第3話 出動!マーズ・ファルコン

 ケンイチがカプセルから出ると、パイロット待機室の特殊強化ガラス

の壁ごしに、がらんとした駐機スペースが見えた。


 いつもなら駐機スペースにはずらりとマーズ・ファルコンが並んでいる

はずだが、当直メンバー達の機体が飛び立った後で予備機も残ってない。

駐機スペースに有るのは、連絡艇や輸送機、そして整備車両群だけだ。

まるで寂れた地方空港のような風景だった。


 その中をマーズ・ファルコン二機が無人牽引装置に引かれて、

機体整備場から宇宙機発着場に移動している。

機体ナンバーはケンイチとマリーの機体であることを示している。

両方の翼の下には、対隕石ミサイルを二本づつ計四本搭載していた。


***


 マーズ・ファルコンは宇宙防衛機としては珍しいタンデム複座で、

デルタ翼風の翼や、小さな水平尾翼と垂直尾翼を持っている。

まるで大昔の地球の戦闘機を思わせるようなフォルムの機体である。


 ただし、翼が有るとはいえ火星の大気圧は地球の〇・七五%しか

なく、翼の揚力で離陸することはできない。このため離着陸では

必ずVTOL(垂直離着陸)を行う。


 主翼や尾翼は主として火星の薄い大気圏を高速飛行する時の

姿勢安定性確保のためのものである。


 核融合技術が発達して宇宙機に超小型核融合エンジンが搭載されると、

無限に近いエネルギーを機体内で生み出すことができるようになったが、

推進力を得るためには何らかの推進剤を高速で噴射する必要が有ることは

大昔から何も変わっていない。


 大昔は『推進剤』として液体水素や液体酸素を搭載する宇宙機がほとんど

だったが、今は機体内の有り余る電気エネルギーで水を電気分解することが

できるため、特殊加工して導電性を高めた『燃料水』が用いられる。


そのためマーズ・ファルコンの場合は、、デルタ翼風の主翼内は燃料水

タンクとして有効利用されている。


***


 ケンイチ達はパイロット待機室に備え付けられている装備品棚から、

パイロットスーツ用の予備酸素と予備バッテリーのカートリッジを取り出して

手早くスーツに取り付ける。これらは万が一機体が損傷して機外に出る

必要が生じたときの生命維持に必要な装備だ。


 そこに機体整備場のほうから整備員が慌てた様子で向かって来ると、

二枚の自動ドアを開けて、マイナス四十度以下の極寒の外気と共にパイロット

待機室に入って来た。


ケンイチ達は断熱性能の高いパイロットスーツを着ているため、その外気温を

直接感じるわけでは無いが、整備員の作業スーツについた結露が整備員が

冷え切った環境で作業していたことを示していた。


 整備員は早口で報告を始める。

「カネムラ中隊長。パク副隊長の指示で中隊長機とクローデル副隊長機は

 先に出撃準備してたのですが、今日は全機がオーバーホール中だったので、

 ガーランド隊員の機体は準備できてません。

 あと二十分はかかります。先に二機で出撃しますか?」


 —— 担当エリアまで距離がある。間に合わないな ——

 ケンイチはヴィルヘルム・ガーランドの方を向いて言った。

「ヴィル。後部座席でのナビ訓練はやったよな? 俺の機体の後部座席で

 ナビをやれるか? 」


入隊二年目の若いヴィルヘルム・ガーランド隊員は突然ナビを命じられて、

驚いたように身振りを交えながら答えた。

「はい。VRシミュレーション装置でナビ訓練はやりましたが……

 カ、カネムラ中隊長の機体の後部座席で……ですか?」


 ヘルメットのシールドで表情は良く見えないが、かなり戸惑っているのは

声色だけでも良くわかる。

ヴィルは本来は第三中隊の所属だが、第一中隊の数名が産休で休職中なので

一時的な応援要員として一か月ほど前から第一中隊に来ていた。


 マリーが笑いながらケンイチの腕をポンポンと軽いてフォローに入った。 

「ケンイチ。あなたの操縦が荒っぽいから『普通の人間には耐えられない』

 なんて噂が広まっているのよ。私、やりたいことが有るから、

 私の後ろに乗ってもらうと助かるんだけど。どう?」


「なんだよその失礼な噂話は。

 まぁマリーが助かるっていうならそれでもいいけど」

「じゃぁ決まりね。ヴィル。私の後ろに乗って手伝ってくれるのでいい?」

「はい。光栄です!」

 そのヴィルの打って変わって嬉しそうな声に、ケンイチは肩をすくめて

見せたが、方針が決まったので整備員に向かって親指を立てて挨拶をする。


 整備員はペコリと挨拶をして、ケンイチ達が出動できるようにパイロット

待機場の壁のボタンを押して自動ドアを開けた。

そして、ケンイチ達に合図をしながら、機体整備場に通信でガーランド機の

準備はいらないと無線連絡を行った。


 ***


 ヴィルヘルム・ガーランドは、憧れのクローデル副隊長の後部座席を

指定され、少し興奮していた。

「よしマリー。ヴィル。先行してるソジュン達を追いかけるぞ」

カネムラ中隊長がパイロット待機室から走り出る。ヴィルはクローデル副隊長

とともに中隊長に続いた。


 発着場は長い滑走路が有るわけでは無い。アスファルトで覆われたただの

広いエリアである。火星の薄い大気に巻き上げられた茶色の微細な砂が

徐々に舞い落ちて、アスファルト上にうっすらと積もっているため、

三人が走る後ろには砂煙が舞い上がった。


 ヴィルは、前を走っていた中隊長が昇降タラップを移動させて来ている

整備員に、遠くから『必要ない』と手で合図するのを見た。

そして中隊長は自機の横で思い切りジャンプしてコックピットの縁を

手でつかむと、片方の腕の力で体を鮮やかに空中に翻す。

コックピットの上で前転をしながらふわりと操縦席に飛び込んだ。


「うわっ! 何ですかあのジャンプ力と身のこなしは?」

ヴィルが思わず声を上げると、マリーは自分の機体に持って来て

もらった昇降タラップを駆け上がりながら冷静な口調で答える。

「いつも体力が有り余っているだけなのよ。あいつ」


 すぐに中隊長から航空管制室への通信が聞こえてきた。

「こちらカネムラ機。ガーランド機は準備が間に合わないので、

 ヴィルヘルム・ガーランドにはクローデル機の後部座席に乗ってもらった。

 クローデル機と二機で緊急発進します」


「カネムラ中隊長了解。第一中隊はわずか五機だけですが、大丈夫ですか?」

「セシル。大丈夫じゃなくても、なんとかするしかないんだろ?」


 ケンイチが垂直離陸用のVTOLボタンを押すと、

爆音とともに機体下面の各所からジェットが高速で噴射される。


 砂があたり一面に舞い上がって空間が茶色の砂煙に満たされ、

その中から勢いよくカネムラ機が水平姿勢を保ったまま急速上昇する。

クローデル機もそのすぐ後に続いた。


 二機のマーズ・ファルコンは水平を保ったまま十分に安全高度まで

上がった所で、急旋回しながら機首を目的地の方向の斜め上に向ける。

核融合プラズマジェット推進を稼働させると、主翼の先端につけられた

サブ推進機ポッドと、機体後部の両脇に張り出したブレースについている

メイン推進機ポッドからプラズマジェットを吹き出し、一気に急加速する。


 薄い大気とは言え空気抵抗が有るため、大気圏内を移動するよりも、

まず大気圏外まで上がってから目的地方向に向かう。

このほうが燃料水を節約できるのだ。急旋回中も二機は連結器か何かで

つながっているかの如く、一定の距離でピタリとついて急上昇する。


 ヴィルヘルム・ガーランドは、マリー・クローデル副隊長が優秀な

パイロットとは知っていたが、後部座席でその操縦の上手さを感じた。

ヴィルは全身に強いGを受けながらも思わず叫んでしまう。

「うわっ! クローデル副隊長もなかなかやりますね」

「あら? 私の操縦はもっと大人しいと思ってたの?」

「いえ、そんな……」


 マーズ・ファルコンはかなりの加速が可能だが、搭乗者である人間の

ほうに限界が有るため、加速度は約3G未満となるように制御されている。


 スーツの耐G機能で体が締め付けられてはいるが、話はできる状態だ。

火星の脱出速度に到達するまでは数分間は、我慢しなければならない。

ヴィルヘルム・ガーランドはGに耐えながら機内通話でマリーに話しかけた。


「そういえば、さっきクローデル副隊長が言ってた『やりたいこと』って

 何なんですか?」

「あぁ。大気圏外に出て水平飛行に戻ったら、ちょっとターゲティング

 システムのプログラムをいじりたいの。あなたに操縦してもらいたいのよ」


「えっ! 僕はナビじゃなくて後部座席で操縦するんですか? 

 それに、今からプログラムをいじるってどういうことですか?」


「私たちはたった五機で、数えきれない隕石を迎撃することになるの。

 ミサイルが足りないから、どうせ全部の隕石はミサイルでは迎撃できない

 でしょ? だから運動エネルギーの大きい隕石に絞り込んでミサイル迎撃

 する必要が有るのよ」


「目的地までの短時間でそんなことできるんですか?」

「カラーパラメータをちょっと変更するだけだから何とかなるわ」

「そうですか……第三中隊では『第一中隊は二人の副隊長が指揮してる』

 なんていう話が流れてましたが、やっぱり本当なんですね」


「それは違うわよ。皆わかってないわね。ケンイチがメンバーの一人一人の

 スキルをよく理解して、信頼して任せてくれるからうまくいってるのよ」

「そうなんですか?」


「さっき私が、ヴィルに後ろに乗ってもらいたいと言った時も、

 ケンイチは理由も聞かずに即断でOKしたでしょ。

 あれはもう私が隕石嵐に対応しやすいようにターゲティング

 システムをいじるだろうってことは分かってたからだと思うわ」


「そうだったんだ」


「彼はね。パイロットの腕前だけって思われがちだけど、月で

 低重力ラグビーをやってた時からチームの司令塔として活躍してたのよ。

 だからチーム全体の状態を一瞬で把握して的確な指示を出せる

 優秀な中隊長だわ」


「そうですか。第一に応援に来てからは、物資輸送や急病人の搬送の

 任務しか無かったからカネムラ中隊長のこと良く知りませんでした…‥‥」

マリーとヴィルがおしゃべりをしているうちに、マーズ・ファルコン二機は

大気圏を抜け、水平飛行に移った。

すぐにマリーはターゲティングシステムのプログラムの変更に着手する。


「じゃぁヴィル。操縦をお願いするわね」

ヴィルの返答を待つ間もなく後部座席前面のパネルが、操縦モードに

切り替わり、呆気に取られてるヴィルの前に操縦桿がぐいっと伸びて来た。


 宇宙防衛機のキャノピーは大昔の地球上の戦闘機のような透明なガラス

ではなく、隕石との衝突に耐えられる特殊軽量金属で、その内側全面に周囲の

映像を映すこともできるし、各種操縦用のモニターを表示することも可能だ。


後部座席の前のモニターも完全に操縦モードに切り替わって、

飛行速度・高度・重力加速度などの必要な諸情報が重ねて写された。

—— 大丈夫。後部座席と思わなければいつも通りだ ——



次回エピソード> 「第4話 後部座席」へ続く

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