第4話 後部座席

 ヴィルは大丈夫だと自分に言い聞かせて操縦桿を握るが、やはり副隊長機

の操縦という大役を任され、スーツの手袋内で汗がじわっとにじむのを感じる。

実際に体温が上昇したのをスーツが検知しスーツ内の温度調節器が作動した。


 そんなヴィルの目の前で、突然、中隊長機が両翼先端にある姿勢制御装置

からジョットを吹いた。

右翼先端からは下向き、そして左翼先端からは上向きに。

中隊長機は勢いよく半時計回りに回転する。


そして反転状態になると、今度は翼端から逆方向にジョットを吹き、

時計回りに回転して元の姿勢に戻った所で、もう一度ジェットを吹いて

ぴたっと回転を止めた。


「わっ。何ですか! あれ!」

 カネムラ機のすぐ斜め後ろにつけていたクローデル機だが、

ヴィルが驚いた拍子に少し機体の姿勢を崩した。

あまりにも突然のことに操縦桿を握る手はまだ震えている。


「あぁ。あなたは応援に来たばかりで知らないわよね。

 あれはケンイチが出撃時によく行う隕石迎撃前のルーティンなのよ」

—— ルーティーン? あんな曲芸飛行が? —— 


「やっぱりクローデル副隊長の機体に乗せていただいて良かったです。

 中隊長機の後部座席だったら、今の激しい回転運動でゲロはいてましたよ」

「そうね。あいつの三半規管は通常の人間のとは違うからね。でも、

 もしも私の機体でゲロはいたら、強制射出で後部座席ごと放り出すわよ」


「そっ、それは勘弁してください。

 ところであれ何の意味があるんですか?」

「あれは機体の反応速度を確かめるための試験操縦だって言ってるわ。

 機体整備の後は、姿勢制御装置の噴射速度が微妙に変わるから

 整備後はいつもやるのよ」


「燃料水の無駄遣いにしか見えませんけど‥‥‥」


「いや、あれは隕石をよける動作の確認で、機体の重心移動なしに回転して

 いるから機首の方向を変えて、回避運動をするよりもずっと省エネだって

 言ってたわ。普通の人間は隕石群の中であんなことすると目が回って

 余計に危ないから私は真似しないけどね」


「いくら省エネでも、あんなこと誰も真似できないと思います」


 ヴィルが第三中隊から応援という形で第一中隊に来てから、

まだそんなに日は経ってないが、一度だけ第一中隊メンバー全員での

編隊飛行訓練に参加したことが有った。


 他の中隊ではあまり独自訓練は行わないが、第一中隊の場合は、

元低重力ラグビーの選手だったというカネムラ中隊長の提案で、

緊急出動が無い待機時間の時には、時々、編隊飛行訓練を

行っているらしい。


 一度参加した編隊飛行訓練の時、ヴィルは自分と同期のシンイー・ワン

隊員でさえ、入隊訓練の時よりもずっと操縦が上手くなっていたので、

自分の操縦の未熟さを思い知らされた。

『日々の練習は必ず生きる』というカネムラ中隊長の言う通りだと思った。


 その後、時々基地に有るVRシミュレーターで練習はしていたが、

こんなにも早く中隊長機と編隊を組んで現地に向かうことになるとは思って

いなかったので、モニターの中隊長機の動きを注視しながら操縦桿を

握りしめていた。


 ***


 第一中隊ソジュン・パク副隊長は<テゾーロ地区>の地上部隊と通信を

終えると時計を見た。あと十数分で隕石嵐が来るはずだ。

火星の衛星軌道の衛星からの情報はまだ入って来ないが、遠距離レーダーの

情報からすると相当な数の隕石が火星に向かっているという。


 ここ<テゾーロ地区>は、少し前までは鉱物資源の探査や発掘のために

民間企業が小規模な居住施設を建設してきた開発区域だ。

マリネリス峡谷やタルシス地域の火山にも近く、火山活動の研究に適して

いるので、近年になって地質学研究所を始めとする各種研究機関が集まって

来たが、まだ人口はそれほど多く無い。


 地上部隊の話では、住民のほとんどは地下深くのシェルターに避難済み

であり、万が一隕石の落下で地上設備に被害が出たとしても人的被害は

無いから、第一中隊は無理をしなくても良いということだった。


 航空管制室からは、ケンイチとマリーが出撃したということだが、

それでも合計五機だけだ。明らかに戦力が少ないと思った。

—— 確かに。隕石が多すぎるなら、逃げ回ることも必要かもねぇ ——


 入隊四年目のジョン・スタンリーはまだ良いとしても入隊二年目の

シンイー・ワンはおそらくガチガチに緊張しているだろう。

この二年間、大きな隕石嵐は無かった。ごく小規模な隕石嵐に対応しただけ

なので、シンイーにとっては、大きな隕石嵐に初めて対応することになる。


 日々、どんなにVRシミュレーターで訓練をしていても、隕石に撃墜されて

死ぬかもしれないという恐怖感までは再現出来ないので、この大きな隕石嵐

への出動で緊張しないほうがおかしい。

—— まずいなぁ。あんまり緊張してると、自機が撃墜されちゃうぞ ——


 その時、中隊機一斉通話で話すケンイチの声が響いた。

「ソジュン聞こえてるか? こちらケンイチ。マリーと二機で発進した。

 ヴィルの機体の準備が間に合わないから、マリーの後ろに乗ってもらってる。

 そっちはどうなってる?」


「ソジュンでーす。ものすごい数の隕石が迫って来てるらしいねぇ。

 俺、ジョン、シンイーの三機じゃとてもさばききれないのは確かだよ。

 ジョンなんかさっきから『パク副隊長、後続機が来ないならもう撤退した

 ほうが 良いんじゃないですか~』なんて、かなり泣きが入ってるよ」


 ソジュンのジョン・スタンリー隊員の声色の物まねがあまりにも上手

だったためか、カネムラ機とクローデル機からの通信で笑いを抑えたような

息遣いが漏れ聞こえた。


慌てたジョンからの通信が割って入る。

「パク副隊長。僕はそんなこと言ってません! 

 こんな時に冗談はよしてください」


「あっはっは。こちらケンイチ。ジョン大丈夫だ。ソジュンのジョーク

 だってわかってる。ソジュンもそんな冗談が言えるなら、

 まだだいぶ余裕が有るってことだな」


「はいはい。こちらソジュン。まだ警戒衛星の探知外で航空管制がキャッチ

 した遠距離レーダーのラフな情報しか無いから、余裕が有るのか無いのか

 もじぇんじぇん判断できないっていうのが本当の状況だけどね」

  

 ***


 マリー・クローデル機の後部座席で通信を聞いてたヴィルが

機内通話で思わずつぶやいた。

「パク副隊長って、結構面白い人なんですね」


「ヴィル。あれはね、おそらく若いシンイーの緊張をほぐすために、

 ソジュンがわざとジョンをからかったんだと思うわ」

「えっ? そうなんですか」


「あぁそう言えば、あなたもシンイーと同期だったわよね」

「ええワンちゃんとは同期です。そうなんですかパク副隊長もやりますね。

 おかげで僕も少し緊張がほぐれましたよ。

 火星に配属されてからこの二年で、VRシミュレーション訓練は

 何回もやりましたけど、大きな隕石嵐の迎撃は初めてですから」


 ***


 ケンイチはソジュンから<テゾーロ地区>の避難状況を聞いた後で訪ねた。

「ソジュン。地上部隊のTNSの発射準備状況については何か言ってたか?」


 TNSとはトライアングル・ネット・システムの頭文字である。

その名の通り三角形をした特殊高強度繊維のネットの隕石防衛装備で、

三角形ネットの三つの頂点に小型ロケットが付いたものだ。


地上から打ち上げられた多数のTNS群は、大気圏上層部で展開し、

お互いに位置を調整しながら整列することで広い隕石防衛面を構成する。


 小石レベルの隕石はこのTNSのネットの防衛面で受け止められる。

また、少し大きい隕石が突入した場合は、TNSネットが隕石を包み込んだ

状態で落下することになるが、三角形の頂点につけられた小型ロケットの

推力で徐々に減速していき、地上の被害を最小限にするという装置である。


 ***


「TNSの発射準備は完了しているので、そろそろ打ち上げ始めるって

 言ってた……あっ今、まさに打ち上げ始めたね。

 相当な数を準備しているから、心配するなって言ってましたよ」

「ソジュン了解した。TNSが十分にあるのは心強いな」


 月で使うTNSは、地上からTNSの小型ロケットをそのまま打ち上げる。

しかし、火星の場合は月よりも重力が大きく空気抵抗もあるので、大気圏

上層部まではジェット推進つきのカプセルにTNSを入れて打ち上げる。


 打ち上げ用カプセルはTNSを放出すると、外側のカバーが五枚に割れて

広がり、ヘリコプターの羽のようにくるくると回転しながら火星の薄い

大気の中を地上まで落ちていく。


この時、自動で羽の角度が微妙にコントロールされて、所定の回収エリアに

落ちる仕組みになっており、カプセルを再利用し易くなっている。

 地球の植物の種子が落ちながら飛行するのを参考に開発された装備だ。


 マーズ・ファルコンの機体下部カメラが捉えた映像には、

くるくると舞い落ちる大量のカプセルの映像が映し出されていた。

中隊機一斉通話でソジュンがつぶやく。

「おーいシンイー。TNS打ち上げカプセル見てごらん。とても綺麗だよ」


「うわぁきれーい。打ち上げカプセルって花吹雪みたい。すごいすごーい」

シンイー・ワン隊員の声だった。

ヴィルはシンイーの声がいつもの感じだったので、少し安心した。

—— パク副隊長、グッ・ジョブです —— 



次回エピソード> 「第5話 ガーランドの提案」へ続く

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