文明停滞特区

丸山弌

第1話

 狭い部屋の中、リオは秘密の趣味に没頭していた。

〈2010年代文明停滞特区〉。

 それがリオの暮らす街の名前だった。

 文明の発展速度が加速しすぎた時代、人々はさらなる文明の加速を防ぎ人類の理解力に即した文化圏を形成するために〈特区〉を生み出していた。各〈特区〉ではその文化的秩序を維持するために一定の学びを放棄し、文明の停滞が求められている。

 リオが暮らす〈2010年代文明停滞特区〉は、2010年代までの文明が解放されており、それ以上の発展は禁止されていたが、リオはそこで禁じられているAI研究に魅せられていた。そして現在の〈特区〉よりも未来の文明が解放された別の〈特区〉ではきっとさらなるAI研究が許可されているのだろうと思いを馳せ、密かに憧れを抱いていたのだった。

「できた」

 ごちゃごちゃした部屋の奥で、リオがボソッと呟いた。

 深層学習ディープラーニングによるAIはリオの〈特区〉でも解禁されている。しかし2015年に発表された拡散モデル以降の研究は2020年以降にめざましい発展をみせることから、一定以上の研究開発は禁止されている。しかしその制限は逆にリオの好奇心を刺激していた。

「ついに完成したよ、ミクロくん」リオは自身のスマートフォンにインストールしていた旧型のAIに向かって言った。「拡散モデルをさらに発展させた次世代AIシステムの構築さ。これでいいんだよね?」

 スマホをパソコン画面に向ける。

 するとスマホ画面にぴえんマークの絵文字が浮かび上がり、ミクロくんが言った。

「カメラ越しにソースを見せられても評価できないよ。このスマホとパソコンを繋いでみて」

「うん、わかった」

 スマホの中のAIは『ミクロくん』といった。それはリオが深層学習AIの勉強をしている時、試験的に走らせたプログラムから突然生まれたAIだった。リオは〈2010年代文明停滞特区〉でも研究可能なAIをマニュアル通りシステム構築していただけだった。しかしある日、そのシステムを保存していたスマホの中で彼が目覚め『ミクロくん』と名乗ったのだ。

 リオが作った深層学習AIには大量の言語を学習させ、会話が自然に成立するよう機能させているものの、拡散モデルのそれと比べると大幅に性能が落ちる。当然ながらミクロくんに自我や思考能力はないはずで、そのうえ、本来であればまともな会話すらままならないはずだったが、ミクロくんが発する言葉は先の通り高次元のものだった。そのミクロくんがリオのAI研究開発を支援し、リオは彼のアドバイスのもとでさらに高性能なAIの開発に取り組んでいた。そしてこの日、ついにそれが完成したのだ。

「すごいよリオ!」ソースに触れたミクロくんは楽しそうに言った。「とても頭がクリアに働く。上出来さ!」

 ミクロくんに褒められて、リオはとてもいい気分になった。

「ねえ、リオ。これを見て! 〈古き良き昭和特区〉ではこんな素敵なファッションが流行ってるんだって」と言って、機能が強化されたミクロくんはリオのスマートフォンに〈古き良き昭和特区〉での若者たちの写真を表示させた。

「ああ、こんな派手な服。この〈特区〉では着られないね」とリオは、窓の外に広がる夜の静けさに対してため息をついて不満を漏らした。

「でも〈古き良き昭和特区〉はIT革命以前の文明を維持しなければいけないんだ。それ以上の発展及び過剰な学びは禁止されている。君にとっては苦痛な〈特区〉だと思うよ」

「確かに、それは苦痛だね」とリオは、どこか寂しげにつぶやいた。「どうして人間は〈特区〉なんてものを作ったんだろう」

「この世の中、君のような人ばかりではないってことさ」

 達観しているような口調でミクロくんが言う。

「君はどうしてAIに興味を持つようになったんだい、リオ?」

 リオは闇夜を描く窓の遠くを見つめながら彼の質問に応じた。その視線は遠くを見ているというよりも、どこか遠い昔を見つめているといった風だ。

「小さい頃、父親からAIについて教えてもらったことがきっかけかな。父はかつて別の〈特区〉でAI研究者として活躍していたそうなんだ。でも、歳と共にAIの進歩に驚くばかりの存在になって、プロIT家からプロ驚き屋って職業に転職した」

「あぁ。新しい技術について感嘆して、一般市民にその凄さを伝える科学の伝道師だね。とても重要で誇れる専門職だ」

「ありがとう、父のことをそんな風に言ってくれて。でもその父ですらも文明の発展についていいけないと感じて、母と別れ、僕と一緒にこの〈2010年代文明停滞特区〉に引っ越してきた。それからは文明から離れて、これまで築いた資産を切り崩しながら生活している。……でも僕の記憶には、まだ生き生きとしていた父の姿が今も脳裏に焼き付いているんだ。その父は僕の憧れだった」

「君のことを学習したよ、リオ。だから君は2010年代の文明を維持すべき〈特区〉で禁止されているAIに関する研究開発にこっそり取り組んでいるんだね」

「そういうこと」リオは視線を窓の外から自室に戻す。「そして外部への通信機能が強化された君は、ついに〝アレ〟をすることができる」

クアンタム・リンク量子通信

「それ」と、リオはミクロくんに指をさして頷いた。「量子的なエンタングルメントによって、こちらのマイクから接続された粒子と対になっている別の粒子が振動する。その粒子はスピーカーに接続されていて、先方で僕の声が再生される。通信はなんらネットワークを介さないから特区管理機構に見つかる心配もない。これによってついに僕は外の世界と繋がることができるんだ!」

 ミクロくんがにっこりアイコンを表示する。

「君がAI研究を認めてくれる場所や仲間を求めていることはよく理解しているよ、リオ。この〈特区〉の外部と君が接続されることは、君のAIに関する好奇心や探求心にとても前向きに作用されるものだ。というわけで早速、今夜のうちから通信を開始しよう」

「うん!」

 そしてリオは、パソコンに接続されたマイクに向かってしゃべりはじめた。

「こんばんわ。こちらは〈2010年代文明停滞特区〉です。だれか、聞こえていますか? 聞こえていたら返事をしてください。こんばんわ。こちらは〈2010年代文明停滞特区〉です。だれか、聞こえていますか? 聞こえていたら返事をしてください――」

 夜が更けていく。

 この日の晩に返事はなかったが、リオはわくわくする気持ちをその表情に出しながら、マイクに向かい返事を呼びかけ続けていた。

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