視察飛行
第15話 司令官の作戦
地上二階の高さの展望デッキのエアロックから出て、ケンイチがエアロック
の扉を閉める操作をしているうちに、司令官と大統領は宇宙機発着場へ
外階段で降り始めていたが、大統領は司令官にスーツの個人通話で囁いた。
「アル。何で今まで隠してたんだ」
「隠してないとサプライズにならないだろ?」
ケンイチが二人に追いついたとき、大統領はあと地上まで数段ある
場所から突然飛び上がった。
「わぁーお」大統領が叫ぶ。
大統領は月よりも大きい火星の重力を楽しみながら、体操選手の
着地のように両手を広げて地面に着地をしてポーズを決める。
突然の大統領の奇抜な行動を、驚いて見ているケンイチを、
ヘインズ司令官が横から肘で小突きながら個人通話で話しかけた。
「ああいう所は君と良く似ているな。気が合うんじゃないか」
「よして下さい。全く違います。私が火星に赴任した時にやったのは、
伸身の二回宙返りです」
***
ケンイチはマーズ・ファルコン横のタラップを登り、
大統領が後部座席に入るのをサポートする。シートベルトを掛けるのを
手伝ったあと、ケンイチも操縦席に乗り込んだ。
後部座席を映したモニターを見ながら大統領に話しかける。
「大統領。キャノピーの内側全体をモニター映像に設定します。
周囲の風景全体が見えますので景色をお楽しみください」
「カネムラ君。了解した」大統領は即座に機体内通話で答えた。
—— ソジュンが通信機の使い方をレクチャーしてくれて良かった ——
ケンイチが後部座席のモニター設定をすると、大統領の周りはまるで
キャノピーが全く無い状態で、直接外を見ているような映像となった。
宇宙機発着場に駐機している周囲のマーズ・ファルコンが良く見える。
「おぉ。これは素晴らしい」
「落ち着かないようでしたら、機体下部の映像表示にも変更できますが」
「いやこのままで結構だ。このほうが機体下部の上から見た地上風景よりも、
宇宙防衛機に乗っているという臨場感が有る」
続けてケンイチは航空管制室に連絡をした。
「こちらマーズ・ファルコン。カネムラ機。大統領の視察飛行に出発する」
「航空管制室了解。大事なお客様を乗せているんだから大人しく飛べよ」
航空管制員ホルスト・クラインベックの声だった。
ケンイチよりも年上で、航空管制員のリーダーを務めている。
優秀過ぎてパイロットへの指示が小うるさいのでケンイチは少し苦手だ。
離陸場所まで少し地上走行してから大統領に声をかけた。
「大統領。これから垂直離陸します。加速度が強いのでお気をつけください」
大統領はケンイチがモニターで後部座席を見ているのが分かっており、
親指を立ててOKサインをした。
***
後部座席のウィルソン大統領は、爆音のあと、砂煙が充満した空間を
急上昇するのを全身で感じた。砂煙を抜けると突然オレンジ色の空が広がる。
オレンジ色の空の南側には、光り輝く太陽が有った。
「おおぅ。素晴らしい」
ある程度の高さまで上昇したところで、ケンイチが機体をバンクさせる。
旋回を始めたので、眼下に指令本部基地の建物が良く見えるようになった。
ケンイチが説明を行おうとした丁度その時、航空管制室からの通信が入る。
「カネムラ機。大統領が乗っているんだから、もう少し機体を水平に
戻して速度を落とすように」
ケンイチが応答をする前に、大統領が一斉通話で航空管制員に言った。
「ウィルソンだ。このままでいい。カネムラ君と少し話をしたいんだ。
邪魔せんでくれないか」
航空管制委員のホルスト・クラインベックは、いきなりの大統領からの
通信に驚いて絶句していた。
大統領はそれだけ言うと、機体内通話に切り替えた。
「カネムラ君。航空管制室との通信をカットしてくれないか?」
「しかし、任務中に許可なく通信カットするのは規則で禁止されていま……」
「ほぅ。ダークサイドKKもだいぶ大人しくなったもんだな」
「えっ!」
大学時代の低重力ラグビー選手だった時の愛称で突然呼ばれたので、
ケンイチは驚いてマーズ・ファルコンの飛行姿勢が少しぐらついた。
ツィオルコフスキー大学の低重力ラグビー部で、スタンドオフとして
大活躍していたケンイチのことを恐れた相手チーム側が、ケンイチに
つけたあだ名が『ダークサイドKK』である。
『KK』はもちろんケンイチ・カネムラの頭文字だ。
***
月は自転と公転の周期が同じで、地球には同じ面をいつも向けている。
月の地球に向いた面は『アースサイド』、そして裏側は『バックサイド』と
呼ばれている。
『ダークサイド』とは、アースサイドに住む人々が、バックサイドの
ことを揶揄してと呼ぶときの呼び方で、差別用語だと訴える人も多かった。
この呼び方は法律などで禁止されてはいないが、公式文書では使われ無い。
宇宙移住の初期は地球が見えるアースサイド側への移住が好まれた。
そのため、アースサイド側には裕福な人が多く、バックサイド側には
低所得の住民が多くなった。バックサイドには大規模な工場が多く建設され、
日雇い労働者層が多くなっている。
ケンイチはバックサイドで生まれ育ち、低重力ラグビーの盛んな
ツィオルコフスキー大学で司令塔として活躍するようになっていた。
ケンイチの並外れた運動能力と司令塔としての能力の高さゆえに、
対戦相手からはとても恐れられ、いつしか『ダークサイドKK』という
あだ名で呼ばれるようになっていた。
最初は、世間からは差別的な呼び名だとも言われることも有ったが、
ケンイチがスーパースター並みの活躍を続けるにつれ、ツィオルコフスキー
大学の低重力ラグビー部が自ら、この呼び名をチームの誇りとして扱うように
なった経緯が有った。
***
「大統領。私のことをご存じだったんですか?」
「さっき、アルバートが君の名前を呼んだ時に気が付いたよ。
私は君の大ファンだったんだ。カネムラ君。いやケンイチ君でいいかな?
私は低重力ラグビーを見るのがとても好きでな。
特に君の大学の試合は必ず3D放送を見るようにしていたんだよ」
大統領は通信を一斉通信に切り替えて、航空管制室に呼びかけた。
「航空管制員。私がカネムラ君に通信をカットするように命じた。
このことをアル……いやアルバート・ヘインズ司令官に伝えてくれ」
展望デッキ中央の第二管制室で、通信をモニターしていたヘインズ司令官は
苦笑いしながら即座に応答した。
「ジャック了解した。カネムラ君。私が許可するから大統領の希望通り
指令本部基地との通信をカットして良いぞ。
それと彼にマーズ・ファルコンの運動性能の説明をするときは、
念のため郊外に行くように。騒音の苦情が来でも困るからな」
展望デッキの第二管制室で司令官と一緒に通信をモニターしていた
マリーとソジュンは、『運動性能の説明をせよ』という司令官の言葉の
裏の意味を知っているので、二人で顔を見合わせて薄笑いを浮かべた。
第二管制室では、リサ・デイビス補佐官だけが司令官の言葉に含まれた
ケンイチへの秘密指令を理解していなかった。
「こちらカネムラ。了解しました通信を切ります」通信装置をオフにした。
—— 『運動性能の説明をしろ』というのは、大統領が気分を悪くして
ダウンするぐらい振り回せということでいいよな ——
先ほどからの通信のやり取りを聞いただけでも、大統領がかなり強引
なのは良くわかった。大人しくしてもらう必要が有るのだろう。
今日一日、遠くの都市には出かけず、ゆっくりしてもらうために、
マーズ・ファルコンに乗せるという司令官の案には、
自分の大学時代のことを良く知っている大統領を驚かせた上で、
二人だけで話をさせるという、大統領が満足する『おまけ』が
含まれていたのだと気が付いた。
一人で苦笑をする。
—— あのヘインズ司令官もなかなかの策士だ ——
次回エピソード> 「第16話 ダークサイドKK」へ続く
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