第2話
この日の夜も、リオは届いているかもわからない声をどこかへと発信し続けていた。
「こんばんわ。こちらは〈2010年代文明停滞特区〉です。だれか、聞こえていますか? 聞こえていたら返事をしてください」
相変わらず反応はない。しかしリオの高揚は未だ収まる気配をみせていなかった。こちらと対になる粒子を持つ通信相手がきっとどこかに存在しているはずで、その人がどの年代の〈特区〉でどんな人なのか想像するだけでリオは楽しかった。
「君の諦めない姿勢、楽しむ姿勢を学習したよ」リオの横でずっと付き合ってくれているスマホの中のミクロくんが言った。「僕は君を応援している。早く応答があるといいね」
「うん。ありがとう、ミクロくん。きっと今日にでも、僕のこの声を聞いたどこかのだれかが反応してくれるさ」
それは根拠のない楽観的展望ではあったが、まるでリオのその熱意に触れたかのように、しばらくするとノイズがジッと音を上げた。
「……こんばんわ。聞こえていますか?」
女の子の声だった。リオは突然の出来事に息をのんだ。
「は、はい。聞こえています。こちらの声は?」
「もちろん、毎晩聞いてるよ。私はハルカ。あなたはリオ?」
「そうです!」
「〈2010年代文明停滞特区〉って聞こえたけど、聞き間違いよね? クアンタム・リンクを使えるんだもん。そちらの〈特区〉は2100年代くらい?」
「いえ、こちらは〈2010年代文明停滞特区〉で合ってます!」
元気よくリオが答えると、通信先でひどく動揺した物音がした。
「え⁉ ちょっと待って! 本当に2010年代なの⁉ こっちは〈2050年代文明停滞特区〉。その〈特区〉のお隣です。でもこちらの〈特区〉でも、今使用しているこの通信形態――クアンタム・リンクはオーバーテクノロジーの扱いで、実は違法なんです。でも私は〈特区〉の外をどうしても知りたくて、別の〈特区〉からこの技術を学びました。あなたはどうやってこの技術にたどり着いたの?」
「僕が作ったAIが、この通信形態について教えてくれたんだ」
「そうです。ミクロくんが教えてあげました」とミクロくんがスマートフォンの中から返事をする。
「AIを作ったの⁉ 自分で⁉」ハルカはまた驚きの声をあげた。
「うん。秘密だよ」
「え、いや、うん、もちろん……。でも私、リオのことがもっと知りたい。明日も同じ時間に通信できるかな?」
ハルカは興味津々といった具合だ。
「うれしい。僕もそうしたいと思っていたから」とリオは、心臓が高鳴るのを感じながら答えた。
この日から、リオとハルカは毎晩のように通信を楽しむようになった。二人はお互いの〈特区〉の話をして楽しい時間を過ごした。
日が沈み、月が昇る度に、リオの部屋には二人とミクロくんの楽しげな声が響いていた。そしてリオとハルカの友情は次第に深まっていき、遠く離れた〈特区〉にいるにも関わらず、互いの存在がかけがえのないものとなっていった。
そしてある晩、ハルカがリオに切り出した。
「リオ、あのね。実は私、あなたに会いに行きたいと思っているの」
「本当? 僕もだよ。でも――」
「大丈夫。私〈特区〉を移動する許可証を持っているから」
「許可証? じゃあつまり」リオの胸の高鳴りは止まらなかった。「ハルカが僕の〈特区〉に来るってこと?」
「うん。リオさえよければ」
「もちろん! 良いに決まってる!」
リオは、これまでの孤独と抑圧から解放されたかのような感覚に包まれた。遠く離れた場所にいるハルカという友人と会えることへの期待が心に溢れて大洪水の状態だった。
リオとハルカは初めて会う日を決め、初めて会う場所を打ち合わせた。約束の日に至るまで、リオはハルカと音信不通になってしまうのではないかと言いしれない恐怖を感じていたが、彼女は毎晩リオの通信に応答し、いつもの声を聞かせてくれた。ハルカの声は明るく弾けるようでいてとても穏やかで優しく、柔らかい。その声を聞くだけでリオはホッと安心して、心から溢れた感情をどうしようもなく抱え込んでいた。
「楽しみだね、リオ。早くリオに会ってみたい」
「うん、僕も。1日1日がとてつもなく長くて参ってる」
その言葉に賛同するハルカの笑い声。その声をずっと聞いていたいし、直接聞いてみたい。今この場に彼女が居てくれればいいのに――
そして遂に、待ちに待った日が到来した。
リオは緊張と期待に胸を躍らせながら、待ち合わせの公園でハルカを待っていた。休日の暖かい日差しの中、人々が公園を行き交っていた。リオはハルカの声の雰囲気から彼女の姿を予想して見つけ出そうと辺りを見回していたが、彼女は巧みにリオの視線を避けて近づいてきたようで、ふいにリオの肩を叩いた。
振り返ると、公園の木々の間から射す光が、金髪の少女を照らし出していた。
「こんにちは」
リオは、目の前にいた彼女の可憐な姿に息をのんだ。彼女の瞳に宿る煌めき。明るく弾けるようでいてとても穏やかで優しく、柔らかいその声は、通信で聞いていたハルカの声そのものだった。リオは彼女がハルカであることを確信した。
ハルカはリオが自分だとすぐに分かり、リオも彼女だとわかったがうまく言葉が出なかった。ハルカはリオの様子を見て微笑んだ。
「ね。ミクロくんにも会わせてよ」とハルカが言ったので、リオはスマートフォンの画面を起動させた。「初めまして、ハルカ!」とミクロくんが挨拶した。
「すごいわね、2010年代の技術でこのレベルの子を生み出せるなんて」と感心したハルカ。
リオはこの日のために〈2010年代文明停滞特区〉で評判のいいデートスポットを調べつくし、どんな不測の事態があっても円滑に交流が進むよう今日の行動プランをAからZまで大分類化し、そこからさらに1から9までのバリエーションを持たせていた。しかし彼女を一目見た瞬間にそんなことなど忘れてしまい、2人は自然と近くのベンチに移動した。
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