたくて、ここを選んだのか?」

「えぇ、自由に自分の弾きたい曲を弾きたかったんです。」

ピアノに手を触れながら、愛おしそうな顔をしていた。だけど、俺にはどこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「そ、そういえば、さっきの曲は…。」

「ショパンの『別れの曲』ですね。」

「昔聞いたことがあっただけだけど、久しぶりに聞いたよ。それに結月の演奏、綺麗だった。」

「褒めるのがお上手ですね。久しぶりにというと、レイさんも演奏するんですか?」

「俺の親がな。音楽が好きで、いろいろと聞かされた。」

結月は興味深そうにしながら、目を逸らさず、聞いていた。教室で俺の素行について耳にしていたからこそ、不思議に思うのだろう。

「意外だよな…。俺が音楽なんてさ。」

「そうですか?私は意外なんて思いませんよ。寧ろ、少しでも知っている人に褒められて嫌な思いをすることはありませんから。」

出会ってからまだ日が浅いのにもかかわらず、彼女はほかの生徒と変わらないように話をしてくれる。俺が望んできた学生生活とは、このようなものなのだろう。そんな風に思わずにはいられない。

考え事をしている間に、結月は再びピアノの前の椅子に腰を掛けると、

「聴くのもいいですが、歌うのも楽しいと思いますよ。レイさんは、歌われたりしないんですか?」

「歌えないわけじゃないが、覚えてる曲は少ないぞ。」

「そうですか。だったら、歌われている曲で、有名なものをー。」

鍵盤に手を置き、ある曲を弾き始めた。ピアノの音色が音楽室に響き渡る。それは、聞き覚えのある曲だった。母が好きだった曲で、口ずさんでいたのを聞いてたから。その曲は、アメイジング・グレイス。讃美歌として歌われている曲だ。

母が歌っていた時のことを思い出しながら、俺は自然とその曲を歌い始めてしまった。人前で歌ったことはない。それでも、歌いたいと思ってしまったんだ。

母のようには、上手くは歌えない。それでも、母はいつも歌い終わると、

「うまく歌おうと思わなくていいのよ。でもね、ひとつだけ歌う時、これだけは忘れないで。それはね―。」

母の言葉を思い出しながら、俺は歌った。結月の伴奏に合わせ、音が広がっていく。それは心地よく、自分が自分らしくいられる。そんな時間だったのだ。

あっという間に時間は過ぎ、いつの間にか歌い終わってしまった。どうしてだろう、もう少しこの時間が続けばいいのにと思ってしまった。

「レイさん、凄いですね。歌声も素敵でした。」

「そんなことは…。歌には自信がなくて。」

「謙遜しないでいいと思いますよ。それに、私としても弾きがいがありましたし。」

「人前で歌ったことはなかったんだけど、そういってもらえると嬉しいな。」

褒められるとは思わず、照れくさいな。今まで下手だと思っていたのに。

「また歌ってください。」

「えっ?」

「だって、歌っている時のレイさん、凄く楽しそうでしたよ。だから、歌わないのはもったいないです。」

「楽しそう…。」

結月から俺はそんな風に見えていたのか。楽しそうなんて、初めて言われた。いつも髪色のせいで、外見を理由に周りに受け入れられず、遠巻きに見られることがほとんどだった。こんなに自分の話をしたことも、褒められることも全部が初めてだ。

「急に黙って、どうかしましたか?」

「あぁ、今までそんなこと言われたことなくてだな。今朝も教室でこそこそ言われてたのを聞いただろ。俺のことが怖いと思うか、この髪色で疎まれるかのどっちかだ。」

「私は自分の目で見て、話をしたことを信じるようにしているので。髪色も、歌もレイさんだけのものですよ。私はレイさんとこれからも仲良くしていきたいと思ってますし、だからこうやって直接話してるんです。」

「変わってるな、結月は。」

「そうですか?」

「そこまで考えてる奴のほうが少ないと思うぞ。」

「私は私ですから。」

「それもそうか。」

結月はどこか違う。ただ受け入れるしかないだけだと思っていたのに、それを一変させてくる。

「レイさんの話を色々聞かせてもらったので、今度は私の話をしましょうか。」

「結月の?」

まるで彼女には当たり前のよう、微笑みながら話を続ける。

「えぇ、教えてもらってばかりではいけないので。」

それから、俺と結月はピアノの前から移動し、窓辺に置いてあった椅子に腰かけ、話を始めた。

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月が繋いだその日まで 雪乃彗 @sui_yukino

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