第4話
意を決したリオは、ハルカに導かれながら、不安そうに廃トンネル内を歩きはじめた。空気はひんやりしていて湿気が多く、壁のコンクリートにはカビや苔が生えている。時々、水滴が天井から落ちてきて頭や肩にあたり、リオはその度に身震いした。
「大丈夫だよ、すぐ出口だから」とハルカはリオに声をかけた。「このトンネルは昔使われていた古い鉄道で、特区管理機構の監視から外れてるからみつかることもないし」とハルカは笑った。
こんな廃棄されたルートがあったなんてリオは知らなかった。
特区開放同盟は各地の〈特区〉でこうした旧資源を活用しながらたくましく活動しているのだろう。
「同盟には、どんな人たちがいるの?」リオは興味深そうに聞いた。
「いろんな人たち。学びや研究がしたい人、別の〈特区〉に行きたい人、特区管理機構に反対する人。いずれにせよ、みんな〈特区〉の現状に納得してないんだ」
「そうなんだ。……すごいね。そんな風に立ち上がれる人たちがいるだなんて。でも、どうやって〈特区〉を開放するの? 管理機構は強力だし、警官もいるし」
「たしかに、特区開放運動は簡単じゃないよ。でも、諦めないで頑張ってるんだ。〈特区〉間の非正規ルートやクアンタム・リンクを使って他の〈特区〉と連絡を取ったり、情報を交換したりして、仲間を増やしてる。仲間が増えれば思想が広がる。思想が広がればそれは運動になる。運動が広がれば――きっと、それは自由へとつながっている」そしてハルカは続けた。「私たちはみんな〈特区〉を開放して、自由に学びや研究ができる世界を作りたいんだ。それが私たちの夢」
「自由に学びや研究かぁ。僕と同じ夢だ」
リオの胸に熱い思いがこみ上げてきた。自分が求めていた居場所がこのトンネルの先にある――そんなような気がしていた。
ピチャリと音がした。
今まで二人の足音と、水が滴る静かながら存在感のある音しか聞こえていなかったトンネル内だ。そこに、不意に、別の意志が混ざりこんだかのような異質な音が割って入ってきた。だれかが水たまりを踏む音だ。ハルカが足を止め、リオがそれに倣った。どうしたの、と聞こうとしたが、その前にハルカが言った。
「……逃げるよ」
「え?」
彼女の言葉は短かったが、強い緊張感がこれでもかと伝わってきた。トンネルの先はもうすぐ光あふれる出口だが、その手前に、いつの間にか何者かが立っている。カウボーイハットを被り、ズボンの両ポケットに手を入れたシルエット。
同盟の仲間だろうか?
しかしそれにしては、ハルカの様子がどうもおかしい。
「君たちは特区の規則を破っている」
不意に、太い男の声がトンネルに響いた。
「君たちがこの非正規ルートを使用し〈特区〉間を移動しようとしていることは、管理機構にとって容認できないことだ」
そしてようやくリオにも状況が理解できた。
彼は警官だ。
管理機構に見つかってしまったんだ。
「〈特区〉という仕組みは人類の秩序を守るために存在している。それを破る者は懲罰の対象だ」
二人は踵を返し、全速力でトンネルを逆戻りした。二人の足音が濡れたコンクリートに反響し、それを切り裂くかのような大量のゴムブーツの音がトンネル内を満たす。
「残念だが、お前たちはすでに包囲されている」
男が言うと、何人もの警官が目の前に現れた。行く手には男が立ち、来た道はすでに警官たちが封鎖していた。
「こっち」と言って、ハルカが近くにあったスチール製の扉を開けた。それはかつての非常口のようだった。その先には、無限の果てへとでも続いているかのような昇り階段が暗闇の中へと続いていた。
「行って!」
「でもハルカは――」
「二人で逃げても逃げきれない。リオを巻き込んだのは私。だから――」
ハルカに背を押され、リオは数段階段を駆け上がる。そして振り返ると、すでに彼女は無数の警官に肩をつかまれていた。
「走って!」
「行かせるな!」とカウボーイハットの警官が叫ぶ。慌てた警官の一人が扉へと迫るが、その足をハルカが掴んで転ばせ、時間を稼ぐ。
「早く!」
でも――
そう言いたくなる気持ちを堪え、リオは急いで非常口を駆け上がった。
非常口は〈2010年代文明停滞特区〉内のリオが暮らす街に近い山の中へと繋がっていた。外はもうすぐ夜明けを迎えるようだ。空が青く明るくなりはじめている。リオは追手の恐怖に怯えながら、体をぼろぼろにしてひたすら山道を歩き、日が昇る前に自分の家に戻ってきた。
部屋に入るなり、リオは汚れた体のままベッドに倒れ込んだ。頭の中は、先ほどまでのできごとのことでいっぱいだ。ハルカが警官に捕まってしまった。彼女は今どこにいるのだろうか。警官に何をされているのだろうか。無事なのだろうか。
リオは、自分がハルカを助けられず、あまつさえ助けてもらってしまったことを強く悔やんでいた。禁忌を犯していることはわかっていたが、まさか本当に警官が現れ、自分たちの行為を犯罪だと突きつけ、捕まえようとするだなんて思ってもいなかった。認識が甘すぎたのだ。〈特区〉の維持に管理機構は全力を注いでいる。違反は許されない。軽率だった。覚悟が足りていなかった。迫る警官たちが純粋に恐怖だった。ハルカを勇敢に助けるという行為をしなかったのは、自分が警官に恐れをなし、逃げることを優先したからだ。捕まることが怖かった。そして自分は、ハルカを見捨てる選択をした。
「くそ! くそ!」
リオはベッドを強く叩いた。悔し涙があふれていた。こんなにも自分がみじめなのかと思い、馬鹿な存在のように思えた。
「ミクロくん。おれは自分で思っていた以上に最低な人間だった」
「そんなことないよ」とスマホの中の小さな知性が慰めてくれる。「君は好奇心にまっすぐだった。その導き手として現れたハルカは君にとってあらゆる意味で魅力的な存在だった。彼女からの誘いに君が断る余地はなかったよ。ただそれがどういった事態を招いてしまうのか、僕が警告しておくべきだった。でも、君たちの仲に割って入ることはしたくなかったんだ」
「おれはこれからどうしたらいい?」
「ごめんね。それは僕にもわからない。でも〈特区〉間移動はそこまで重罪じゃないはずだ。厳重注意を受けて始末書を書いてから解放されることが一般的だろう。だとしたら」
「そうか」
落胆していたリオだったが、まだ諦めることはないと顔を上げた。クアンタム・リンクを起動させ、今までのように彼女の応答を探す。
「ハルカ。聞こえる? 聞いていたら返事をしてほしい。ハルカ、聞こえる?」
リオは何度も同じメッセージを送り続ける。しかし応答はなかった。絶望感に苛まれかけるが、そのたびにハルカの顔を思い出し、わずかな希望に賭けてリオは呼びかけ続ける。
「リオ」
そんな中、ミクロくんが言った。
「僕のセンサーが反応してる」
「センサー? え、でも、君にそんな機能は――」
「うん。わからないけど、気をつけてね。念のため、僕を常に起動しておく設定に」
「わかった」
リオが不安そうに返事をして、言われた通りミクロくんの設定を変える。と、次の瞬間、家のドアがバンと音を立てて開かれた。
「警察だ! 今すぐ違法行為を中断しろ!」
そう叫びながら入ってきたのはカウボーイハットの警官――あの時、非正規ルートに立ちふさがっていた男だった。
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