第2話 パイロット射出装置
ケンイチは急いでヘルメットをかぶりながら第一周回通路に出た。
隕石の直撃を避けるため、基地の地下に造られたこの居住施設部分は、
直径が二キロ程度もあるリング状の構造で<ベースリング>と呼ばれている。
その外周を回る三本の周回通路のうち、最上層のものが第一周回通路である。
<ベースリング>はまるで宇宙ステーションがそのまま地中に埋まった
ような構造で、地下深くの基礎から超電導マグネットの磁力で浮き上がり、
疑似重力を発生させるために回転をしている。
パイロットが緊急出動する時は、パイロット射出装置という装置を使う。
—— くそっ! ここからだとちょっと遠いな ——
ここトレーニングルームのある生活区域から勤務区画にあるパイロット
射出装置までは、外周をほぼ半周回らないと行けない。
ケンイチは通路の壁のボタンを押し、ステップ・ムーバーを壁から出した。
ステップに飛び乗り、壁から突き出てきたグリップを回して最高速度まで
上げていく。
最高速度と言っても、ステップ・ムーバーの速度は約二十キロ程度なので
パイロット射出装置までは数分はかかるだろう。
先にトレーニングルームを出たマリーも、同じようにパイロット射出装置
に向かっているはずだが、ゆるやかにカーブする第一周回通路の、
見える範囲内にはもうその姿は無かった。
おそらくマリーもステップ・ムーバーを最高速度で飛ばしているのだろう。
***
宇宙移住初期に無重力もしくは低重力による健康被害が多発したことで、
世界政府は長期滞在型の居住設備には回転による遠心力を用いて、地球の
重力に合わせ約1Gの『疑似重力』を発生させるよう法律で義務付けている。
宇宙空間にある宇宙ステーションやコロニー等とは異なり、
月や火星では約1Gの疑似重力を発生させると言っても、
もともとの天体の低重力が有るため、少し厄介だ。
居住構造を水平回転させ、水平方向に生じる遠心力と、垂直方向に働く
天体の重力を合わせ、その『合力』が約1Gとなるようにする必要が有る。
回転運動をする居住区構造の外周部に働く、約1Gの疑似重力の向きは、
水平より少し斜め下向きとなる。
この合力が約1Gとなる角度は、天体の重力で決まり、火星の場合は
月よりもやや傾きが大きく、水平から約二十二度下向き方向となる。
通常、疑似重力を発生させるため回転している居住設備に出入りするには、
疑似重力が働かない回転中心まで移動する必要が有るが、そのルートだと
時間がかかり過ぎる。居住区内にいるパイロットが、緊急出動するために
考案されたのが『パイロット射出装置』だ。
回転するリング部からパイロットが乗ったカプセルを文字通り基地外へと
射出し、射出されたカプセルは専用地下チューブに放り込まれて猛スピード
で滑走しながら次第に減速して宇宙機発着場まで出る仕組みになっている。
***
ケンイチは緩やかに三次元的なカーブを描いている第一周回通路を、
ステップ・ムーバーで飛ばしながら、ヘルメットの通信装置をONにして
航空管制室につないだ。
「こちらカネムラ。パイロット射出装置に向かってる。状況は?」
「無数の小天体が火星圏に接近中。
あと四十数分で、火星の広範囲が隕石嵐となる予想です」
—— 航空管制員セシリア・バレロの声だ ——
「すでに対象エリアには第一避難体制を発令しました。
ここ<センターシティー>は隕石嵐のぎりぎり範囲外ですが、
念のため五分後には第一避難体制に入る予定です」
セシリア・バレロは若いが、簡潔にてきぱきと指示を出す優秀な管制員
である。それでも、今日はいつもよりかなり緊張した声色だった。
「セシル。それで俺の隊の担当エリアは?」
「第一中隊は<テゾーロ地区>の北側上空での最終防衛をお願いします」
<テゾーロ地区>はシナイ高原のマリネリス峡谷に近い開発区だ。
ここ、メリディアニ平原にある<センターシティー>のSG4指令本部基地
からは、ほぼ真西方向にあたる。マーズ・ファルコンで緊急発進をして、
隕石嵐の到達までにギリギリ間に合うかどうかの距離である。
「第一中隊メンバーの応答状況は?」
「すでにソジュン・パク副隊長が、ジョン・スタンリー隊員と、
シンイー・ワン隊員を率いて三機で緊急発進して現地に向かっています」
「えっ? ソジュンがもう三機で現地に向かってる?えらく早いじゃないか」
「パク副隊長達はもともと機体整備場で何かの作業をしていたようですが」
—— あっそうか、核融合エンジンの勉強会か! ——
ソジュン・パク副隊長は宇宙機工学の博士号を持っており、時間さえ有れば
機体整備場で何かの試作を行うか、趣味のサンドバギーをいじっている。
こちらは学者というよりもマニアックなエンジニアである。
今日は非番だが、ソジュンが機体のオーバーホールに合わせて、第三分隊の
若いメンバー向けに、核融合エンジンの勉強会をすると言っていた。
第三分隊には、あと一人、レオナルド・カベッロがいるはずだが、
彼はフェンシングの練習が有って、勉強会に不参加だったのかもしれない。
「セシル。あと、第一中隊で出動できそうなのは誰だかわかるか?」
「あとはマリー・クローデル副隊長と、ヴィルヘルム・ガーランド隊員が
次の射出タイミングで出られる場所にいます。
すぐにこの建物も非常隔壁を下ろしますから、現時点で基地外に出ている
他の隊員達は、もう出動には間に合いません。
出動できるのは、カネムラ中隊長をいれて六名だけになります」
—— 中隊メンバーの半分か。非番の日なんだから、まぁ仕方ないか ——
SG4の航空防衛隊は小規模なので中隊と言っても、通常は十二機だけの
編成である。普段の防衛任務では四機ずつ三つの分隊に分かれて作戦行動を
取ることが多い。
通常なら、第一分隊はケンイチ、第二分隊はマリー、第三分隊はソジュンが
指揮をとるが、わずか六機となると今日は分隊に分かれる意味はなさそうだ。
「了解した。 それでは今日は分隊に分かれずに六機で対応する」
「分隊行動ではなく、六機で行動する件、航空管制室了解しました」
航空管制室との通信中、ケンイチの進行方向の先で廊下左側の扉が開き、
医療スタッフたちが慌ただしく作業している。
倉庫から酸素ボンベや人工呼吸器の予備機を運び出して、今後予想される
多くの怪我人の治療に対応できるように準備を始めているようだ。
<センターシティー>には公営・民間合わせ、いくつもの大きな病院が
有るが、ここSG4の医療施設はその中でも充実した設備やスタッフが
揃っており、緊急時には一般患者の受け入れも行う救急病院としての役割も
持っている。
とはいえ、隕石嵐の到達前から医療スタッフまでがこれほど準備するのは
ケンイチがSG4に配属されてからのこの約十年間で初めての状況だ。
隕石嵐の規模が大きく、近隣の都市からも多くの怪我人が運び込まれると
予測し、慌てているのだろう。それほどの危険が迫っているという危機感が
医療スタッフたちの表情からもビリビリと感じ取れる。
知り合いの医療スタッフが、真剣な顔で若いスタッフに何かの指示を出して
いたが、ステップ・ムーバーで横を高速で通り過ぎようとしているケンイチに
気が付くと軽く手を上げ、ケンイチもヘルメットに二本指を添えるように
敬礼して返した。
「セシル。マリー達が出る次の射出タイミングまでの残り秒数は?」
「今ちょうど射出位置だったので次はあと約六十秒弱です。でもカネムラ
中隊長の現在の位置からすると……次のカウントダウン開始には
ギリギリ間に合いません。その次の射出タイミングでお願いします」
回転する<ベースリング>の外周部は、火星地表との相対速度が
数百キロもある。パイロット射出装置のカプセル射出タイミングは
完全に自動制御で、装置が地下チューブの入り口位置に来ると射出される
仕組みである。
安全性を考えて、射出十秒前のカウントダウン開始より前に、
パイロットがカプセルに入らないと射出されないようになっている。
そうなると、一分以上後の次の射出タイミングを待つ必要がある。
—— <テゾーロ地区>まで少し距離も有るし、待つ余裕はないな ——
「セシル。次の射出タイミングで出てみせるよ」と言うなり、
ケンイチはステップ・ムーバーを飛び下り全速力で走りだした。
パイロット射出装置まで一分弱ぐらいの距離ならば、ステップ・ムーバーの
最高速度より、早く走り切る自信が、元ラガーマンのケンイチには有った。
突然、操作する主人がいなくなったステップ・ムーバーは、
速度を徐々に落とし、軽いビープ音を出して壁に引っ込んだ。
***
マリーはパイロット射出装置横のトイレから出て、射出カプセルに
乗り込もうとしていた。
銀色の射出カプセルのハッチを開いた時、背後に異様な殺気を感じて振り
返ると、通路の遠くから爆走して来るがっしりとしたパイロットスーツの
姿が見えた。それはまさにパスを受けたラガーマンが、一心不乱に爆走して
いるようにしか見えない。
—— また無茶なことを。次の射出にぎりぎり間に合うのかしら? ——
マリーは悪いものを見なければ良かったと言わんばかりに首を振りながら
カプセルに乗り込んでハッチを勢いよく閉めたが、薄暗いカプセルの中で
何故かにやついている自分に気が付く。
はっと我に返って射出時の衝撃に耐えるように姿勢を正すと、気圧調整に
備えてヘルメットの装着具合を確かめた。
カプセル内に『搭乗者:クローデル第一中隊副隊長』との表示が出ている。
装置がスーツのパイロット情報を読み取り、情報は機体整備場に送られて、
パイロットの搭乗機が宇宙機発着場に移動される仕組みになっている。
しかし、非番の隊の機体はメインテナンスのため燃料水が抜かれている
ことが多いから今日は出撃できるまでに少し時間がかかるのかもしれない。
***
「間に合った! これでマリーに追いついたな」
ケンイチがカプセル飛び込むと、開けっ放しだったヘルメットの
バイザーが、装置からの遠隔操作で勝手に降ろされる。
すぐにパイロットスーツの気密チェックが行われ、目の前のモニターに
グリーンマークの表示が出ている。ハッチの自動ロックがかかる。
荒げた息を整える間もなくカウントダウンが開始された。
『九、八、七……』
カプセル内でエアーバッグが膨らみ、体と首が固定される。
衝撃に備えるようにとの音声メッセージが流れた。目の前のモニターには
カウントダウン数字のほか、宇宙機発着場付近の天気などの諸情報が
表示されている。
火星の大気圧に合わせるためにカプセル内の減圧が始まると、気圧の減少
とともにパイロットスーツが少しだけ膨らむが、特殊繊維でできたパイロット
スーツは膨れすぎて体の動きが阻害されないようにできている。
素材革命のあと開発されたこのスーツは、宇宙線による放射能被ばくを
ほぼ完全に防ぎ、耐熱性・断熱性にも優れている。このスーツが開発され
宇宙で働くパイロットや、作業員の作業可能時間を、かなり伸ばすことが
できたと言われている。
『三、二、一』
カウントゼロと同時に疑似重力から解放され宙に浮く。
一瞬、無重力になった感覚になる。コンマ何秒しか無いのに、
なぜか長い静寂のような無重力感をケンイチは楽しんだ。
—— この浮遊感は最高! ——
しかし、時速二百キロ以上で射出されたカプセルが地下チューブに
放り込まれて、壁面と激しく接触し始めたとたんに、カプセルはうんざりする
ような轟音と振動に包まれた。
—— 誰かが、大昔に地球で行われていたボブスレーという競技に
似ているなんて言ってたな。そいつは全く分かってない ——
ケンイチは資料映像でボブスレーを見たことが有るが、あの競技の
乗り物はハンドルが付いて、少しは自分でコントロールできるようだった。
こんなカプセルに入れられて、自分では全く操作もできずに、命を預けた
状態で飛ばされるものではない。
—— だいたい、もう少し静かに滑走できないものかね ——
カプセルは地下トンネルをしばらく弾丸のように走る。
やがて、ゆるいカーブに差し掛かると、横方向に強いGを感じる。
減速が始まると体全体が足元の方向に押されるが、カプセルが止まると
火星の〇・三八Gの重力下で、急に体が軽くなった感覚になった。
停止を知らせるブザー音とともにエアーバッグがしぼんで収納される。
自動でカプセルのハッチが開きパイロット待機室の天井が見えた。
起き上がると、パイロット待機室の壁の特殊強化ガラスごしに
太陽が目に飛び込んでくる。ヘルメットのバイザーで有害な光線が
取り除かれるとは言え、十分にまぶしい。
目を細めながら横を見ると、あと二つのカプセルが開いており、
マリー・クローデルと、ヴィルヘルム・ガーラーンドがカプセルから
出るところだった。
次回エピソード> 「第3話 出動!マーズ・ファルコン」へ続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます