#2 成瀬鳴海

「なぁ、セイギ………」

 鳴海なるみは、ふと問い掛ける。

「セイギは、ウチとって楽しい?」

 キョトンとした様子で、セイギは目を丸くする。

「どした急に」

 その瞳を覗き込むように、鳴海なるみは上目遣い。

「うん、どうかなぁーって」

 その深奥では、期待と不安が入り混じる。

「つまんなかったらこうやって一緒に居ねぇだろ、フツー」

「ほんまぁ?」

「そういうおまえはどーなんだよ」

「ウチは……… 」

 消え入りそうな、か細い声。

 視線を外し、鳴海なるみ は再び阿波踊りに染まる群衆に目を向ける。


 彼女の瞳に映るのは、ありふれた日常の光景だった。


 手をつなぐカップル。

 仲間達とバカ騒ぎする若者達。

 阿波踊りの衣装を身に纏い、笑顔を溢す老若男女。

 幸福そうな家族連れ。

 手を繋ぐ親子。


 ありふれた人々。

 ありふれた日常。

 ありふれた幸福。


 


「こーゆーの、よーわからんくて……… 」

 人は、お互いが寄り添い合って生きている。誰かが傍らに居てこそ、その存在が確立する。


 けれども、

 


 成瀬鳴海なるせなるみの父親は、ギャンブル狂いで酒癖が悪く、家族に容赦なく暴力を振るう男だった。

 母親は、幼い鳴海なるみとその兄・鳴空なるたかを置いて蒸発。

 父の怒りの矛先は、必然的に子供ふたりに向けられた。来る日も来る日も殴られ蹴られ、成瀬なるせ兄妹はいつも父の機嫌を損なわないよう息を殺して過ごしていた。


 鳴海なるみが六歳の頃、

 兄・鳴空なるたかが父を殺した。

 相討ちの形で鳴空なるたかもそのまま死去。

 享年12歳だった。

 一人残された鳴海なるみは児童養護施設に引き取られることになるが、施設の生活に馴染むことができず、学校でもひとりぼっちだった。


 十歳になると、蒸発していた母親が鳴海なるみを引き取りに来た。

 母親は再婚しており、その再婚相手からの計らいだった。訪れた母親は渋々といった様子であまり気乗りしていなかったが、再婚相手はとても温かく迎えてくれた。

 鳴海なるみもまた、心の何処かで良き義父ちちになってくれることを期待していた。


 しかし、十二歳。

 鳴海なるみは義父に貞操を奪われた。何度も何度も奪われた。

 再婚相手は、重度の『幼女嗜好ロリコン』だった。

 母親は、その性癖を知っていたのだ。

 しかし保身のためにその事実を黙認した挙句、『女』としての立場を奪った鳴海なるみに対して、激しい憎悪を態度で示すようになっていく。


 それから―――



「踊る阿呆に観る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損」

 彼女の回想をさえぎるように、ふとセイギが口ずさむ。

 それは、阿波踊りの一節。

 鳴海なるみはキョトンとした表情で、横から彼の顔を覗く。

「大丈夫。おまえはもうひとりじゃねぇ」

 優しくも精悍な顔つきで、セイギは正面を真っ直ぐに見据えている。

 いつもはお馬鹿さんなのに、時々こういう顔をする。


 それはありふれた言葉だった。

 ありきたりな言葉だった。

 それでも彼女にとっては、満ち溢れた言葉だった。


「うん」

 頬を赤く染め、鳴海なるみは深く頷いた。

 そして、喧騒にまみれた街を見る。こんな人だかりのド真ん中だというのに、目に映るすべてが自分達だけを置き去りにして遠退いていくような、そんな錯覚を覚える。


(―― でも、大丈夫)


 不意にセイギは、自分の手の甲に触れる冷たくしっとりとした柔らかい感触に気付く。


 それは儚くて弱々しい鳴海なるみの華奢なちいさな手。

 眼を丸くするセイギ。

 だがやがて、彼はその手を静かに、そっと握り返す。


(―― だってもう隣には、キミがいる)


 少女の手のひらに、少年の暑苦しいほどの温もりがジンジンと伝わってくる。

 ふたりは話さず、放さず、離さないように、ただただギュッとその手を握り続ける。


 そして、鳴海なるみはせがむように、セイギに向かって微笑んだ。

「ウチのこと、孤独ひとりにせんといてな」


 これは、誰かを救う物語。

 これは、誰もが救われない物語。

 これは、誰しもが救いようのない物語。心を巣食う、傷痕を辿る物語。

 世界は交わり、絡み取られ、微睡んでは融け、螺旋に綴じ、そして混沌に孵る。

 これは、誰かの心を救う、誰かの物語。


 物語は、これよりに始まる。

 

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