阿、音菜乃七乃
「だから、依頼は受け付けてないって言ってるだろ」
今日四回目になる文言を一字一句違わず唱えた。
夕刻。太陽と月が交錯する刹那。昼間の冗談のような喧騒が嘘のように静まり返り、部活衣装(体操服とかジャージとか、或いは部活Tだとか。詳しくないので便宜上)に着替えた一部生徒のオーエスとかいう掛け声ぐらいが残る時間。
人によってはノスタルジーの象徴として、この時間を「ああ今日はいい一日だったな」と楽しげな寂しさで呟くようなそんな時間だったが、今日の僕にはその例の外だった。
例外。
部活や委員会などに所属していない僕にとって従来馴染みのないこの時間帯の下駄箱に、今日に限って取り残されていたのは、なにも僕の持つ例外的に不自然な運動神経を見込まれて陸上の助っ人を頼まれたとかそういうわけじゃなく、オーエスと掛け声を上げながら階段を駆け上がるためとかそんな訳では断じてなく、むしろSOS。
ついうっかり不特定多数の誰かに助けを求めてしまいたくなるような、そんな例外的に不愉快な出来事に巻き込まれてのことだった。
目の前の、髪色自由だけどあまり染めている者はいないこの学校における、まあ例外というほどではないがどちらかというと珍しい、明るめの茶染めをした女生徒。それが、その紅玉色の瞳(カラコン?)を僕の眼前にすれすれまで近づけてきていた。逃がさない、という意図を感じる距離感。彼女は、先程の僕の言葉をしばし反芻した様子を見せた後、再び口を開いた。
「けれど、貴方は探偵だとお聞きしましたわ。お医者様がリゾート行きの飛行機の中でも突然産気づいた妊婦の方を助けるように、警察官の方がお子様と散歩をしている最中でもひったくりを捕まえに走るように、探偵は学生服を着ていても、深い謎の関わる事件を解決するためならば迷わず現場に乗り込むものではありませんこと?」
「僕は乗り込まないし今回に関しては乗り込むまでもない、謎があるとしたらあなたのその口調でそれについてはすぐ解明できるからな。 あなたはあ/た/ま/が/お/か/し/い/! ○人の持ち込んだ謎は✕人の頭の中にしかないから探偵だってまともに取り合わないQED!」
「まあ。この口調の良さがわかりませんこと? 何より上品ですのよ」
「TPO!」
お嬢様言葉なんて今どきお嬢様学校ですら流行らないし、ましてやここはどこにでもある一般人用の高校だ。スマホの画面から出直してきて欲しい。
彼女とは今日四回目の邂逅だったが、どうやら一時のテンションでふざけているとかではなく、常時そんな口調で話しているらしいことが、そろそろわかってきていた。
僕はこの状況から抜け出す方法を探る。物理的に、目の前のこの人の話を聞かない変態を突き飛ばして、走る。……傷害罪。
暴力が駄目なら、言葉か。人語を話すなら僕の言葉も解せるのだと期待したいところではあるのだが、どうにも上手く行きそうにないようにも思えるのがやっぱり不愉快で本当に嫌だ。どういうことかと言うと。
「相手がどれだけ△人でも、人である限りは言葉による協調を目指せると僕は思いたいから、もっかい言うけど。僕は幼馴染の専属探偵だ。その人に関わる謎以外には関わらない」
「えー、でもわたくしも貴方の幼馴染ですのよ」
「とち□ってる……タイムスリップで歴史改竄してきたのか? だとしても僕の記憶にないからタイムパラドックスだけど。ていうかでもって付けてる時点で自分が僕の対象外だって自覚あるだろ」
「いえデモンストレーションの略ですわ。幼馴染であるということを仮定する効果がありますの」
「?」
この後もしばらく似たような調子の会話が続くのだが、つまりそういうことだ。会話を成立させる気がない。
自分の目的を果たすことしか考えていないのだろう……一応、そのことについて、同情できないわけではないのだが、ただ了承もできないのだ。それは相手の頼み方とか、そういうものを問題にする以前の、もっと僕にとって根本的で揺るがせたくない、揺るがせまいと努力、固執、癒着している、そんな人生動機が理由にあった。
「相手がどれだけ頑固で強情でも、繰り返すことは人を動かす力になるとわたくしは思いたいので、もう一度言いますけれど……貴方は、何か、こう……不可解、な事件について幾度となく巻き込まれていて、経験も、知識もあると。そうお聞きしましたの。貴方しか頼れませんのよ」
誰がそんなことをお聞きさせたのか、それについて厄介な心当たりがあることが憎かったが、ともかくとして、彼女の又聞きは事実ではあった。
不可解──言い直すなら不明瞭で、つまり謎。そのことについて、僕という人間は他と比べて、比較的と圧倒的の中間ぐらい、ほとんどの人間が持ち得ない程度の経験と知識があった。(圧倒的な者はそもそも浮世に生きていないか、既に人間では無くなっている)
しかもそんな人間が方針はどうあれ探偵を名乗っていて、同じ学校に同じ学年で在籍している。再三(再四)伝えられていた彼女のどうしようもない現況を考えると、それは彼女が性格とか嗜好において若干程度ずれていて、狂っているということを抜きにしても、思わず狂ったように助けを求めてしまって、仕方がないーーそう、思えてしまえなくも(なくもなくもなくもなくもなくもなくも)ないような、僕のステータス、魅力ではないが、能力値、ではあった。
しかし、それでも了承はできない。そもそも別に伸ばしたくて伸ばした能力じゃないのだ。むしろ絶対に伸ばさないほうがいい力で、これ以上伸ばしたくない力。そんなものをほぼ初対面の相手への献身のため行使してやれる生き方はしてこなかった。なんなら積極的に見捨ててきたし、それに何より、幼馴染を待たせていた。
だから、僕は了承できなかった。同情する。
「そういうわけだから……。悪いとは思ってるとは言い残しとくから、思うくらいなら受けてくれよって後で貶して心の足しにでもしといてくれ」
「それを言う性格の悪さを貶す人が多いと思いますわよ? っていうか……」
なにを言おうとしたのか、力が抜けたように、足がもつれたように、彼女の距離感が少し遠まる。
するりと、ようやくできた隙を縫って彼女の詰め寄りから脱出する。脇目も振らず全速前進。
「あ、ちょ、逃しませんわよ!」
「はははははは!! 伊達にあれこれ関わってないんだ、例外的な走力ぐらい鍛えられてる!」
陸上部が見たら迷いなくその全勢力/走力を持って勧誘に走るだろう圧倒的(!)な猛ダッシュを見せつけながら、僕は一直線に校門へと向かう。ちらと振り向くと、遠く引き離された彼女の姿が見えた。へろへろ、という擬音がぴったりな走り方をしている。どうやら、精神的な距離を詰めるのは得意でも物理的には苦手なようだった。まあ精神的にもあれが得意と形容できるかは一考の余地ありだけど。
など考えながら、万が一にも、あれが自分の力を弱いと思い込ませ油断させたところを狩りにくるタイプのモンスターである可能性も考慮して、足を緩めず走っていく。最後に、随分と距離を離したらしく心許ない音量だったが、おそらく心臓が許す限りの声量を張り上げていたであろうトーンで、聞こえてきた言葉があった。
「二年三組二十五番
……強か、というのは人とにこやかに関わっていくための一つだなと、結論のようなことを思った。
さて、ここから待ち合わせ──をしたわけではないのだが、それでもおそらく幼馴染はそこで待っているだろうと、そういう場所まで行くには若干距離があった。ので、走っていこうと思う。かなりの時間を(おそらく)待たせてしまっていたし、成り行き上すでに走り出した後でもあったし、色々とちょうどよかった。周囲の目とかそういう走らない理由と天秤にかけた時、すでに走る理由は天秤の自分達が乗った側を勢いよく沈ませるだけの重量を獲得していた。
なので、僕は、放課後の、帰宅部の男子高校生は、往来を全速力/走力で走り抜けることにしたのだ。客観的目線よりも主観的指標に重みを持たせる、僕はそういう人間だった。
校門を抜けて右に曲がった大通りを、さらに右に。そのまままっすぐ突き進んで、煌びやかな喧騒飛び交うビル街を前から後ろへ。そうして、勢い余ったような賑やかさが落ち着きを取り戻す程度まで進んでいくと、この街一番の長大さを誇る河川敷、を跨いで架けられた高架橋が姿を表す。
この時間帯、ここに来て、きらきらと光り輝く水面を見ると、それが夕陽を反射しているのか、それともこれから訪れる夜の、空に浮かぶ無数の星々を反射しているのか、ふとわからなくなる。一つ一つが目を焼くようで、けれど全てが包みこむように、この世界を、もしくはこれを見る僕を、喝采しているように錯覚して、わからなくなる。
そしてその度、幾度となく繰り返し、僕は決まった結論を得るのだ。
視線の先、高架の中腹に立ってきらめく星群を見下ろしている、一つの影。
宇宙の
僕は、速度を緩め、一度膝に手をついた。歩きで十五分の距離を走って体感四、五分は、僕の体力では相当疲れる。(だいたいそうか?)
そのまま、息を休めつつ首だけ上げて彼女を見ていると、ふとその視線をこちらに向けてきた。
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