御、依頼

「──借りるのやめますって、伝えるのが、まず一個思いつくだろ」


図書貸出に対して、担保を求めてくる。その担保として、借入者の死か、それを預け入れることで死を伴う何かを、大きな手でにくる。──奴はそういう怪異だろう。

改めて整理すると、なんてふざけたたちだろう、と思わずにはいられない。健全な、ともすれば慈善活動とも言える、知識や物語、そのほかあらゆる頭脳的感動を、あらゆる市民に分け隔てなく提供せんとする、そういう崇高さをも伴う運営がなされるべき場所が、図書館という施設であるはずなのだ。そんな図書館で、図書館での貸し出しで、? ──人間文化の、或いは精神の、冒涜だろう。それこそが怪異であり、それでこその怪異であり、だからこそ、僕の経験は役に立つのだが。つまり、経験から、どういう考え方をすれば、怪異に有効な策を弄すれるか──分かるそれが、素直に適応できるということだ。この場合──


そんなふざけた奴にわざわざ貸しを作る道理なんてない。だから、まず、そもそも借り入れをキャンセルする──それが、まず僕が最初に思いついた、奴の動きを止める方法だった。

まあ、他には、担保ならちゃんと返済すれば返してもらえるのだから、一度預かられて死んだとしても、本を返したら生き返られる──そういう仮定も考えはしたが、そんなもの、まあ考えるまでもないことだ。なので僕は、先の方法を、最適解にして最優先の手段として位置づけることにしたのである。


「ん、あっ、そっか……。……ぅあ、あ、でも、でも駄目かも……」


ただ、それゆえに発せられた僕の短絡的な発言に対して、彩理は反発的な反応を持ってして諌めてくれる。やはり、僕が思いつく程度のことなど、彼女は全てわかっている、ということなのだろう。わかっている。わかっている……残念な気分になる。ああ、うん、わかってたけど、叶うのなら僕が大胆不敵な大活躍で彼女を助け出したいという気持ちも……あった。そのことに否認の余地はなかった。あんな風に堕落したけど、なおそうなのだ。だって、彩理のヒーローになれたら、それは何よりも嬉しいから。口惜しい。

とはいえ頓挫した欲望にへばりついても仕方ない。自分で自分に糊剥がし(ってかヘドロ溶かし)を塗りたくって、なんとか未練から離れ去る。

全部を一人で解決してきゃーすごいと彩理から黄色い歓声を浴びることは叶わなくなったが、それならそれで、二人で協力して苦難を乗り越えた、に転じればいいのだ。……欲望まみれだな僕は、おい。さっきので頭が冷静になっていたので、そのことにも冷静に振り返ってしまった。


まあ、いい。


「駄目、って」


とにかく、時間は肝要だった。一旦煩悩脳をNOにして、OFFって真面目のスイッチをONだ。そうすれば、彼女はYESしてくれる。


「うん、えっと……多分、やめます、って言っただけだと終わらない、よ」


「それは……」なんでだ?「なんで?」


全然ピンと来なかったが、彩理は当然のようにこう言った。


「本を、持ってきて……借りないなら、やっぱり返さないとだから」


借りないなら、返さないと。借りなくても? 返さないと。──ああ。


「そっか、そうだな」


「うん、持ってきた本、ちゃんと元の場所に返さないと……」


ああ、当然の道理だ。

本を本棚から抜き出して、別々の場所に整頓されていた本を一緒くたにしてカウンターまで運んだのなら──それを借りるのをやめたなら、それは全部、一冊一冊、元あった場所に整理し直さないとだ。

当然の道徳。図書貸し出しで担保を求めないのと同じぐらい、それは果たされるべき、人心の務めだった。

借りるのをやめます、なんて一言言っただけで、後処理は全部人任せ、なんて道理はやっぱりない。道理を以ってして、怪異から逃れたいなら、道理には従わないといけない。まあ試しに言ってみてもいいけど、位置をばらすリスクと吊り合う可能性ではないと、この理屈はそう思えるものだった。何より彩理が言ったことだし。

それでその場合、返却ボックスに入れて、なんてのも論外だろう。借りてない本を借りられた本と混ぜ込んだら処理が大変だ。

だから、この場合、僕たちがこの後完了させるべきミッション概要は、自ずと浮かび上がってくる。


「……あの十一冊、回収して、全部元あった場所に戻して回る」


「うん。……雨」


まずは、ここからちょうど、壁までの距離と同じぐらいの距離にある、中央カウンターの──十一冊の辞書の山、あれに辿り着かないとだった。

本棚の角から目標を覗き見る僕の、乗り出した身体を支えていない方の左手を、彩理が緩く暖かに握った。



──その後の顛末について、特筆して語るべきことは特になかった。なぜかというと、特に何もなかったからだ。特に何もなかったので結果だけお伝えすると、僕ら二人は無事かの怪物の領域から脱出することに成功した。


いや、大変ではあったのだ、それはもちろん色々と。大変ではあった。大変ではあった──のだが。ただ、別に何も、変なことはなかったのだ。変則的なことは何もない。

カウンターの本を確保するために怪物を引き付けた一進一退とか、たどり着いたはいいものの運ぶための手段が必要なことに気づいて台車を取りに戻った紆余曲折とか、最後の一冊を本棚に戻すために行われた乾坤一擲とか、色々あったが、結局は予定調和に過ぎなかった。現実に、結果として、僕と彩理は、一つの犠牲もなく、何も失うこともなく、あの窮地を脱することに成功したのだ。成功……してしまった。それは埒外の怪物を相手取った攻防の結果としてあまりにも都合のいいものであり、そんなものを一々命をかけた大勝負!というふうに書いても冷笑物にしかならないものだ。あーはいはいどうせ助かるんでしょ、なんて気分で読む冒険活劇ほどつまらないものは、結局のところ、この世界全て、宇宙全てを探しても、ひとつとして無いのである。


というかむしろ、特筆するほど大変で、変則的だった物事は、その後にあった。


「……雨。やっぱり、あの人の依頼、受けないの?」


「……今なんて?」


最後の一冊を戻した時点で、領域は解除され、怪異は姿を消していた。カウンターにはいつもの司書の姿があったので、僕と彩理は当初の予定通り、十冊+一冊=十一冊の本を借りて、現在は帰路についていた。なお十一冊中十一冊は僕が持っている。なんか普通に持てるようになっていた。もう少し早く持てるようになっていれば台車で階段を跳ね落ちることもなかったのに。あれは大変だった。最終的に代車の持ち手を持って逆立ちのように浮かび上がった僕の身体を台車の淵のところに足を掛けて斜めになった彩理が支えるとかいう、組体操の、なんだっけ、多分サボテンだ、あれの上に乗る人が逆立ちになった版、みたいな姿勢になっていたと思う。記憶が定かではないし、思い出したくもないが。


──思い出したくもない。そう、思い出したくもないことだった。今しがた、彩理の発した、あの人、という言葉──それが指す相手。

音菜乃七乃。お嬢様言葉の依頼人。僕が依頼を断った相手で──彩理には、気づかせたくなかったので、気づかせないように気遣っていた相手だ。


「あの人も……多分、さっきみたいなのに、やっぱり──巻き込まれてる、んだよね」


しかし努力は徒労、彩理は当然のようにそれを認知していて、僕に、目的を伏せたまま──ただし、経験上、その目的は分かり切っている──話をしていた。

いつ知られたのだろうか。その答えはすぐに与えられた。


「あ。えっと、昼休みに、来なかったから、探してたら、階段のとこに見かけて……それで、盗み聞き──ごめんなさい」


──失敗だった。これは明確に僕の落ち度だ。毎日毎回昼休みになるたび彩理の教室まで走って昼食の誘いに向かっているような僕が、事前の伝達があったわけでもなく突然来なくなったら、不自然に思ってもそれは当然のことだ。その結果僕を探しに教室を出て──階段裏で、依頼人に絡まれている僕を見かけて、声をかけることも憚られたので、言葉の通り、盗み聞き──なんていじらしいことだろうか、盗み聞きだなんて、僕の全ては彼女のものなのだから、そのように気遣った言い方などしなくてもいいのに、彩理は当然の権利を行使しただけだ。いや、まあ、僕の、というより、僕と話をしている人の、話を勝手に聞くということに関して、プライバシーの問題を考えたのだろうが──そういった誠実さや他者への想いやりは、彼女の大きな美徳であり、僕が最も尊重すべき命題であった。


それは、最も、尊重するべきことだ。のだけど。──彼女の優しさは。


「……いや、そんなことは、全然いいんだ。ただ、依頼は」


「やっぱり、受けられない? ……雨は、私の……専属だから」


「……ああ」


心優しい彼女は、自分に降りかかるものだけじゃない。他者に訪れる、謎の、怪奇の、苦しみにすらも──悲しんで、苦しんでしまう。世を儚んでしまう。何かができないかと、願ってしまう。

これは、僕が悪いのだ。下り坂を舞い降りて、上り坂を駆け上がった、毎朝毎夕の、通り過ぎ去った過去の時代の、若気の至り。自分に何もかもが救えるなどという、慢心──英雄願望。ていうか厨二病。

ただ、彼女はその時の、何もかもを救おうとしていた頃の僕を──多分望んでいて。

その時のせいで、僕に、期待してしまう。期待させてしまう。

むしろ、僕に昔のように、戻って欲しいのかもしれなかった。今僕と一緒にいるのは、僕に、その時の影を見ているからで──あの時の、自らを太陽に向かおうとしていた、愚かな僕の、影を、光を受けていた僕の、背中に出来た影を、見ていたからで──今の僕を、彼女は望んでいないのかもしれない。

けれど。

僕は。

羽は落ちたのだ。

僕は……彼女だけを。彼女だけでも。彼女さえ。守らないと、守れないと、いけないから──僕はもう、彼女以外を守れない。

彼女を苦しめないために、しないといけなかった。

だから僕は、彼女の専属になったのだ。

──だから、知られたくなかったのだ。


「……うん」


僕の答えに、彩理は目を伏せて、唇を引き結んで、物悲しげに──物悲しげに。

ぽつりと呟く。

けれど、それが意味するのは、諦めではない。それを僕は知っている。予習している。

故に予知。

彼女は、未だ──僕に期待している。

期待させて、しまっている。

足りないせいで。

何もかもをを救える英雄ぼくを、期待させて、しまっている。

だから。


「──でも……やっぱり」

「ねえ、雨。お願い。する」

「依頼──する」

「あの人を……名前、なんて言うの?」

「分からない、けど……助けて、ほしい」

「助けて……あげて、ほしい」

「あの人の──関わってる問題を、いて、ほどいて、ほしい」

「を、依頼、する。──駄目?」


「──もちろん、受けるよ。僕は、君の、専属探偵だから」


──僕は、明日見彩理の、専属探偵だから。

彼女からの依頼を、断ることはできないのだ。

彼女からの、人助けの、依頼を──僕は断ることはできない。

だから──期待、させてしまうのだ。

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