渦、できれば飛び込みたくはない

「──それで結局、わたくしの依頼を受けていただける、ってことでよろしいんですの?」


「だから違う。彩理の依頼においてあなたは重要な関係者だし、救出対象にもなってるから、あなたの関わってる怪異事件の話を、もう一度詳しく聞かせてくれって言ったんだ」


「あー、彩理、さま? 多分ファーストネームだと思うんですけど一旦そう呼ばせていただきますわね、あなたが依頼したのって」


「あなたの依頼を受けて、って、依頼したよ」


「こう言ってますけれど」「違う!」


強めに否定した後、僕は横並びに立っている彩理に向けて懇願するような表情を浮かべた。


「あの人を助けてあげてって言い方してたじゃん……!」


「ややこしいから……」


言いながら、しかし僅かに舌を出す彩理。天使か? この場合堕天してそうだけど。どちらにせよ女神より美しいし可愛らしいのは変わらない。

もっとも──それで癒された部分の心とは、別に、僕の精神は悲鳴をあげている。彩理から視線を外し、正中線上。机に座り、困惑と呆れの中間くらいの半眼を向けてきている、今回の重要参考人──もしくは、彩理の言葉に倣うなら、本当にそういう表現はしたくないけど、彩理の言葉の前に僕の感情なんか塵芥すらにも届かないので、本当に、苦渋の判断だけれど、呼び方を変えるなら──


「……依頼人の依頼人、あなたの名前を教えてくれ」


「ややこし! ……っていうか、え、覚えていただけませんでしたの?」


「そりゃあ」


「あんなに叫んだのに、虚しい努力でしたわ。あのあとぶったお……お気絶遊ばせいたしましたのよ」


「そんなにその口調徹底する?」


「最後叫んだ時くださいって長めに言ったのがとどめでしたわね」


「そんなにその口調徹底する?」


常々狂人、何を考えているのかわからない。その謎には踏み込む気にもならないが。

ていうか、名前だ。質問への返答がなかった。くださいましーって叫んだ、その手前で……なんとかって言ってたはずなんだけど。


「確か……ねねねねね」


「それじゃ新手の妖怪ですわよ? じゃなくて、音菜乃七乃ですわ」


「ああそうだ、ねなのだ。ちなみに必要になるかもしれないから聞いとくけど、下の名前は?」


「えっ、七乃ですわ」


「は?」


「え?」


……時間的空欄。

なの、なのだ、を言うならその手前にそれが指す言葉も付随させないとだろう、お嬢様言葉を発音したいだけか?


「なのですわって、何がなのだよ」だから訊ねてみる。


そうすると彼女は、あっ、と、合点がいったというような表情を浮かべて、慌てたように補足した。


「その意味のなのは言っていませんわ! なのじゃなくてですわに付属させていますの、この場合なのは単語です!」


「ええ? ……あぁ」


思い至る。


「なの、が名前なのか」


「雨……」


慈しみと悲しみの中間のような、そんな様相を彩理は時折浮かべる。

え?



二年三組。日光をダイレクトに受けて逆光、向けた身体に影を落とした、背中まで伸びた茶髪を片側だけお嬢様巻きにしたノットお嬢様イズ依頼人の依頼人、改め音菜乃七乃。

窓際席っていうのも考えものだよな、気候の影響が大きすぎる。今日暑いのに、こうも神々しく照らされているのを見るとなんだか可哀想な気分になってくる。

気分になるだけなので別に表面に出すことはなく、僕はただ自分の目的を進行させるためだけに口を開いた。


「で、どうするんだ音菜乃七乃ですわさん、情報提供はしてもらえるのか?」


「え、ああ、いや、それはもちろん……え、ですわってなんですの」


「あなたの真似」


「できてませんわ! ……って言うか、そうだ、今ので思い出しました、わたくしあなたにちょっと鬱憤がありましたの!」


「奇遇だな」


「え、ごめんなさい」


素直すぎないか? 何に対して謝ってるつもりなんだ。


「……いえ……確かに、っていうか、言われてようやく気づいたことをお許しいただきたいのですけれど、先日何度も押しかけた件について謝罪しますわ。必死になるがあまりそちらの事情も鑑みず強引な依頼をしてしまいまして」


「適切に自身の過ちを省みている!? ……ちょっと、それされたら全然そっちが何に鬱憤持ってんのか分かってない僕が悪いみたいだろ、僕は何もしてないぞ」


「そうだよ、雨は多分悪くないよ。……………………」


時間的空欄。


「彩理!?」


「……えっと、雨、何したの?」


「彩理!!!???」


瀕死だ。いや、本当に僕は何を間違えた、全く心当たりがない。心当たりもないままただただ彩理の目線に背筋が凍る思いをしているだけだった。今日は夏日だと聞いていたのに。

恐る恐る、彩理の表情を伺う。困り眉。ジト目。ちょっと汗。コミカルなベクトルが無くて割と本気の疑心が見て取れた。

瀕死だ。


「……でもこれで謝るのはあなたへの謝罪にならない、だから僕は謝らない」


「クズみたいな発言なのに誠実ですわ!? 普通逆じゃありませんこと?」


「僕は謝らないし、したがって謝るために自分の何が悪かったのかを質問することもないから、あなたが自発的に、誰に求められたでもなく独り言として、僕の何に鬱憤を持っているのか喋ってほしい。自分の欠点を自分から聞くとか僕はしたくない」


「クズですわ! ……いや、昨日わたくしに狂人とか何とかって」


「ええ?」


「なんですのその反応、普通に暴言だとは思いますの。いや先に礼を失したのはわたくしですし謝ってというのは、なんというか、それはもう良いんですけれど」


「てかお嬢様言葉は普通にやば……」


「はぁ? 何を言っていますの、素晴らしいですのよお嬢様言葉は。強く、気高く、美しく! ノブレスオブリージュの体現、世界を強く生き抜く邁進、病は気からなら力は言葉から、わたくしが楽しげに生きるための、これはそのための表現ですの!」


い、を言い切る前に勢いよく彼女は言った。ばっと両手を広げてノンブレスだ。びっくりして飛び退く。いや僕じゃなくて彩理が。

僕はどうしたかというと、気づいた。言われた結果、気づいたことがあった。


「……ああ、なるほど……。それは……確かに僕が悪いな」


どうやらそれは彼女の生き様だったらしい、ということだ。多分そういう内容のことを言ったはずだ、全部は覚えられなかったけど。つまり、僕の発言は、生き様の嘲笑だったらしいわけで────。

低頭平身だった。平謝り。


「謝る。ごめん」


「えっ、あっ、えっ?」


「ほんと悪かった」


「今の短い間で貴方の脳内にどういう思考が繰り広げられましたのか全く分からないのですけれど、謝られたなら許すと返答するべきですわよね?」


頭を下げる僕に、ですので頭を上げてくださいと、音菜乃はそう言って許容をひょうしたようだった。


「……あ、雨」


「ん?」


それで、唐突に。頭を上げた瞬間、彩理が呟いた。名前を呼ばれたと思って彩理を見ると、どこかを指さしていて、その方向には、音菜乃七乃──というより。


「……ああ、雨か……」


「あら。でしたら、まあ、これで水に流すということで」


窓の外、さっきまで青かった空には灰が掛かって、薄暗い。ぽつりぽつりと、雨が降り始めていた。

気温が下がったように錯覚したと思ったけど、どうやら錯覚だったらしい。

ちなみに音菜乃はドヤ顔していた。上手いこと言ったと思ってるのか? 全然上手くなかったけど認めたら負けだと思ってる



「いや、ほんと、そういうことがあるんだよ僕は……喋ってたらさぁ、どうにも勢いづいちゃってさぁ……」


僕は頭を抱えて、二十センチ弱ある彩理との身長差をマイナスまで振り切らせるぐらいに背筋を曲げて、低頭平身。

平謝り。

あの後、ひとまず互いの諍いについてはお互いに許し合うという平和的解決を見た。それに伴い依頼も成立、音菜乃七乃、依頼人の依頼人からの情報提供を経て、一旦家に帰って傘の確保&着替えを済ませたのち、現在は実際に事件現場の確認──つまり、現在進行形、音菜乃七乃の巻き込まれている怪異事件。それを目の当たりにするために、彼女の住むマンションへの道程を辿っている最中だった。

最中で、僕は苛まれていた。

というより、自ら苛んでるんだけど。

許しは出てるので、これは本当に単なる自傷行為だ。


「あの、もう本当に、気にしてませんので……ほら雨めっちゃ降ってますわ、もうめちゃくちゃ水に流されてますの。……っていうかちょっと雨量やばくありませんか、ほんとに洪水みたいな流れ方してませんこと……」


「ほらもうそうやって気遣わせるぅ! 言い過ぎたんだよ明らかに、そりゃ変なことしてる人って本人なりの理由あるよな、人の言動を狂ってるとか言ったら駄目なんだよ本当に、、、」


嫌われるし傷つける。

むしろ、本当に。本当に、僕だけはそれを言ってはいけないことだったと、今になって大後悔している。このまま流れる水溜まりに乗って大航海して遭難したい気分だ、僕の発言は……。

発言が、奇天烈なのが、狂っているのは──


「ぅあ……星、見えないかな、今日……」


つまり、僕にとって、反感とか嘲笑の許されない、最大の目標に伴うことだったので。

嫌われる、傷つける。


「うぅぅうぅうぁあ〜〜〜…………」


「え、え、あっ、雨!? 雨──!! ……雨が、雨に流された……」


「ちょ、ダジャレ言ってる場合じゃ、レスキューですわ──!?」


水には流せないことだった。




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