二章
序文、毒吐
僕と彩理が過去に経験した怪異関連の事件の中で印象的だったものとすれば、やはりあの、中学二年生の夏休み、クラスメイトの複数名と共だって不法侵入した深夜の廃病院で遭遇した、増幅して、増大して、膨張した蝉の抜け殻の怪物──それを中心とした脱出劇、或いは殺戮劇、と表現した方が的確かもしれないが、とにかくそれが挙げられるだろう。
結果だけを述べるなら、内二名生存。怪異の脅威とはつまりそういったことであり、泣き叫び、赦しを乞い、何かに祈り縋りながらその十四、五年間の命を散らしていった四人の末路は、怪異に関わってしまった者の辿る道筋として、ごく自然で、一般的なものであり──僕や彩理のようなものこそが、むしろ圧倒的に異質なのであり──だからこそ、僕は、あの日の僕は、自らに何かが成し遂げられるなどと思ってしまっていた頃の僕は、その思いが思い込みでしかないと、全くの誤解で、勘違いで、妄想でしかないのだと、思い知る羽目になったのだ。
そう。
つまりまあ、僕が彩理の専属探偵になると決めた、そのきっかけの事件である。
全くもって、取るに足らない話である。僕という矮小な一個人がただただ自分の未熟を知らしめられただけの話で、そんなくだらない一幕にわざわざ印象的な、などと枕詞をつけてさも重大なエピソードをこれから語り始めます、だなんて期待感を煽るように導入をしたとして、さも僕たち二人の人生において大きな転換点になった出来事なのであります、みたいな空気感を演出したとして、それは結局──愚かな僕の愚かさを、愚かにも露呈して強調する、それだけのことである。
一人は全部を救えない。それを知らなかった人間がそれを知っただけの、ただそれだけの一日の話である。
全くもって──救えない。
だから、まあ、これは僕が、過去の自分の、つまり黒歴史に対して、見下し貶して毒を吐く──それによって現在、先日受注した依頼の遂行のため彩理と横並びに二年三組へと向かい歩いている最中、唐突にこの事を思い出してしまった僕の、この心の傾きに、何とかして均衡を取り戻させよう、という、そういう自己防衛のための独白だ。
尤も、語れることはそう多くは無いのだが。中学時代の僕は、経験の不足とそれに対して過剰な成功体験から、自分にはなんでも出来る、どんな事件でも解決できる、なんて、今の僕を取り巻く現状を鑑みると、もう当然のように鼻で笑って、それで足りるわけもないのでため息もついて、で念の為最後に唾を吐き捨てて、そのぐらいの嘲りをされてしかるべき、文字通り唾棄すべき、そんな勘違いをしていた。
彩理と出会ってから六年間。僕は自らが関わった事件で、人が死んだところを見た事がなかったのだ。これはもちろん単なる偶然、星々の巡り合わせでしかありえない時運なのだが、何をとち狂ったか僕は、 そこに一部、というかある程度、そこそこ、自分の功績が含まれているのではないか、と考えた。
妄想した。妄想に本気になれるのは中学二年生の特権だが、とはいえこれはその比でなく救いようのない、そういう幻想、幻覚、錯覚だった。ほとんど錯綜していたと言える。
見えない小人に線路に突き落とされたサラリーマンの手を引けたのは偶然だし、刃物の形をした大型犬から迷子を抱き抱えたままビルを跳び移って逃げ仰せたのは幸運だし、学内を徘徊する何でも溶かす毒の人型に最適な中和剤を見つけ出せたのは天啓でしかない。そこに自らの実力なんてものがあったなどと、考えることは許されないはずなのだ。──実際許されなかったし。
許されないことだったのだ。許されざること。許され得ないこと。あの四人を殺したのは、間違いなくそんな、僕の慢心だったから。
それに何より、彩理を、泣かせたのは。
延々と泣きじゃくり、膝から崩れ落ち、──屋上で、怪異の脅威を逃れた、僕と彩理の二人だけで、河川敷から上がる花火に照らされながら、絶望に沈んだ彩理を前にして、何をすることも出来なかったのは──
間違いなく、僕のせいだったから。
それで、なんというか……恐らく表現としては、逃げた、とするのが最も的確なのだと思う。僕は、僕が自ら始めた、何もかもを解き明かし、解決して救おうとする、そんな探偵から、自ら求めた役割から、逃げ出した。それはもう無我夢中で。ほうほうのていだ。大正解だ。今となってはそうとしか思えない。逃げた、逃げた。怪異なんて、謎だなんて、逃げ出すのが一番良いのだから。関わらないのが、最良なのだから。
そう。結局、そこのところに行き着くのだ。謎には関わらないのが一番、この結論に後悔はないし、今後することもないように思える。無論彩理を取り巻くものには別だが、逆に言えば彩理に直接関係するものを除き、あらゆる謎は当然のように回避するべきなのであるし、彩理に関わるものにしたって──むしろ、それに彩理が関わらなくて良いようにするために、僕は生きているのだし──。
ただ悪戯に首を突っ込んで、それで誰かを救うどころか、何にも届かず彩理を傷つける──それこそが僕の探偵業なら、僕はもちろん、それを辞めるべきだった。
それで、その事にようやく気づいた、気づくことが出来た、あの大失敗の夏の日に、僕はようやく野放図を辞めたのだ。無作為に誰もを助けるなんてことは、人の身をして出来るわけが無い。いや──なんなら、今の僕を純粋にただの人間と呼称するのには幾らかの語弊があることを鑑みて、ちょっとした人外にすら、それは不可能なことであると、そうと強調してもいい。
だから僕は、誰も彼もから依頼を受けることを辞め、彼女の、明日見彩理の
そういう経緯である。
────そういう経緯にも関わらず、もしくはそういう経緯だからこそ、結局僕は今現在、他ならない彩理からの、何より優先するべき依頼に──そう自分で位置づけてしまったから、例えそれが、何もかにもを救おうとするような、野放図で、無作為で、無謀で無能で無知蒙昧だから無我夢中な、そんな無茶苦茶な依頼だったとしても──向き合っているのだが。
向き合わざるを得ないのだが。
全く、ままならないものである。
だから僕は、彼女の依頼に対して真摯に向き合いながら、あくまでその姿勢は維持しようという心持ちのまま。ただ少しだけ、上手く噛み合わない自分の人生に対して、蓄積された鬱憤を少しでも軽減して、出来る限り軽やかな気分でかのお嬢様言葉との邂逅に望もう、それでなるべく楽しげに事件を解決しよう──そのために。
彼女の依頼に、晴れやかに挑むために。
僕は少しだけ顔を逸らして、彩理に分からないようにしてから、俄かに呟いた。
小さく毒吐いたのだった。
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