第3話
時間の経過は、あっという間に陽を傾けていく。
リオとハルカの話題は尽きることなく、二人は堰を切ったように話し続けていた。
リオは父の影響でAIに興味を持ち、ミクロくんと共にこっそり別の〈特区〉の情報を集めながらAIの研究開発を行っていることを語った。ハルカも自分の〈特区〉の制度に不満があることを打ち明け、他の〈特区〉の人たちと交流して学びや創造を楽しむ方法を見つけたいと話した。
気づけば夜風が木々を揺らし、その音が二人の会話に静かに調和していた。彼女の髪が風に舞い、金髪が月明かりに照らされて輝いている。その美しさにハッとして、リオは息をのんだ。自分の心の中にハルカに対する極めて好意的な感情が芽生えているかもしれないと予感した。彼女が笑うたびにリオの心は高鳴り、彼女の姿が目に焼き付いて離れなくなる。
そんなリオの瞳の奥をジッとみつめるハルカ。
「ねぇ、リオ。今度、私の〈特区〉に来てみない?」
「うん。行きたい。ぜひ行ってみたい」
「きっと驚くことばかりだよ」
リオは頷いた。けれど、本当はそうではないと言いたかった。たしかに未来技術に満ちた〈特区〉に興味はあるが、それよりもリオは純粋にハルカが生まれ育った街の風景や雰囲気を知りたかった。彼女がどんな世界でどのようなことを学んできたのか。きっとそれら一つ一つは絵画のように美しい光景だったのではないだろうか。
もっともっとハルカのことを知りたい。
リオはそう思い、不意に照れて顔面を火照らせたが、同時にすぐに現実を思い出した。
「でも無理だよ。〈特区〉間の行き来は特区管理機構が厳しく監視している」
かつてリオの父はその資格と永住許可証の取得のため、かなり苦労したという。〈特区〉に定められた以上の文明を持ち込まないことはもちろんのこと、特区管理機構から厳しい監視の目が向けられる。
そして少なくとも、未成年のリオにまだその資格はない。
「あと数年、僕はこの〈特区〉から出られない」
「特区解放運動」
「……え?」ハルカはリオの瞳と瞳を通じて何かを訴えかけるように見つめた。
「特区解放運動って言葉、聞いたことある? ――それはね、〈特区〉間の移動を自由にして、人々が互いに学び合い、成長できるようにするための運動。〈特区〉によって分断された〝学びの放棄〟に対抗する解放運動」
初めて耳にする言葉だったが、リオにとって、その考え方は自分の願望と見事に重なっていた。彼女の言葉は、何だかふわっとした不思議な感覚に包まれていくような温度があった。
「私たち〈特区解放同盟〉は、〈特区〉が解放されることで、新たな価値観や文化が生まれ、私たちの世界がもっと豊かになると信じている。今は特区管理機構による監視や制約によって人々の可能性が閉ざされているけれど、私たちはこの運動を通じて、人々の自由を取り戻そうとしている」
そして、彼女は言葉を続けた。
「リオ。あなたの話を聞いて私は確信した。あなたならきっと私たちの活動に理解を示してくれる。……だから、私たちの〈特区〉に来て。そしてあなたにも手伝ってほしい」
彼女の真っ直ぐな視線から、リオは目を逸らすことができなかった。リオの心の中で、なにかが揺れ動いていた。もう何時間も彼女と話し続けていたはずなのに、聞きたいことはまだまだたくさんある。
「うん。その活動についてもっと詳しく教えてほしい」
「そう言ってくれると思ったよ」
ハルカはそう言うと、あまりに可憐な笑顔をみせた。
○ △ ○ ▽
翌週の休日、リオとハルカは〈2010年代文明停滞特区〉で再開した。
この日はリオにとってとても待ちわびていた日だった。毎晩ハルカと通信をして、二人は今日という日に実行する計画を慎重かつ大胆に打ち立てた。
一週間ぶりに会ったハルカは、はじめて会った日よりもさらに魅力的な女の子のようにリオには見えていた。少しだけ見せた肌が陽の光を艶やかに白く反射させている。こんな素敵な人がどうして自分なんかに会いに来てくれたのだろうとリオは思わず疑ってしまった。もちろんそれは純粋な喜びでもあり、しかし些末な不安でもあった。
周囲を見回せば、たくさんのカップルが今日の休日を楽しもうと一緒に歩いている。ほかの人たちはどのようにして、自分が好意を寄せる相手に好意を寄せられていると自信を持つのだろう。萎縮してしまわないのだろうか。自分が特別臆病なだけなのだろうか。考えすぎなのだろうか。
いろいろと頭の中がごちゃごちゃになりそうなリオだったが、
「行こ」
これからのできごとに期待し胸を躍らせているかのようなハルカに手を引かれ、その柔らかさと温かい体温を感じたことで、すべての思考は雲一つない今日の青空のようになった。
〈2010年代文明停滞特区〉の町はずれの郊外には田舎の川が流れ、そこまで高くない山がたくさんの緑を茂らせている。その山と川に挟まれた舗装されていない砂利道を、リオとハルカは歩いていた。
通常、〈特区〉間の行き来は専用通路を備えたステーションを利用する。しかしステーションは確かにその性質上〈特区〉の隅っこに設置されるものの、中心街と線路や幹線道路で繋がっていることが多い。少なくともこんな田舎にステーションがあるようには思えなかった。
「こっち」
ハルカが山の中を指さした。道があるようには見えなかったが、木の枝をかき分けると、古い石畳が敷かれた細い道が現れた。もう長く使われていないようで、濃い緑色の苔が厚く貼りついている。
「えっと、この先にハルカの〈特区〉があるの?」
ついにリオは不安を口にした。
するとハルカはリオのその気持ちをすぐに理解したように「うん」と悪戯っぽく笑って頷いた。
「この苔は実は偽物なんだ。ほら、靴で踏んでも足跡がつかない。つまりこの道は人の手によって意図的に作られたもの。そしてこれを作ったのは、お察しの通り私たち〈特区開放同盟〉。この先にあるトンネルが、他の〈特区〉に繋がる秘密の出口になってるんだよ」
ハルカに言われ、リオは足元の苔を踏みしめてみた。ぐっぐと力を込めて足を持ち上げるが、苔は変わらず濃い緑を輝かせている。来た道を振り返れば、長年放置されたような山道が山の外の光へと続いている。先のハルカの話を聞かなければ、今まさに人が歩いたばかりの道とは思えないだろう。
やがて二人の前に古いトンネルが姿を現した。蔓植物と錆びた鉄格子や鎖が入り口を堅く塞いでいるかのように見えるが、これもやはり偽装だった。ハルカはたやすく鉄格子を開け、暗闇が沈黙するトンネルの奥からリオに向けて手をこまねいた。
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