敵意、もしくは善意
作業が一向に進まない。
夜、部屋の電気をつけずにパソコンに集中するが外の雨音がそれを邪魔する。
なんだか気が気でならないというか、気分が落ち着いてくれない。目のあたりが熱く、鼓動を耳で感じる。
パソコンの電源を切り今日はもう寝ようかと椅子を引いた瞬間、窓の外から硬いものを叩く音が聞こえた。
「死んだと思ってました」
「それは私のセリフですよ」
振り向くとそこには汗を垂らした天使がいた。小さく微笑み部屋の扉を閉めるとこっちを向いて静止する。
今日、目が覚めてからというもの一日中天使がいなかった。別に天使がいない生活自体、普通に生活していて別状はなかった。が、なんだかずっともやもやとしていた。
心配だろうか? 心配すべきは自分の命の方ではないかと心の中で苦笑する。
そもそも神を信仰している時点で天使の安寧を求めるのは当然のことなのだが、神の使いである天使が危険にさらされることなんてほとんどないだろう。天使は死と共に生きているが、天使が死ぬことはなんて、許されてはならないのだから……
私は立ち上がり椅子をしまうと天使の違和感に気が付いた。ずっとこっちを見ており表情がいつもよりも暗い。
言葉にできない圧迫感を感じ小さく息を吸う。
「どう……したんですか?」
「悪魔が出ました」
悪魔?
そう聞こうとしたが天使の鋭い目線を見ると同時に喉が締まる。声が出ないほど体が緊張しているのが分かる。
「悪魔と言っても貴方達の想像する悪魔とは少し違っております。前提として、人は死ぬと天使に生まれ変わり、天使が仕事を全うし死ぬと記憶を失って人間となる。ご存じでしたか?」
指の先が震えている。手に汗を握るとはまさにこのことだろう。心の動揺が体に顕著に出てしまっている。
『人が死ぬと天使に生まれ変わる』迷信か伝説か。そんな話は何度か耳にしたことがある。ほぼ都市伝説のように感じていたが本当のことらしい。
だが、天使が死ぬと人間になるというのは初耳だ。天使や神は死を超越した存在であり、いわゆる霊体のような存在とばかり思っていたがそうではないらしい。鵜呑みにしすぎだろうか?
「そして天使には例外が存在しており、その例外が堕天。いわゆる堕天使のことで、神に反抗し自らを悪魔と名乗る存在です」
堕天。聞いたことは当然ある。善である神を反抗し悪に成り代わる至極無礼な行為。
自らが悪になろうとするなんて、そんなバカな行為をする奴の気が全く知れない。しかもそれを天使と言う立場になったうえで行うなど莫迦にも程があるのではないか?
しかし、薄々感じてきた。天使がどうしてこんな話を私にするのか。何故関係のない私にこんなにも踏み入って話をするのか。
天使が来たというのに、なぜ私は一週間も生きているのか。
「そして堕天使が例にならって死ぬとそれは記憶を失った普通の人間となります。しかし彼らの魂は堕天した天使そのもの。病気や障害を持って生まれそのほとんどが先天性の疾患や後天性の精神病です」
「……」
天使の頬に汗が伝うのが分かる。雨音が鮮明に聞こえる。
彼女の唇が震え今にも悲鳴をあげそうな表情をしている。私の知っている天使じゃない。だがこれが彼女なのだろうか。
「私たちはそんな彼らを『悪魔』と呼び、攻撃の対象とします。それは天使の身でならず大天使様や神様ですら恐れる者」
「……」
「彼らは特別な殺し方により死に、輪廻を止め神から闇へと捨てられることでしょう」
「どう、して」
やっと口が開けた。
喉がつんざくように痛い。胸が鼓動を強く響かせているのが分かる。口から胃が出そうだ。
「どうして大天使様や神様は『悪魔』を恐れるのですか?」
「それは……」
天使の目線が私の足元に降り左右に揺れている。
足の先が妙に冷たい。頭がくらくらとしてきた。
「『悪魔』はその生を終わらせると、例の如く私たちの世界で生まれ変わります。そしてその時の彼らを我々は恐れているのです」
「堕天を行い、人として命を終わらせた天使……」
「えぇ、我々は彼らも『悪魔』と呼びますが人間の姿の何倍も強力です。彼らは私たちの世界を混沌へと変え天使や人間を関係なく殺そうとしてきます」
天使は覚悟を決めたようにこっちを見つめる。
頭痛を感じるようになってきた。耳鳴りが聞こえる。気が遠くなりそうだ。
「今回現れたのは人間の姿の悪魔。たしか『ヤマザキソラト』とかいう名前だった気がします。消息は分かりません。死んでいれば良いのですが……」
「なぜ」
「……」
「そんな話を私に……?」
呼吸が自然に行えない。それどころか肺が痛い。体中が、脳が、神経が、この場にいたくないと叫んでいる。
焦点が合わなくなってきた。だが天使の形は捉え続けている。そんな影はこっちに手を伸ばしてきた。あれは……
「天使……?」
「天使が人間に情を持つことは許されておりません」
「っ……」
「ですが……あなたの命を見捨てることは、私にはできない」
天使の手元にはドラマやアニメでよく見た形。影だけでも分かる黒光りしたその存在は、私の額を的確に狙っているのが分かる。
「お願いです、私の手で殺されてください」
轟音の中見える天使の頬を伝った涙は、私の存在を強く肯定しているようだった。
「一之瀬静。貴方は、悪魔」
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