異変

通信妨害

第19話 SOS  

 バンクを急降下しながら、前の選手を抜き去ってトップに躍り出る。

ペダルを必死に漕いで最高速を維持しながらラストの直線に入った。


屋内スタジアム中に大歓声が沸く。記録的なタイムと優勝が目の前に迫る。

ゴールまであと五十メートル! その時突然、強制終了のブザーが鳴り

スタジアムの風景の一部がバックりと割れて開いた。

—— くそ! あと少しなのに —— 


「なんだよ。あと数秒待ってくれたら……」

「おいケンイチ! 緊急ミーティングの招集だぞ」

スタジアムの風景の上から顔を出したのは、第七中隊ピエール・マクロン

中隊長だった。ケンイチよりも一つ年上の先輩だ。


 ケンイチがSG4に配属された頃、よく面倒を見てもらいファースト

ネームで呼び合う仲である。VRトレーニングマシン内のプログラムが

完全に止まると大音量の観客の歓声が消えて、腕の通信端末が

けたたましいコール音を出しているのに気がついた。


 緊急停止させたのはマリーかと思って文句口調で話そうとしていたのを、

ややごまかしながら答えた。

「あ、ありがとうピエールさん。音が聞こえなかった。

 先日痛めた肩は大丈夫ですか?」


「いや、しばらくは痛みが続くし、極力動かすなって医者に言われたよ。

 ただの打ち身なのに。しばらくは、操縦するなと言うんだ。

 強制的に当直任務もドクターストップされちゃったんで、

 暇だから下半身のストレッチだけやりに来たんだ」


「ごまかしてもダメダメ。

 本当はマリーがホット・ヨガ教室に来ていないか見に来たんですよね? 

 残念ながら、今日はスケジュール変更で夕方からのようですよ。

 それより緊急ミーティングって何が起きたんでしょう?」


「わからん。招集理由のメッセージは何も書いていない」


  ***


 ケンイチがピエール・マクロンと一緒に会議室に入ると、

マリーとソジュンがすでに中央右側の席に座っていたので、そこに向かう。


マクロンは第七中隊の副隊長達がいる方へ進んだ。

「ピエールと一緒なんて、珍しい組合せね」とマリー。

「そうだな。色男が婚約者を探しにトレーニングルームに来てたからね」


 ヘインズ司令官が足早に入室して来ると、かなり深刻な表情でモニターを

操作して準備しながら話を始めた。

「連日の緊急招集で申し訳ない。SG3から緊急の極秘情報が入って来た。

 今日の午後のウィルソン大統領の視察は全てキャンセルだ」


 司令官は第五中隊のメンバー達の方を向くと軽く頷きながら続けた。

「ということで、今日の大統領の防衛任務は無くなった。

 第五中隊はもう準備をしてたと思うが、とりあえずはこの基地で

 待機ということにしてほしい」


 司令官は軽く咳ばらいをして、本題を説明し始めた。

「実はトロヤ・イースト地域と昨日から全く連絡が取れなくなっている。

 昨日夜は何らかの自然現象による電磁波障害かもしれないと考え

 調査していた。しかし、さきほど入って来た情報によると、

 これは人為的な通信妨害の可能性が強くなった」


 会議室の隊員たちは、火星からはとても遠いトロヤ・イーストと

SG3間の通信障害と言われてもピンと来なかったが、

人為的な通信妨害と聞いて会議室内は少しざわついた。


 ケンイチが横のマリーに恥ずかしそうに小声で聞いた。

「えーっと、トロヤ・イーストって何処だっけ?」


 マリーは、少しあきれた顔をケンイチに向けて答えた。

「太陽-地球系のラグランジュ・ポイントL4。

 あの有名な小惑星エルドラドが運ばれて、小惑星鉱山として

 開発されている場所のことよ」


「あぁ、何かそれ聞いたこと有ったな」


  ***


 ラグランジュ・ポイントとは、お互いが重力で引き合う二つの天体

(主星と伴星)の近傍に小物体(小惑星や人工物など)が有る場合、

主星と伴星の各重力と、小物体の運動で生じる遠心力の三つの力が

釣り合う場所である。


 その五カ所はラグランジュの頭文字のLに数字をつけて、

L1、L2、L3、L4、L5と呼ばれている。

主星と伴星を結ぶ直線上に位置するL1、L2、L3と、そして伴星が

主星の周りを回る公転軌道上にL4とL5が有る。


 このL4,L5は、主星の質量が伴星の質量よりも十分に大きい

場合は、小物体が特に安定しやすい場所となりトロヤ点とも呼ばれる。

このトロヤ点L4,L5のどちらかと、主星と伴星を結ぶ三角形は

正三角形を成す位置関係になる。


 主星を地球、伴星を月としたのラグランジュ・ポイントは、

地球からも比較的近く、探査機や宇宙ステーションを設置するとき、

その位置を安定させ易いため、宇宙開発初期から活用されて来た。


 のL4とL5には宇宙コロニーが多数建設されて、

L4はムーン・イースト、L5はムーン・ウェストと呼ばれるコロニー群

となっている。これらのラグランジュ・ポイントを含めて、

『地球圏』と呼ばれておりSG3が隕石防衛を管轄する範囲となっている。


 宇宙開発が進み、月面の居住設備や周囲の宇宙コロニーの建設のために

膨大な資源が必要になると、様々な鉱物を含む小惑星を鉱山として開発する

ことが検討された。


 そして鉱山として有望な小惑星が発見されると、多数の推進器を

取り付けて移動させて、どこかに設置するという案が検討される


主星を太陽、伴星を地球としたのラグランジュ・ポイント

のうち、安定性の高いL4とL5がその場所として選ばれ、

大規模なプロジェクトが行われた。


 のラグランジュ・ポイントではなく、

のL4とL5が選ばれたのは、小惑星を移動させる

計画に何らかの不備ああって、万が一月や地球に落ちるようなことがあると、

人類滅亡にもつながるため、近距離の利便性よりも安全を重視をした

結果であった。


 太陽、地球、そしてトロヤ点を結ぶと正三角形になるということは、

地球からL4,L5までの距離は、地球と太陽との距離に等しく、

その距離は約二年二か月の周期で地球に接近した時の火星との距離

よりも遥かに遠い。


 しかし、宇宙移住の拡大のために膨大な資源が必要であり、そのための

小惑星鉱山を安定して設置できるため、その周囲には鉱山開発に携わる

人々が暮らす宇宙コロニーが多数建設された。


 月を含む地球圏以外では、火星の次に人口の多い宇宙移住先となった。

そして地球の公転軌道において、

地球より先行して太陽を回るL4ポイントはトロヤ・イースト、そして

地球を追従するように太陽を回るL5ポイントはトロヤ・ウェストと

呼ばている。


  ***


 ヘインズ司令官はホログラムのスイッチを入れながら状況説明を続けた。

「まず順を追って話そう。

 昨日、トロヤ・イーストと通信不能になってから、

 地球圏の宇宙望遠鏡で光学撮影された映像がこれだ」


ホログラム映像には不気味に浮かぶ小惑星エルドラドが映し出された。


 どす黒い小惑星は鉱物の宝庫と言われてはいるが、

見た目にはおどろおどろしさを秘めており、人類に多大な資源を

供給できるという価値を知らなければ美しいと感じる天体ではない。


 ただ、会議室の中でマリーだけは眼をキラキラさせて映像を見ていた。

天体運動学を学んだ者にとって、数百年前の宇宙史上初の大規模な

小惑星捕獲作戦の成果であり、人類が初めて軌道をコントロールした

小天体の姿は、マリーにとって何度見ても心躍る映像なのだ。


 エルドラド周囲には、よく見ると宇宙コロニーがいくつか集まっている。

それらのコロニーに外見では損傷はなく、少なくとも大規模な隕石嵐で

宇宙コロニーが大打撃を受けたという事態ではないことは明らかだった。


「見ての通りコロニー群には損傷は無いように見えるが、トロヤ・イースト

 のSGTE指令本部基地である宇宙ステーション<エルドラドベース>

 の姿が何処にもないのだ」


 SGTEとはトロヤ・イーストの頭文字T・Eを付けたスペースガード

(SG)の部隊名称である。SGTEの主力部隊の居住施設や機体整備場は

トロヤ・イーストのメインコロニーである<イーストホープ1>に有るが、

指令本部基地はコロニー内では無くリング型の宇宙ステーションである

<エルドラドベース>に置かれていた。


「SG3が映像を詳しく分析した所、これを見つけた」


ヘインズ司令官が言いながら映像を切り替えると、ホログラム映像には

何か人工建造物の一部の破片のようなものが散乱しているのが

映し出された。その中には、明らかに居住設備内の内装品のような

ものまでも見えている。


「あれって、もしかして宇宙ステーションの残骸なの?」

マリーが小声で聞いたが、横でソジュンが唸っていた。

「うーん。ミサイルの破片じゃないのは確かだけど…」


 ヘインズ司令官がすぐに補足した。

「SG3の分析では、この残骸は宇宙ステーション<エルドラドベース>の

 構成部品の一部とわかっている。さらに少し離れた場所だということだが、

 このような映像もある」


 映像が切り替わると、会議室が一斉にどよめいた。明らかに宇宙防衛機の

コックピット部分とわかる残骸が宇宙空間に漂っている。

宇宙防衛機に詳しいソジュンがすかさず発言した。

「これは、スペース・ホークのコックピットの残骸ですね」


 スペース・ホークは宇宙コロニーの防衛に広く使われている宇宙空間

専用の防衛機で、地球圏のSG3が防衛するコロニー群にも多数配備

されている。


「その通りだ」司令官はソジュンにうなずきながら続けた。


「映像の分析では、最低でも二機分のスペース・ホークの残骸が有る。

 そして次が今朝、SG2つまり金星の部隊が傍受したSOSの通信だ。

 金星方向でも通信状況は悪かったらしいが、地球圏よりはましで、

 SGTEから送られたと思うSOS通信を傍受している。

 かなり断片的な音声や動画だが、そのまま流すからまずは見て欲しい」


 司令官が会議室のモニター操作を行うと、最初はかなり雑音の入った

男性隊員と思われる音声だけが聞こえた。

「こちらSGTEの……ザザァ……という状況で何が有ったのかザザザザ

 …………防衛機のガンカメラ映像を回収ザザザザ…………て欲しい。

 だから緊急ザザザザ…」


 音声通信が途切れると、かなり乱れた二次元画像が写った。

映像は明らかに宇宙防衛機のガンカメラ映像で、巨大なブルー・ホエール

型無人輸送船への物資積み込み作業の風景のようだった。


 ブルー・ホエール型無人輸送船は最大クラスの輸送船であり、

六機しか存在しておらず世界政府の輸送部門が直接運行を行っている。


 この機種は遠距離の大量輸送に用いられているものであり、月の工業地帯

での製品を他地域へ運び、トロヤ・イーストとウェストからは鉱物資源の

一次加工品を、そして木星域からは水や液体ガス等の資源を輸送している。


 ガンカメラ映像は比較的クリアで、背景にはあの小惑星も写っている。

ただ映像に入っているはずの音声データが何らかの原因で消えているらしく

無音の状態で映像だけが進行していた。


 小惑星エルドラドから採掘・精錬し製造したと思われる巨大な金属の

インゴットが多数宇宙空間に漂っており、それを無数のドローンが

牽引して輸送船の舷側ハッチへと運んでいる。その積込み作業を

見守るように、スペース・ホークが輸送船を取り囲んでいる。

 

 火星にはブルー・ホエール型ほどの大型輸送船は来ないが、

中型のライト・ホエール型やハンプバック・ホエール型の輸送船が

物資を運んで来る。


その時は、SG4のマーズ・ファルコンも、映像と同じように輸送船の

周囲を護衛し、物資が何らかの不具合で散逸したりいしないように

作業用の宇宙機をフォローする。


会議室のメンバーにとっても普通の作業風景のように見えていた。


 その映像の中、おそらく向こう側に小さく映っているスペース・ホークの

辺りがキラリと光る。その光の中から高速で近づくものが見えたと思うと、

映像を撮影している機体より前方のスペース・ホークが突然爆発をした。


「うそっ!」マリーは思わず声を上げ、手を口に当てた。


 会議室でどよめきが起こり、誰かが叫んだ。「あれミサイルだよな」

映像を撮影している機体のパイロットが、近くで僚機が大破したのに

動揺して、機体の向きを変えようとしたため、ガンカメラ映像が

激しく動いた。


 その激しく動く映像の遠くで、再びキラリと何かが光って高速飛行

物体が近づく。機体がターンしたため、映像の向きが変わり

ミサイルの動きは見えなくなった。


パイロットは明らかにミサイルを回避するためにジグザク運動している。

ガンカメラ映像は凝視できないほど激しく動いていたが、

突然に、真っ白いノイズだけの映像になって消えた。


 会議室では誰も声をあげることができず、皆が絶句したまま、

音の無いホワイトノイズの映像を見つめていた。



次回エピソード> 「第20話 火星とL4」へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る